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対角線に薫る風  作者: KENZIE
147/206

第147話 わりと涙もろいほう

続く、男子200mは今季好調の玉城豊の優勝に終わった。


2着に、神奈川陸協所属の土井恒星。

3着が十文字で、4着が本間秀二という結果だった。


「さーて。皆さんお待ちかね」


杏子さんがスポーツドリンクを飲み干し、空のペットボトルを僕に押し付けたところで。

2日目の最終種目、女子100mの選手がトラックに姿を現した。


今回の女子100mは、激戦と言っていいだろう。


主な選手を内側から見ていくと、3レーンに宮本真帆。

成長著しい、リアクションが◎の、ちょんまげスプリンターだ。


4レーンが、本命と言っていいだろう、ライテックスの山本幸恵。

自己ベストは、堂々の日本歴代2位、11秒36。


5レーンには、走る大和なでしこ、アサミACの山田千晶。

200mのほうが得意だが、11秒38を持っている。

100mでも200mでも日本一になったことがないので、今回は狙っている。


6レーンには、関カレで優勝したシンデレラガール、鈴木恵美子。

特になし。


8レーンに、絹大のリーサルウェポン、巨娘こと前原加奈。

レーンに出てスターティングブロックを調整するが、いつもどおり動きがおかしい。


「あー…」


新見が嘆く。

大会のグレードが高いせいか、いつにもましてひどいのだ。

ぎくしゃくとスターティングブロックをセットして、一応、スタート練習。

ぴょんっと飛び出して、戻ってきてスタートライン後方で直立不動になる。


どこを見ているのだろう。

若干、上向き加減で、まるで空から電波でも受信している感じだ。


「どうにかならないのかな?」


新見が振り向いて言ったけど、どうすることもできない。


「何だろうなあ。目に見えない問題は難しいな」


「うん。そうだよね」


新見が納得してまた前を向く。


5レーンの千晶さんが、わざわざ8レーンまでいって何か話しかけている。

千晶さんの半分は優しさでできている。

だけど、それもまったく効果はないようだ。

こくこくとうなずいてはいるけど、加奈は相変わらず電波受信状態だった。



「on your mark」



選手が紹介され、スターターの合図でスタートラインにつく。


場内が一気に静かになる。

どこか遠くから、子どもの声だけが聞こえてくる。

それが収まって、緊張の一瞬。

見ている分には、この瞬間はとても心地いい。



「set」



号砲が鳴って、選手が一斉にスタートを切った。


8レーンの加奈がぴょこんと立ち上がった。

そこでほぼ加奈のレースは終了。

序盤から筋肉任せで、技術もへったくれもない。

あれでよく進んでいるものだ。


序盤を制したのは、関カレ女王の鈴木恵美子。

それと、千晶さんもいい。

先頭にぴったり付けている。

逆に、本命、ライテックスの山本幸恵がよくなかった。

スピードに乗り切れずにほとんど加奈と並ぶような感じだ。


「えみちゃんガンバーっ!」


声援が飛ぶ。


先頭は鈴木恵美子、差がなく千晶さん。

真帆ちゃんは少し遅れているが、後半出てくる選手なので悪くはない。

ベテランの山本はらしくないスプリントで、付いていけない。

僕から見ても、軸がぶれているのが分かる。


そして徐々に前に出てきたのは、加奈とは正反対に、大舞台に強い千晶さんだった。


「山田さん、いいわね」


ミキちゃんのお墨付きが出る。

千晶さんが先頭の鈴木恵美子に並びかける。

真帆ちゃんも、後方から追ってくる。

中盤、大混戦。

千晶さんがじわりと抜け出す。


「お、お、お」


杏子さんが僕をゆさゆさと揺さぶった。

千晶さんが先頭。

わずかに遅れて鈴木恵美子が続き、真帆ちゃんが懸命に追い上げてくる。

山本幸恵と加奈はさらにその後ろだ。


スプリントは、難しいものだ。

いったん、歯車が狂ってしまうと、レースの最中に修正するのはほぼ不可能である。

前半は駄目だったけど、後半は何とか巻き返して、なんてことはまずできない。

10秒ちょっとしかないし、そもそも序盤の加速区間でほとんど勝負が決まっている。


「お、お、お、お」


後半、鈴木恵美子のスプリントが少し乱れたか。

真帆ちゃんが鈴木恵美子に迫る。

やっと目が覚めた加奈が、パワーだけで大外8レーンから追い込んでくる。

山本幸恵も必死に食らいつくが、これは表彰台までか。


「お、お、お、お、お…!」


真帆ちゃんも、千晶さんまでは届かず。

レースは結局、千晶さんがそのまま押し切った。


「おーっ!」


「やったやったやったっ!」


杏子さんがぎゅっと抱きついてくる。


スタンドが大きく沸き、万雷の拍手が千晶さんに向けられた。

そして、タイムを見てまた大きく沸く。

11秒29。

なんと11秒29だ!


「おーっ!やったやった!」


「ナイスラーンッ!」


B標準突破で、拍手と声援が起きる。

これで代表内定ではないが、ほぼ間違いなさそう。


ほかの選手の手前、あまり大げさに喜ばないところも千晶さんらしかった。

数人の選手と握手。

小学生くらいの女の子にマスコット人形を手渡されて、しゃがんで頭を撫でる。

ありがとう、とちゃんとお礼を言ってる。

そして、きちんと立ち止まって、折り目正しくトラックに一礼。

それから、やっとスタンドに手を振る。


「やったやった!ちあきーっ!」


杏子さんが手を振り返すと、千晶さんの涙腺が切れてしまう。

そして、それを見た杏子さんの涙腺も緩んだ。


「やー、泣けてきた。めっちゃうれしい」


杏子さんはそんなふうに述懐した。

自分が勝ったときよりうれしそうで、こっちまで泣きそうになったのだった。

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