第24話 不機嫌の理由
少し休んでから、また練習を再開する。
軽めの調整つもりだったのに、気付いたらみんなと一緒にサーキットトレーニングまでしていた。
別に練習が大好きなわけでもないのに、習慣とは恐ろしいものだ。
ちなみに、うちの部で一番練習が嫌いなのが、日本記録保持者の新見沙耶。
意外でしょ。
短期集中型といえば聞こえはいいけど、いつもみんなより遅く来る。
1週間に一回ぐらいは、何だかんだ理由を付けて堂々と練習をサボる。
それで日本のトップなんだから、何というか、すごいと思う。
逆に練習の虫なのが、杏子さん。
この人はいつもおちゃらけているように見えるけど…、いや実際かなりおちゃらけているんだけど、練習量は半端ない。
400mの選手の練習はハードだけど、その中でも群を抜いていると思う。
身体はカモシカみたいだし、腹筋なんか完全に割れてます。
僕はまあ、平均レベルだと思う。
だけどさすがに今日のサーキットトレーニングはきつかった。
(ちかれた…)
若干、風が出てきたようだ。
ストレッチをしながら休憩していると、カラーンという金属音が聞こえた。
ハイジャンプのピットで、水沢さんが真剣な表情で知香ちゃんと練習をしている。
バーが支柱に当たって落ちたらしい。
「いいなあ、水沢さん」
呟いたのは、村上道場の1年生、宮本真帆ちゃんだった。
僕の視線に気付いて、ちょんまげ頭を揺らして同意を求める。
ちょんまげっていうか、こう、なんだろう。
畑にはえてるネギみたいな髪型。
てっぺんで、ゴムでくくって。
「素敵ですよね。水沢さん」
「うん。そうだね」
「仲良くなるにはどうすればいいですかね」
「うーん。一緒にご飯食べに行くとか」
「接点がほとんどないから誘いにくいんですけど」
「じゃあ、家に遊びに行くとか?」
「だからぁ、接点がないって言ってるじゃないですか!この役立たず!」
真帆ちゃんが突っ込んで周囲が笑う。
どうも最近、お笑い担当になっているような気がする。
「今度、一緒にご飯連れてってあげるよ」
ちょんまげを撫でながら杏子さんが言って、真帆ちゃんがうれしそうな表情を見せた。
「本当ですか?」
「でもあの子、そっちの気はないからね」
うん。
うん?
あれ…?
「分かってますよ。そんなこと」
「ま、星島は騙されてたけどさ」
「星島さんと一緒にしないでください!」
一同、爆笑。
好きに笑ってくれ…。
何だかんだいって、その日も7時前まで身体を動かした。
冷静に考えたら、日本選手権に出たからと言って勝ち負けできるわけでもない。
もっと目標を先に持ったほうがいいかな思って、いつもどおりのハードなトレーニングをこなしたのだ。
「降りそうで降らなかったな」
「だから言ったじゃん」
二言、三言、聡志と言葉をかわす。
それから部室で着がえて出てくると、赤いジャージ姿のミキちゃんが外で待っていた。
なんだか、いつもにまして不機嫌そうな表情を浮かべている。
特に怒られるようなことをしたかどうか、思い出そうとしたけど無駄だった。
いつも、想像もしていないようなことで怒られるからだ。
想像どおりの怒られ方をすることも多いけど。
つまりしょっちゅう怒られているんだけど…。
「昼、言い忘れたんだけど」
「うん。何?」
「食事もそうだけど、薬も気を付けないと駄目よ」
「薬?」
「検査があるでしょ」
「あ、そうか」
今までは無縁だったが、日本選手権クラスの選手になると、ドーピング検査のことも考えなければならないというわけだ。
潔白なのに、市販の薬で引っかかったらばかばかしい。
まあ、滅多に薬なんか飲まないから大丈夫だろう。
「うん。分かった、ありがと」
「分からなかったら教えてあげるから」
ミキちゃんに言われた瞬間、僕は閃いた。
「あ、でもさ」
「何?」
「急に頭痛くなったりしたら困るよね」
「困る?」
「だから、どの薬飲んでいいか分からなくて」
「分からないって…」
「え。あれ、だって、飲んじゃ駄目な薬とかあるんでし」
「こっちが頭痛くなってきたわ」
うんざりした表情のミキちゃん。
「え、何、おれ変なこと言った?」
「頭痛がしてから薬を探すわけ?」
「う」
「あらかじめ、飲んでもいい薬を常備しときなさいって言ってるの」
「そっか。そうだよね…」
僕はがくりと肩を落とした。
ミキちゃんの携帯番号をゲットしよう作戦は、こうしてあっさり終了した。
「それと、もう一つ聞きたいんだけど」
「ん。何?」
「私、星島君に暴力をふるったことあったかしら」
「ん?何の話?」
「よく殴られたり蹴られたりするって、噂してるらしいけど」
思い出して、背中が寒くなりました。
こう、背中を氷が滑ったかのように、ひゃーっとなりました。
織田君にでたらめで言ったことを、どこかで耳に挟んだらしい。
不機嫌の理由、分かりました。
眉毛さん、お願いだから元の位置に戻ってください。
「ないです。ごめんなさい」
「どうしてそんな嘘言うわけ?」
「いや、魔が差しました。ごめんなさい」
「ごめんなさいじゃなくて、理由は?」
目が真剣に怒っている。
怖いです。
マジで怖いです。
「え、えと、理由というか、つまり、スプリントの高みを目指して、断固として厳しく、緊張感を持った練習をしているぞということを、デフォルメした結果、そうなってしまったわけでありまして…」
「星島君に緊張感なんてないじゃない」
ばっさり、切られてしまいました…。




