第141話 デレはなかった
しばらく、わいわいとおしゃべりをする。
加奈がはしゃいでペチャクチャしゃべっていたが、ふと気付くと、向こうで藤崎小春がぶすっとした表情で僕を見ていた。
ちょっと目が合ったので、慌ててそらす。
少したってからチラリと見ると、藤崎小春はまだ僕を見ていた。
くいっとあごで何か合図をする。
何だろうと思っていると、くいくいと合図を繰り返す。
黙って見ていると、そのうち藤崎小春は怒った顔でダスンと地面を踏ん付けた。
(ん?)
ぱくぱくと何か口を動かしている。
何だかよく分からないけど、僕は自分を指差してみた。
(おれ?)
コクコクと藤崎小春がうなずく。
それからまたくいっと合図をする。
(あ、向こうへ、行け?)
ジェスチャーをするとコクコクとうなずく。
(おれ、向こうに?)
コクコク。
(おれが、向こうにいけばいいの?)
コクコクコクコク。
(おれが、向こうにね?)
ダスンっ!
何だかよく分からないけど、立ち上がってテクテクと講義棟のほうに歩いていく。
少したってから、藤崎小春が歩いてきた。
ついに、いよいよ、ぼこぼこに殴られるときがきたのだろうか。
まあ、相手は女の子だし、僕が手をあげるわけにはいくまい。
いや、相手が男だって同じことだ。
暴力は何も生まない。
歴史上、暴力で解決したことなど何もないのだ。
だから暴力はいけません。
やめてくださいね。お願いします…。
「んと、何かな?」
おそるおそる、聞いてみる。
藤崎小春は不機嫌な顔をしていたけど、わざとらしくごほんとせきをしてうつむいた。
何か、靴で、レンガの上の石をコロコロしている。
「あ、あんた、ちょ、調子はどうなのよ。最近」
なんだ?その入り方は…。
「あ、うん。まあまあ」
「そう。まあまあね」
「うん」
高柳さんの頭の中と同じぐらいに密度の薄い会話。
一体何なんだろうと思っていると、藤崎小春は顔を上げてちらっと僕を見た。
目が合うとすぐに目を伏せる。
いつもこのくらい、大人しくしていればけっこうかわいいのに。
「…たい」
石をコロコロしながら、藤崎小春は小声で言った。
「ほ?」
「海、行きたい」
「海」
「海。咲希先輩と一緒に」
「ああ、なんだ」
そんなことかと思ってほっとした。
いきなり、何をされるのかと思ったからだ。
だけどすぐに、それは意外と難題だということに気が付いた。
いろいろ片付ける問題がたまっている。
不発弾みたいな女の子なので、とりあえずちゃんと処理することが肝要だと思った。
「いいけど、条件があります」
言うと、藤崎小春がまゆをひそめた。
「な、何よ」
「みんながぞろぞろついてきたら困るから、ほかの子にはないしょにすること。水沢さんにお願いして許可もらうこと。水沢さんがダメって言ったらダメ。それで、ミキちゃんにちゃんと謝ること」
「…うん」
「分かった?」
「分かったわよ」
通じた。ちょっとうれしかった。
僕への態度も何とかしてほしいけど、それを条件に入れるのは何となくいやらしいかな。
でも、おそらく、徐々によくなっていくに違いない。
宝生さんとだって仲良くなれたのだ。
「い、言っとくけどね」
しかし、藤崎小春は半歩下がりながら、びしっと僕を指差した。
「あ、あ、あたしに指一本でも触れたら、すぐ訴えるからね!あんたが変態なのはみんな知ってるんだから!」
言い捨てて、タタタと走っていく。
別に僕は変態ではないのだが、そう思い込んでいるらしい。
一体、誰がそんな噂を流したんだろうと考えたが、心当たりが多過ぎて特定できなかった。