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対角線に薫る風  作者: KENZIE
202/206

第202話 落ち着かない時間

みんな落ち着きなく、無駄にサブトラをうろうろする。


しまいには邪魔だとトレーナーに追い払われて、僕たちはふわふわした足どりでサブトラックを出た。

たった一つのレースがこれだけ楽しみなのは、初めてのことかもしれなかった。


「う、う、なんか、落ち着かない」


唯我独尊の杏子さんまで、身体を左右に動かしてそわそわしている。


「何時からだっけ」


「21時45分。さっきも言ったでしょ」


「あと何があんの?」


「ほら、たまには自分でプログラム見なさい」


「うー、文字が頭に入ってこない」


その気持ちはよく分かる。

 

もうすぐ男子400mの準決勝がある。

それが終わって7種競技の200m。

表彰式のために少し間が空いて、女子400m決勝、男子110mハードル決勝。

そして、女子100m決勝と立て続けにある。

決勝種目まではあと1時間といったところ。


「お腹空いた」


と杏子さん。


「何か買ってく?」


「うん」


神妙に、コクンとうなずく。

珍しく可愛い。

いや、この人、黙ってればめちゃくちゃ可愛いの。

まあ、しゃべっててもときどき可愛いけど。


「何がいいかな」


「美味しいの」


「それが一番難しいな…」


杏子さんと千晶さんと水沢さんと真帆ちゃんと亜由美さんと。

つまりいつもの面々で、並んでいる屋台やファストフードの売店を物色する。


どれもこれも高いし、美味しそうには見えない。

いまいち心が惹かれなかったけれども、適当な店でミートパイを買ってあげた。

夫婦だろうか。

おじさんが料理をして、やけに陽気なおばさんが売り子をしている。

 

よっぽど、お腹が空いていたのだろうか。

杏子さんがさっそくぱくついて、それから目を丸くした。


「む…っ!」


「美味しい?」


「熱い!」


「なんだ…」


「いや、美味しいよ」


夢中になって食べ終えると、油がついたのか、僕のジャージに手をごしごしこすりつける。

いいところのお嬢様なのに、どうしてこんな子に育ってしまったのか…。


「ちょっと、何してんの」


「ほら、ミキだよ」


「う」


両手でぐりっと、合掌ひねりのように首をひねられる。


目で姿を探すと、通路の向こうのほうから、ミキちゃんたちが歩いてくるのが見えた。

おべっか金子君の姿が見えないけど、知香ちゃんと、金髪宝生さんの姿も見える。

落ち着かなくて、観戦どころではなかったらしい。

3人とも、僕たちと同じようにふわふわしているようだった。


「やー。やばいよ、超やばい。心臓が超やばい」


知香ちゃんがちっとも具体的ではない騒ぎ方をしたけど、その気持ちはよく分かる。


これこそが、スポーツの醍醐味だと思う。

素晴らしいパフォーマンスを見て、明日、ほんのちょっと元気が出るくらいのパワーをもらう。

それが気のおけない仲間と一緒だったら、なお素晴らしい。


「みんなと一緒に見たかったわ」


ミキちゃんですら少し興奮気味な表情で、頬が赤かった。


「来年は、トレーナーで代表に賛同させてもらえばいいさ」


ぐびぐびとスポーツドリンクを飲みながら、杏子さんが答えた。


「ま、星島が代表に選ばれるか分かんないけどね」


「が、頑張りまう…」


噛みまみた。


「頑張りまう!」


宝生さんが僕を真似てニコパと笑って、杏子さんがその頭を撫でた。


「案外、みんな日本でテレビ見てたりして」


「う。しゃれにならない…」


「ま、来年のことは来年考えればいいか。まだシーズン終わってないし、世界陸上だって終わってないしね」


「そりゃそうですね」


「もいっこ買って」


「ん?」


「あれ」


杏子さんが僕にパイをねだった、そのときだった。


通路の向こうのほうから、やや急ぎ足に、さっきのはげ頭の記者がやってきた。

探していたらしい。

僕らを見つけて、猫を見つけたときの水沢さんみたいにまっしぐらにやってくる。


「いたいた、やっと見つけたよ!」


「はい?どうかしましたか?」


即座に猫をかぶる杏子さん。見事だ。


「ミキ・ハシェガーワに連絡を取ってほしいんだ。テレビ向けにコメントが欲しい。メールでも電話でもいい。ああもう時間がない、どうにかならないか?」


ちらりと横を見ると、ちょっとだけ、ミキちゃんの眉毛が持ち上がっていた。


「連絡も何も、ミキは目の前にいますよ」


杏子さんが言うと、記者の目がシパシパと瞬いた。


「え?ひょっとして、君がミキなのか?」


「いえ、私はキョーコです。今、日本で一番ホットなスプリンター」


おや。

少し地が出てきたぞ…。


「彼女ですよ、ミキは」


「オーッ、本当に?ミキ・ハシェガーワ?」


杏子さんに紹介されて、はげ頭の記者は大げさなアクションで両手を広げて驚いて、それから笑顔で握手をしようと右手を出した。


だけど、ミキちゃんは仏頂面。

じろりと杏子さんを見て、それからやっと記者を見た。

記者の右手は、空しく宙に浮いたまま。

これが政治の舞台か何かだったら、国際問題になるところだ。


「何か御用?」


いつもの、平坦なトーンの怖い声。

その様子に、びびった宝生さんがささっと知香ちゃんの後ろに隠れる。

記者は鼻白んだ様子だったが、それでも笑顔を崩さず、右手をゆっくりと戻して、ぽんと手を叩いた。


「いや、君がカナッペを育てたと聞いたんで、ぜひともインタビューをと思ってね」


「ノー」


「一言、ほんの一言でいいんだ。5分でいいから」


「ノー」


「そうだ、本当はこんなことはしないんだが、謝礼も用意しよう。ポケットマネーなんであまり出せないが」


「ノー」


「カメラか?カメラが苦手なら、平気になる魔法を教えてあげよう。いいかい、まず大きく息を吸って、こう唱えるんだ」


興味をそそられることを記者が言いかけたけど、最後まで言い切ることはできなかった。

眉毛を持ち上げたミキちゃんが、記者に一歩詰め寄ってじろりとにらみつけたからだ。


「ノー」


それ一本で押し切ってしまう。

ミキちゃんの怖さは、外国の人にも通じたようだった。

口を閉じると、半歩、記者は下がった。

固まった表情で、降参というふうに両手を軽く挙げて、小さく、ソーリーとつぶやく。

助けを求めてちらりと僕らのほうを見たけど、もちろん誰も助けようとはしなかった。


「先に戻るから。浅海さん、あとで話があります」


日本語で、知香ちゃんと杏子さんに一声ずつ声をかけて、ずんずんと戻っていく。

どんな表情をしていたのか分からないが、めっちゃ怒ってます。

前から歩いてきた、腕にタトゥーを入れた数人のいかつい外国人が、さっと道を空けた。


「参った。うちのワイフより怖い」


ハハハと、取り繕うように記者が笑って、杏子さんも同じようにハハハと笑った。

若干、杏子さんの笑顔も引きつっていた。

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