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対角線に薫る風  作者: KENZIE
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第169話 ミキちゃんチェック

とりあえず、アイスコーヒーを飲みながら一服する。


天気はよろしくないが、アイスコーヒーは美味しい。

飲み過ぎるとミキちゃんはいい顔をしないけど、夏場のアイスコーヒーは格別だ。


本間君と詩織ちゃんは初めてなので、ものめずらしそうに別荘内をキョロキョロ中。

まあそうなるよね。


「今年は、ほんとに合宿になりそうだねえ」


コーヒーをストローでぶくぶくさせながら杏子さんが言う。

毎年、泳いで食べてごろごろするだけの合宿なのだが、今年はさすがにそうもいかない。

何しろ世界陸上の代表が集まっているのだ。

いつものように、のんびり遊んでいるわけにもいくまい。


僕はまあ腐るほど遊ぶけど。


「午前中は汗流して、暑くなってきたら泳いで、涼しくなってきたらまた練習かな」


「こら、やめなさい、みっともない」


思わず、杏子さんをたしなめる。

いつまでもコーヒーをぶくぶくさせていたからだ。


「う…、癖なんだよね」


「裏の野球場とか使っていいのかな?」


「いいんじゃない。ときどき、草野球とかしてるみたいだけど」


「市営?」


「たぶんね。千晶、ニュー水着買ったんだっけ?」


「え、まだ…」


「今度買い行こ。オーストラリア用に。悩殺水着」


誰を悩殺するつもりなのか、あえて聞かないでおく。

 

テーブルの上では、ノートパソコンを開いて、ミキちゃんたちが何か始めている。

ちょっと覗いてみると、グランプリのビデオを見てフォームのチェックをしていた。

新見と加奈、真帆ちゃんがそれを食い入るように見つめる。

真剣な表情だ。


僕と本間君も、それを後ろから覗き込む。


「接地時間みじかっ…」


真帆ちゃんが感心している。

横からのアップで、新見の走りがスローで映っていた。


「足がよく回ってるわ。軸もぶれてないし」


ミキちゃんが真正直に褒めて、新見が少し恥ずかしそうに笑った。


「何かちょっと感覚がつかめてきたかも」


「骨盤がちゃんと動いてる感じね」


「あまり意識してないんだけど…」


「意識しすぎるとかえってよくないのよ」


「そっかあ」


それから少し、物理学的な講義が続いたけど、省略。


「前原さんは、どうしていつも硬くなるのかしら」


「うう…」


ミキちゃんが真正直に指摘して、加奈が泣きそうな顔をした。


「何か、どうしても緊張しちゃって…」


「ちゃんと力を出せたら、このへんにいるはずよ」


トントンと、ミキちゃんはディスプレイを叩いた。

それは疾走する新見の数m前だったけど、誰も何も言わなかった。


「あなたは、フィジカルはすごいし」


珍しく、ミキちゃんが加奈を褒める。


「技術はまだまだだけど、努力を苦にしないタイプだから、世界も狙えると思うんだけど」


「そ…、そうですかね…、え、今、褒められた…?」


「半分はね」


「そっかあ。えへ、えへっへっへえええ…」


うれしそうな加奈。

でもちょっと笑い方が気持ち悪い…。


「あたし、あたしはどうですか?」


真帆ちゃんが言って、また少し、物理学的な講義。


スプリントは、物理学である。

そんなことができるかどうか分からないけど、僕の肉体をコンピューターで解析し、理想的なスプリントをさせたら、きっと9秒台は楽々出ると思う。


だが、実際にやるとなるとこれが難しい。


「うーん」


唸りながら、真帆ちゃんが立ち上がってソファーの後ろのほうに歩いていく。

それで、足を振り上げて走る動作をしようとしたけど、実際にリビングの中を走り回るわけにもいかず、すぐに戻ってきて座った。


「あたし、接地が近過ぎますかね。体に」


「にゃんにゃんにゃん」


もちろんミキちゃんの返事じゃない。

モモちゃんが鳴いているわけでもない。

キッチンから聞こえてくる水沢さんの声だ。


あれはそっとしておいてあげよう…。


「接地はいいけど、蹴りすぎだと思う」


「にゃーん」


「加速の段階で、足が流れてるのよね」


「にゃんっ」


「一応、意識はしてるんですけど」


「それと、もうちょっと体幹強くしないと」


「にゃんにゃーんっ」


個々によって変わってくるので難しい。

例えば、真帆ちゃんと加奈を比べたら、身長差が30センチ近くある。

当然、動きがだいぶ変わってくるわけだ。

人によって、足の長さも骨盤のかたちも違ってくるだろう。

マニュアルがあって、そのとおりのスプリントをすればいいというわけではないのである。


大型トラックと軽自動車では、カーブの曲がり方も違うでしょ?


「ん?」


しばらく、ああでもないこうでもないと試行錯誤を続けていると、退屈なのか、シャクトリムシみたいに、杏子さんが寝そべったままずりずりとソファーの上を移動してきた。


新見の太ももにあごを乗せ、手を伸ばすとミキちゃんの足をぺたぺたと叩く。

少し眉を動かして、面倒くさそうに杏子さんを見下ろすミキちゃん。


「何ですか」


「晩ごはんナニ?」


「にゃーん?」


おや。

何かシンクロしてきたぞ…。


「立派なクルマエビがあるので、天ぷらかエビフライにしようかと思ったんですけど」


「トンカツ屋さんみたいなエビフライ食べたいな~。サクサクの」


お。

それはいいと思います!


「トンカツとエビフライ。タルタルソースたっぷり付けて食べたいな」


「まあ、うまくできるかは分からないですけど」


「トンカツ!エビフリャーッ!」


加奈が騒いで、新見が満面の笑みを浮かべた。

名古屋風になっている理由は不明だが、真夏だというのにみんな食欲旺盛だ。


「ただいまーっ」


美味しい揚げ物の話をみんなでしていると、ようやく聡志と織田君が戻ってきた。

 

だけど、頼んでいたのをすっかり忘れていたらしい。

杏子さんは、両手にファストフードの袋を持った聡志を見て、あっという顔をした。


「ああ。そうだった、すっかり忘れてた」


「ひどい。大雨の中買いに行ったのに!」


「ごめんごめん。おつかれさん」


「はい、お待ちかねのチーズバーガーとチョコシェイク。みんなのぶんもありますよ!」


「んー、やっぱあたしいいや」


得意の、気分屋的わがまま大爆発。

聡志はがくんとじゅうたんの上にひざをついたが、すぐに立ち上がって鼻を膨らませた。


「でも、一応ちゃんと買ってきたわけだから、例のアレをですね」


「ん?」


「その、約束を、ぶちゅっと…」


「ああ。そんなの嘘に決まってるじゃん」


「嘘…?」


「うん。うっそでーす」


聡志がばたんとじゅうたんの上に倒れた。

 

その隙を見計らって、加奈がささっと袋を奪ってテーブルの上に乗せた。

野獣のような素早い動きだった。

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