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対角線に薫る風  作者: KENZIE
192/206

第192話 休息と感謝

女子100m予選。

残念ながら千晶さんはタイムで拾われなかったが、新見と加奈が準決勝に進出。

日本人にとって盆と正月がいっぺんにやってきたようなかっこうで終了した。


あとは、明日の準決勝以降を期待することにして、とりあえず午前のセッションが終了。

いったん、僕らは選手村に戻るためにスタジアムをあとにした。


「はー。和食が恋しい」


開幕2日目にしてそんな感じの新見。

美味しくないと言いながらもパクパクと食べる加奈と違って、新見は食欲がないようだ。

心なしか、足どりも重い。


「早く日本帰りたいなあ…」


「その前にゴールドコーストだよ」


杏子さんがうきうきと言って肩を揺らす。

加納コーチがじろりとにらんだけど、世界陸上が終わったあとのバカンスなら、誰にも文句は言われまい。


「和食の店…」


子犬のような目をする新見の頭を、杏子さんがくりくりと撫でる。


「そのくらいあるでしょ。あるよね?」


「あります」


杏子さんに聞かれて、千晶さんはうなずいた。

例によって小間使いにされている。

あれが食べたい、これが食べたい、これもいいねなどと話しながら選手村に戻ると、入り口のところにバンが停まっていた。

ミキちゃんたちがいる。知香ちゃんと宝生さんも。

レンタカーらしく、金子君が運転席に座っていた。


加奈と真帆ちゃんが小走りで近寄っていって踊りだした。

まああれはそっとしておいてあげよう。


「金子君、いろいろ悪いね」


声をかけると、金子君は笑顔を見せた。


「いえいえ。星島さん、最高にかっこよかったっすよ!」


「そうかい?照れるなあ!」


「大きな声じゃ言えないけど、もう、日本のエースですね!」


ブリスベンでもおべっか炸裂。

おべっかと分かってるけど、うれしいぞ!


「お疲れ様です」


ミキちゃんが稲森監督にあいさつをする。


「差し入れ持ってきました」


「え、差し入れって?」


監督が返事をする前に、新見がぴょんと飛び上がった。


「何?たべもの?」


「大したものはないけど。おにぎりと漬物とから揚げと、インスタントの豚汁」


「わーっ!ミキちゃんのから揚げっ!」


新見が、杏子さんみたいにくるくる回る。

知香ちゃんがバンのハッチバックを開けると、ダンボールがいくつも積んであった。

それを見て飛び跳ねて、新見がまたくるくる回る。

とうとう壊れたらしい。


「ごっはん、ごっはん、ごっはーんっ」


加奈みたく歌い出してしまった。

しかも、意外と音痴…。


「すまんな。時間かかっただろう」


「いえ。学祭のときの経験が生きました」


「さあ、並んで並んで。みんなのぶんあるからね!日本帰ったらご飯おごってね!」


ちゃっかり言いながら、ナニワのあきんどが配り始める。

みんな、ありがとうと笑顔で受け取っていく。

何事かと通りがかりの外国の選手が覗き込んだりした。


これぞまさしく日本風の、アルミホイルに包まれた3連おにぎり。

それと、ビニールのパックに詰められたから揚げとキャベツの浅漬け。

おまけに、どこで見つけてきたのかインスタントの豚汁。

もう、これはもう最高だ!


「星島君は、こっち」


僕も並んでもらおうとすると、ミキちゃんに引っ張られる。


「え…、またバナナ?」


「違うわよ。一緒に食べようと思って」


こっそり、助手席からスペシャル弁当を取り出す。


「わ。どこ?どこで食べる?」


「近くに公園あったから…」


「いこいこ!」


こっそり、僕たちは抜け出して歩いていった。

途中、一度だけ振り返ると、知香ちゃんがウインクをしていた。


ブリスベンの並木道を、競技場とは反対側に少し歩いていくと緑地公園がある。

大した距離じゃない。

ホテルからも見える、100mぐらいの距離だ。

鮮やかな芝生が続いていて、木が立っていて、市民の憩いの場となっている。

各国の選手も何人か来ていて、思い思いに、昼寝や読書、ピクニックを楽しんでいた。


風が。

心地いい風が、僕らを優しく撫でていく。


「このへんにする?」


「あ、うん」


ミキちゃんが持ってきたシートを敷いて、仲良くご飯を食べる。


久々の、ミキちゃんの手料理。

新見がくるくる回るのも分かるくらい美味しかった。

もう、中毒になってしまっているのかもしれない。


「女子100m、見てた?」


聞いてみると、おにぎりをほおばりながらミキちゃんはうなずいた。


「見てた。前原さんの変な格好もちゃんと見てた」


「そか。いい走りだったよね?」


「よかったけど、あれ何?あの格好」


「サッカーのキーパーみたい」


説明してあげると、ミキちゃんはちょっとだけ眉を動かした。


「よく分からないけど、そんな単純な話?」


「単純な人間だからなあ」


「あら。よく人のこと言えました」


「むぐ…」


そんな話をしながらご飯を食べて、特製バナナジュースもいただいて少し休憩。


雨が降るという話だったが、半分ほど晴れ間が出ていた。

ブリスベンの空は青く、そして高かった。

海外だからか、単に気分の問題か、絹山の空よりもずっと高く見える。

不思議だったが、とても爽快で、僕はうーんと横になった。


「本当、変な子」


「ん?」


「前原さん」


「ああ。うちは変人多いけどね」


「そうね」


横になった僕からは、ミキちゃんの表情は見えなかった。

長い髪が風でさらさらと揺れて、僕への日差しを遮っていた。

透き通った髪が、とてもきれいだった。


「でも、感謝してる」


「ん?」


「また、世界に連れてきてもらって」


「うん…」


半分、うなずいてから僕は体を起こした。

ミキちゃんの瞳は、いつになく優しかった。


「いや、おれたちが世界に連れてきてもらったと思うんだけど」


「そう?」


「そうだよ。絶対そう」


「二人三脚なら、まだ私も走れるのかしら」


「うん。おれが…、おれたちが支えてあげる」


言い直したのがあれだったのか、ちょっとおかしそうに、ミキちゃんは唇を持ち上げた。


ふっと涼風がミキちゃんの髪を撫でる。

ブリスベンの空に、どこからか雨雲が流れ始めてきていた。

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