第12話 ポッキーよりも簡単に
みんなと一緒にサブトラックでダウンをしながら、僕はぼんやりと新見のことを思った。
彼女の走りが、僕の脳裏に焼きついていた。
何度もフラッシュバックして頭から離れなかったけど、古いビデオみたいに、どうにも不鮮明であいまいだった。
どうしたって、僕自身に技術的な裏付けがないからだ。
「よーし。飯だ飯だ」
ダウンが終わって、それぞれ食事なり応援なりに散っていく。
「星島、メシは?」
聡志に誘われたけど、僕は芝生の上にごろりと横になった。
「んー。いいや」
「また金ねえの?」
「いや。まあ金もあんまないけど、まだいいや」
「じゃあおれ行くぞ」
「何食べんの?ピロシキ?」
「お前、おれがピロシキ食べてんの一度でも見たことあるか?」
「返しが普通でつまらん…」
「うるせっ」
騒々しく言って、聡志が柏木さんのあとについていく。
みんなでわいわいと、ちょっと楽しそうだったけど、僕は一人、芝生の上の横になって流れていく雲を見つめた。
自分の走り。新見の走り。
重ねようとしても重ならない。
だけど、今日は自分なりにいい走りができた。
大丈夫、焦る必要などない。
焦る必要などないのだ。
焦らなくても大丈夫。
焦ることはないんだってば…。
(うー)
トンネルを抜けたと思ったら早くもまたトンネルに突入して、20分ほど、うだうだしていただろうか。
突然、ひょいっと僕の前に顔が現れた。
当の新見沙耶が、僕の顔を覗きこんだのだった。
「おっ」
急に現実に戻されて、しかも驚いて、僕はぴょんと跳ね起きた。
新見の笑顔は眩しかった。
「寝てるのかと思った」
「ぼんやりしてた」
思わず、きちんと体育座りをする。
横に座りながら、新見はくすくすと笑った。
「11秒23切ったよ」
「あ、うん。風なかったらよかったね」
「なんでも言うこと聞いてくれるんだよね、確か」
悪戯っぽく新見が言って、僕は戸惑った。
足りない頭をくるくると回転させて、それから慌てて遮る。
「え、それ違うよ」
あれは加奈に言った…、んだよね?あれ?
「11秒23を切ったやつの言うことは、何でも聞いてやるって言ってたじゃない」
「いや、あれ、そうだっけ?」
「何してもらおうかなあ。美味しいご飯でもおごってもらおうかなあ」
新見が笑顔で言って、僕は思わず鼻息を荒くした。
それはつまり、デートのことですか!
「あれだ。あれだよ。せいぜい牛丼おごるくらいだよ」
「ふうん。牛丼」
「その代わり、1年分」
1年間、毎日デート作戦。
どうだ。
仲浜高校の馬謖と呼ばれた僕の深慮遠謀は!
「あははは。そんなに要らないよう」
あっさり看破(?)されたけど、やっぱり新見の笑顔を見ていると癒される。
いつまでもじっと見ていたかったけど、そういうわけにもいかないので、僕はちらちらと横目で盗み見た。
新見は笑顔を浮かべたままで、何だかすごく機嫌がよさそうだった。
「星島君って、意外と面白いんだね」
ひざを抱えて、突然、新見はそんなことを言った。
意外と、っていうのが引っかかるけど、まあよしとしよう。
「そうかな」
「もっと感じ悪い人だと思ってた。冷たくてカッコつけてて」
僕はがっくりと肩を落とした。
そんなふうに思われてたのか…。
「あはは。ごめんごめん」
新見は楽しそうに手を振って否定する。
「いいけどね…」
「もてるからって調子乗って!とか思ってた」
「いや、別に調子乗ってないし、それ以前にもててないし」
「またまたあ。嘘ばっかり」
「いやマジで」
「ふーん。杏子さんと付き合ってるんじゃないの?」
「いや全然」
「隠れてこそこそ付き合ってたりしない?」
「しないしない」
「なんだ。そっかあ」
「彼女いたらもっと調子乗ってます」
「あははは」
奥手なのかもしれない。
女の子とはわりあいしゃべるほうだし、仲のいい子も少なくないけど、どうにも彼女ができる気配はない。
とにかくそういうことで、バレンタインデーも誕生日もない。
もちろんクリスマスも何もないし、それ以前に電話番号知ってる子もいないのだ。
そんなふうに説明すると、新見は憐れむような表情で僕を見た。
「そっかあ。言ってくれたらチョコぐらいあげたのに」
「欲しい欲しい欲しい欲しい。ちょうだいちょうだいちょうだい」
「あははは。超必死」
「そりゃあ、まあ…」
男子はそんなもんです。
天下の新見沙耶のチョコだし!
「じゃあ、来年ね」
「やった!ホワイトデーには牛丼を…」
「あはははは」
心底、新見は楽しそうに笑った。
もしかすると、僕たちは相性がいいのかもしれない。僕は勝手にそう思った。
新見はたぶん、好記録をマークしてちょっとテンションが上がっているだけなのだろう。
だけど、思うだけなら僕の勝手だ。
誰にも迷惑はかけていない…、よね?
「好きな子はいないの?」
ふいに聞かれる。
焦って、僕はしどろもどろになった。
「まあ、いるようないないような?」
「誰?うちの学校の子?」
「お、教えない」
「いいじゃん。ないしょにするから」
流れが来ている。
今しかないと思った。
どうせ、駄目でもともとだ。
目の前を、長距離選手の一団が走っていったが、サブトラックは静かなものだった。
僕は新見を見て、それから高い空を見て、最後に芝生を見た。
100mのスタートのときより緊張して、あっという間に口の中がカラカラに渇いた。
「意外と近くに、いるかも」
どうにも緊張してしまって、声があまり出なかった。
だけど新見には聞こえたようで、笑顔のまま、周囲の様子を伺いながらちょっと顔を近づけて囁いた。
「近くって、陸上部?」
察してくれてもよさそうなものなのに、新見は鈍感らしい。
僕は静かに息を吸って、それからまた静かに吐いた。
高い空から、強い風が僕の背中を押していた。
言ってしまおう。
僕は決心して、顔を上げて真っすぐに新見を見た。
「ん?」
結果的に言えば、それが失敗だった。
新見の笑顔があまりにも眩しすぎて、それを直視したがために心が折れてしまった。
もう、僕の心なんて、ポッキーなんかよりも簡単に折れるのだ。
「な、内緒」
無理だ。
いくらなんでも、告白初心者にこのシチュエーションはハードルが高過ぎる。
「なーんだ。いいじゃん、教えてよ」
新見が笑って、それからぴゅうっと強く風が走り去ったときだった。
「のぞむくうううううぅん!」
前方から、加奈が大きく手を振りながらドタドタ走ってきた。
新見は加奈を見て、僕を見て、それからちょっと笑った。
「もしかして?」
勘違いされては困る。僕は慌てて手を振った。
「それはない。断固として」
「そっか。邪魔しちゃ悪いから行くね」
「違うってば」
「あははは。千晶さんとご飯食べてくるの」
「あ、そっか。いってらっしゃい」
「うん」
にこっと笑って、新見は立ち上がるとたたたっとサブトラックから出ていった。
一気に緊張が解けて、僕の魂は口から抜け出て遠く1マイルの彼方まで飛んでいった。
加奈が何か騒いでいたけど、耳には入ってこなかった。
今のは、すごく惜しかったような気がする。
言えない自分が悪いんだけど、新見も、もうちょっと粘り強く聞いてほしかった。
それよりあの言い方で察して欲しかった。
察して、お互いにパスがしやすい状況に持っていってほしかった。
あんまり僕に興味がないんだろうか。
ないんだろうな。
皆無なんだろうな…。
「ん。のぞむくん、どしたの?」
「いや。何でもない」
泣いてない。泣いてないよ。
「でさ、どうかな?いいよね?」
「何が?」
「だからあ、今日の夜、みんなでご飯。ちゃんと聞いてよ!」
加奈は唇をとがらせてどすんと地団駄を踏む。
芝生を、大事に。
「みんなって?」
「ハギワラ先輩でしょ。杏子さんと千晶さんと、沙耶さん。あと…、村上さん」
ミキちゃんのところだけ表情が曇る。
よほど嫌いらしい。
「ふうん。まあいいけど」
「今日、千晶さんの誕生日なんだって」
「ああ。そうなんだ」
山田千晶さんは3年生の短距離選手だ。
とてもまじめな性格。
走る大和なでしこ。
陸上部の良心とも言われており、いつもほのぼのしているのでみんなに可愛がられている。
特に杏子さんは千晶さんにご執心で、いつもベタベタしている。
よくパシリに使われているみたいで、ちょっとかわいそう。
もう3年生だというのに…。
「一緒にプレゼント買いにいこ?」
「ん。あとで行くか」
「えへへ。初デート」
「やっぱやめた」
「えーっ」
加奈はまた唇を突き出して、それからじっと僕を見た。
「のぞむくん、ひょっとしてあたしのこと嫌い?」
「いや、まあ、嫌いってことはないけど」
「よかった」
ほっとした表情をして、加奈はえへへと照れくさそうに笑った。
悪い気分はしなかった。




