第27話 ミキちゃんの戦友
3日目。
日本選手権最終日。
最初の種目は女子100m準決勝だった。
新見はここでも圧巻の走りで、楽々と11秒46。
最早、決勝は必要ない感じだ。
あとは記録との勝負ということになるのだろう。
そして注目の男子100m準決勝。
前キャプテン柏木さんは決勝に駒を進めたが、残念キャプテン高柳さんと、日本記録保持者の弟の本間秀二は決勝進出はならなかった。
僕は第2組に入ったけど、さすがにもう奇跡は起きなかった。
ずーっと遅れて10秒67の6位。
それなりにいい走りをしたと自分でも思うのだが、さすがに実力の差は大きかった。
でも、いい経験にはなったと思う。
日本選手権の雰囲気を味わえたというだけでも、かなり大きかった。
何より、2本走れたのがうれしい。
インターハイに出場もできなかった選手が…。
「お疲れさまーっ!」
サブトラックの手前で加奈と聡志が迎えてくれた。
わざわざ、応援のために来てくれている。
「惜しかったね!」
満面の笑顔の加奈。
いや、別に敗退を喜んでいるわけではないと思う。
「まあ、惜しくはないけどな」
「えーっ。惜しかったじゃん。あと1人だったのに!」
「いや、あと1人抜いても5位だから」
「6位なんだから、5位を抜けば4位でしょ!」
「5位だっての」
「4位です!だって5位の人抜くんだよ!」
「え、5位を抜いて…、いや、5位だよ」
危なく騙されるところだった。
「違う!5位を抜いたら4位!教科書にも載ってる!」
「じゃあ2位の人抜いたら何位だよ」
「2位を抜いたら1位に決まってるじゃん!」
「1位の人抜いたら?」
「1位抜いたら…、ありゃ?」
相変わらず加奈は騒がしい。
だけどおかげで、ちょっと気分が晴れた気がした。
そもそも、4位だったとしても決勝は残れてないですからね。
3組2着プラス2だし…。
「ま、初出場で準決進出できたし、よしとするか?」
「そうそう!」
「おれなら決勝残ってたけどな」
憎まれ口を叩く聡志を蹴飛ばすフリをして、高柳さんらと一緒にダウンに向かった。
まだまだこれからに違いない、そう思った。
サブトラックでは今日も、多くの選手がアップとダウンを繰り返していた。
天気もいい。
のんびりしていてものすごく平和な世界だ。
だけどそこには一種の緊張感が漂っていて、僕はそんな空間がものすごく好きだった。
ダウンが終わったあと、一人、芝生の上に横になってぼんやりと過ごす。
加奈や聡志はほかの選手の応援に回ったらしい。
僕はただ、すべてを忘れてぼんやりと空を眺めていた。
ゆっくりと、静かに雲が動いていった。
芝生の上を歩く、かすかな足音が聞こえてきたのはそんなときだった。
「お疲れ様」
ミキちゃんだった。
答える前に、僕の隣に静かに腰を下ろす。
ふわりとなびいた長い髪がとても綺麗で、僕は思わず見とれた。
「頑張ったわね」
「うん」
「でも、これからよ」
「うん。頑張ります」
天使が通って、会話が途切れた。
何となくミキちゃんを見ると、ミキちゃんも僕を見た。
すぐに視線は逸れたけど、その表情は僕の脳裏に残った。
何も会話がないまま、おそらく1分くらいたっただろうか。
何をしゃべろうかなと思っていると、目の前を赤いジャージの女の子2人組が通りかかった。
そのうち一人が、僕の顔を見てかっと目を見開く。
胸に、「辰川」の二文字が刺しゅうされている。
辰川体育大学の子だろうが、見知らぬ顔だった。
「あれ。もしかして…」
また、幼なじみの出現だろうか。
そんなふうに思ったけど、そうではなくて、女の子が見ていたのはミキちゃんだった。
「長谷川さん?長谷川さんじゃない?」
僕は思わず隣を見た。
訝しげに、ミキちゃんの眉毛が片方上がっている。
人違いですね。
この人は村上美樹ですし。
「どちら様?」
「全中で一緒だった須田果歩。覚えてる?」
「ああ」
ミキちゃんの眉毛がすっと下がる。
珍しく、優しげな瞳。
「覚えてるわ。栄工大二中のアンカーだった…」
「そうそう!うわあ、久しぶり!」
知り合いらしい。
僕は黙って二人のやりとりを眺めていた。
「長谷川さん、陸上続けてたんだあ。ケガは大丈夫なの?」
「今はマネージャーよ」
「あ、そっか。そうなんだあ。めっちゃ速かったのに残念だねえ。絹山大学?」
「そう。あと、今は村上だから」
「え。結婚したの?」
「まさか。両親が離婚しただけ」
「あ、そうなんだあ。てっきり彼がそうかと思った」
僕の顔を見て女の子は笑った。
どんな顔をしていいか分からなかったので、とりあえず、ただ曖昧に笑っておいた。
「あ、あたしこれから400mなんだ。浅海さんやっつけちゃうけど応援よろしく!」
「頑張って」
「それじゃ、またね」
軽く手を振って、待っていた連れと一緒に女の子は歩いていった。
ぼんやりと、僕は二人の背中を眺めた。
それからミキちゃんのほうを見たけど、ミキちゃんは素知らぬ顔だった。
ミキちゃん、前は長谷川美樹だったのか。
そう思って、僕は首をひねった。
長谷川?
長谷川美樹。
長谷川美樹…?
確かどこかで聞いたことがあるような。
記憶に引っかかっているような。
そんな感じの名前だった。
それがいったいどこだったのか、もちろん僕の記憶力で思い出せるわけもない。
偏差値に換算すると、僕の記憶力は32くらいなのだ。
「ね、ミキちゃん」
念のため、尋ねてみる。
万が一ということがある。
「ひょっとして、おれとミキちゃんって幼なじみだったりしない?」
「え?」
「実は幼稚園一緒だったとか」
「バカなこと言ってないで、応援行くわよ」
はい。
怒られてしまいました…。




