第200話 最終兵器な彼女
「はー。あとは最終兵器に期待するしかないかあ…」
杏子さんがつぶやく。
本命がつぶれてしまったので、対抗馬に頑張ってもらうしかない。
現在のところ、プラスで拾われるには11秒14以下が必要だ。
つまり最低でも日本記録で走らなければならないことになる。
しかし、予選の走りを見る限り、加奈は非常に調子がいい。
最後は少し力を抜いて11秒29だった。
11秒14なら可能性はじゅうぶんあるのではないか。
口には出さないが、多分、みんな同じことを考えていたと思う。
「よし。とにかく、応援だ!」
盛り上げようと、杏子さんがぺしぺしと僕を叩いた。
それでやっとみんなの呪縛がとけて、雰囲気が変わる。
さすがこういうときの杏子さんは頼りになる。
「とにかく11秒14ですね」
「バカ。12秒でも13秒でも、2着に入ればいいんだよ」
「あ。そっか…」
杏子さんのシンプルな言葉に、僕は我に返った。
大事なことをうっかり忘れていた。
そうなのだ。
2着に入ればいいのだ。
そう思ってほかのメンバーを見ると、そんなに速い選手はいないような気がする。
加奈が3レーン。
5レーンのアメリカの選手が前回大会の銀メダリスト。
4レーンのロシアの選手が、決勝に残ったり残らなかったりするくらい。
あとは、どんぐりの背比べといったところだろうか。
アフリカ勢がちょっと怖いところだが…。
「10秒台の選手が3人。SB10秒台は2人」
スタートリストを見ながら、千晶さんが教えてくれる。
もちろん、タイムを見ると厳しい。
しかし、持ちタイムだけで決まるわけではないので、とにかく頑張れの一言だ。
いや、あと一言だけ言わせてもらえるなら、頼むからガチガチになってくれるなよ、と。
「いいほうの前原だな」
加奈が手袋をはずして帽子を脱ぐと、本間さんが言った。
確かに、ものすごく集中した表情だった。
帽子と手袋をかごの中に入れて、ふっと息を吐いてふわふわの前髪をかきあげる。
「カナ・メーハァーッ、ジャプァアーンッ!」
選手紹介用の国際映像のカメラが目の前に来て、堂々と右手を挙げる。
あれだけいつもガチガチになっていたのに。
この大観衆の前、あんなので集中できちゃうんだから、本当、変な女だ。
「on your mark」
選手紹介が終わり、いつものルーチン。
チャンスはある。
チャンスはあると思う。
予選の走りっぷりから考えると、もしかするかもしれない。
2着か、11秒14だ。
難しいのは間違いないが、最後まで硬くならずに走りきってもらいたい…。
「set」
号砲。
185センチの巨体が、空母から急発進する戦闘機のようにテイクオフする。
得意の、電撃スタート。
ダスンとタータンを蹴り上げて数歩、もうそれだけで頭一つ抜けていた。
腕が大きく力強く素早く振れる。
周囲の風を巻き込みかき分けるかのように、身体を前へと進めていった。
ほんの10m。
走るあいだに、もうほかの選手にゆうに1mは差を付けていた。
加速性能が、ほかの選手とは段違いだった。
一気にトップスピードに乗せると、ぐいぐいとリードを奪う。
一歩一歩、加奈は着実に後続を引き離していった。
序盤は完全に、加奈のレースだった。
「よしゃーっ、いけーっ!」
「ピョーッ!」
日本チームが、いや、日本全体が盛り上がる。
中盤、4レーンと5レーンの選手が必死になって加奈を追いかけた。
しかし、ファイナルの常連も、前回大会の銀メダリストですらも、加奈のスピードには追いつけなかった。
185センチの巨体。
それが、前へ前へと、まさに猪のように突き進んでいった。
どこまで速くなるのか、さらにスピードが上がったかのように見えた。
そう。
ついに、絹山大学のリーサルウェポンが、この大舞台でベールを脱いだのだ!
「よしゃああああーっ!」
「やったああああーっ!」
1着を確信して、日本チームは狂喜乱舞した。
そして堂々、加奈が1着でゴールした瞬間、狂喜が困惑に変わり、驚愕に代わった。
「ウオーッ!」
スタジアムが異様な歓声に包み込まれた。
速報タイムが、10秒89を示していた。




