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対角線に薫る風  作者: KENZIE
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第32話 亜由美落涙

亜由美さんが高柳さんと別れる決意をした。

つまりやっと目が覚めたという話は、瞬く間に部員に広まった。


興奮して本人がしゃべっていたのと、詩織ちゃんが言いふらしていたからだ。

おかげで、部活が終わる時には知らない者などいない状態だった。


「股間蹴り飛ばしたらしいな」


「また蹴り技か」


「すごくいい蹴りしてましたよ」


「どこで習ったんだろ」


「キックボクシングなら世界を狙えるものを…」


「ところでなんでいきなりそんな話に?」


「ミキちゃんが絡んでるらしい」


「三角関係?」


「ピストル、思い切り顔面に投げつけたらしいぜ」


「本物のピストル?」


「本物なら投げないで撃つだろ」


「さすがに撃たないでしょう」


「普通はそうだけどミキちゃんだよ?」


「ミキちゃんなら撃つな」


「撃つ撃つ」


「撃たんだろ。何ぼなんでも」


「撃つだろ。急所外して太ももくらいは」


「ああ、それなら撃つな」


「撃ちますね」


「うむ。躊躇なく撃つ」


まあ、筋書きとしては大体合っている。

とにかくミキちゃんの武勇伝がまた1つ増えたのだった。


ミキちゃんはいなくなったし、亜由美さんも高柳さんもいつの間にか姿を消している。

だから、僕のところに真相を聞きにくる人は後を絶たなかったけど、よく分からないから本人に聞いてくれと追い払って、僕もさっさと練習を終えた。


「あ、お疲れさまです」


「ん。ああ、お疲れ」


逃げるように、サウナみたいに暑い更衣室に入ると、柏木さんが着替えていた。

 

相変わらず、鍛え抜かれた上半身だ。

実力があって真面目で頼りがいがあって、憧れというか目標に近いかもしれない。

キャプテン高柳が持っていないものを、全部持っている気がする。

男から見てもカッコいい。


いや、星島望、女の子が大好きです。

そういう趣味は一切ないですから、これ以上、変な噂は流さないように。


「柏木さん」


「ん?」


「なんで高柳さんをキャプテンにしたんですか?」


ためしに聞いてみる。

うちの部は、キャプテンが4年生になったときに次期キャプテンを指名するのが伝統だ。

4年生で相談して決めるらしいが、つまり、高柳キャプテンが誕生したのは柏木さんの指名があったからだと言える。


「高柳は、足は速いけど人間性に問題があるだろ」


柏木さんは歯に衣を着せなかった。


「だから、あえてキャプテンにすることによって、人間的にも成長してほしかったんだ」


「なるほど」


ちゃんと、考えてはいたわけだ。


「だけど、まったく成長してないな」


「ですよね」


「すまん」


そう言って、柏木さんは苦笑した。

柏木さんの最大の誤算は、高柳さんの脳みそがピーナッツバターでできていたということだろう。

ピーナッツならともかく、だ。


そのまま、柏木さんとおしゃべりしながら、部室を出る。

そして帰ろうとトラックの入口に向かって歩いていくと、階段の手前辺りで、だだだだだっとすごい勢いで後ろから走ってきた人に名前を呼ばれた。

振り向いてみると、新見だった。


「ん?」


「なんか忘れてない?」


「あ。ああ!」


そうだ。

いろいろあったせいで、食事の約束をしていたのをすっかり忘れていた。


途端に、うれしくなってくる。

アイスを買ってきたのをすっかり忘れていて、何気なく冷凍庫を開けたら中に入っているのを見つけたときのような気分だ。

 

「そうだそうだ。忘れてた」


「待ってて。もう終わるから」


新見が走って戻っていって、僕が言い出す前に、柏木さんがぽんと僕の肩を叩いた。


「じゃあな」


「あ、すいません。お疲れさまでした」


何も聞かずに、階段を上っていく。

まったくもって男らしい。


僕はちょっと考えて、目立たないように、階段を上って街路樹の下で新見を待った。

何かいろいろなことを想像して、落ち着かなかった。

新見は有名人だから、男と2人でいたらどうしたって目立つに違いない。

いくら陸上競技がマイナーとはいえ、新見の知名度は別格だし、地元の町を歩いていたら知り合いに出くわさないとも限らない。

 

迷惑じゃないんだろうか。

まさか。

もしかして、僕のことを?


「お待たせ」


新見の声がして、僕は張り切って振り返った。

しかし知香ちゃんが一緒で、例によって変なポーズをしている。

みたいなことはなく、新見は一人で、笑顔だった。


「いこっか」


「あ、うん」


夢じゃないかしら。

そう思って、ほっぺたをつねりながら金谷山駅のほうに行こうかと思った瞬間。

坂の上のほうから、つまり学生協のほうから数名の女子が歩いてきた。


その中心にいる亜由美さんが、泣いていた。

きゅっと、口を真一文字に結んで、涙を浮かべている。

どうしたのだろう。

長距離の女の子に慰められながら、トラックへの階段を下りていった。

何があったのか分からないが、僕らは黙ってそれを見送った。


「どうしたんだろ?」


高柳さん関連のことではなさそうだ。

それならば清々しているはずだ。


「さあ?」


首を捻っていると、亜由美さんに続いて千晶さんと杏子さんが歩いてきた。

杏子さんも、珍しく不機嫌な表情だった。

何か、シリアスな展開だ。


「どうしたんですか?」


聞くと、杏子さんは口を尖らせた。

ミキちゃんみたいな斜め眉をしながら、新見の頭をすりすりと撫でる。


「落ちた」


「落ちた?」


「あゆ。代表選考、落ちた」


「え」


そう言えば、今日発表だった。

自分にはまったく関係ないし、いろいろなことがあったので忘れていた。


「B標準で日本選手権3位だから、確定じゃないけどさ。おととしはそれでも出れたじゃん」


杏子さんがこんなふうに憤るのは珍しい。


「それにさ、ヨンパは、B標準で3位でも選ばれたやついるんだよ。おかしくない?」


「それは、マイルもあるからじゃ…?」


「だったらなおさら公平に、あゆも代表に選ぶべきでしょ。不公平だしあいまいだし、なんの説明もないし、それでどうやって選手にやる気出せっていうのさ。バカなんだよ、陸連の連中。バカの集まり」


「わー」


あくまでも杏子さんの個人的な感想です。


「この数十年で世界は大きく変わってんの!なのに陸連は数十年前のままなんだよ。おかしくない?数十年前のパソコンなんて今もう誰も使ってる人いないよ。それと一緒だよ、本当」


「それはまあ、そうかもしれませんけど」


「旧態依然ですよね」


新見が言うと、杏子さんは大きくうなずいた。

そして、まだ何か言おうとしたけど、僕らを見てぱちりと瞬きをした。


「あれ。あんたら、二人で帰んの?」


「あ、ええと、星島君に財布拾ってもらったから、お礼にご飯ごちそうしようかって」


「あたしも行くーっ!」


杏子さんがぱっと表情を明るくして、僕は倒れ込んだのだった。

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