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大佐の犬(1)

 解読中の手帳によれば、現在世界で一般的に流布している占星術は、どうやら古代トレキア天文学を原形としているようだった。

 天文学教会学校で占星術を専攻した占星術師たちは、国や王家に仕えて吉凶を占い、中でも魔法使いの血を引く占星魔術師たちは、『星の契約』の公証人として活躍した。



「今は亡きリピンコット夫人の鉤鼻は、中世の魔女を彷彿とさせるそれは美しい形状でしたのよ。お孫さんのマジュリカさんは全く平凡でお可愛そうになるくらい。あの方はきっとリピンコットの血よりも、お父様の家系の血を多く受け継いでしまったのでしょうねえ」

 マジュリカさんのおばあさんのお抱え占い師だったミス・キルスティンは、失われし魔法文明の頃の風貌をしていた。蜜蝋を塗って白粉を叩いた肌に、ほとんど消えかけた亜麻色の眉。きらびやかな宝飾品にローブやドレスを纏う姿は、このご時世ともなると街ではとんと見かけなくなった。

 ミス・キルスティンはルピヤードの公証占星魔術師であり、僕とマジュリカさんの『星の契約』を結んだ星詠みでもあった。『公事・神事・祭事・慶弔などで魔法に纏わる一切の儀式を執り行うときには、必ずミス・キルスティンに頼むこと』というおばあさんの遺言が無い限り、マジュリカさんが自らこの占星魔術師と関わり合いを持つことなどなかったに違いない。

「あたくし、マジュリカさんがお小さいときから知っておりますけれど、あの方はこまっしゃくれた生意気なクソガキで――あら、失礼、少し言葉が過ぎましたかしら。でも、本当に鼻にかかる嫌味な子供でございましたのよ。おばあ様であるリピンコット夫人にわがままばかり仰られて、お仕事で忙しい夫人をよく困らせておりました。お母様はマジュリカさんをお産みになったときに亡くなられて、お父様はお父様で婿養子でございましたでしょう? リピンコット夫人とはそりが合わずに出て行かれてしまいましたの。まあ、そういった背景を考えると、多少ひねくれてお育ちになられても仕方なかったのかもしれませんわねえ」

 ミス・キルスティンのころころとした笑い声が草原に響き渡る。僕はマジュリカさんが早く外出先から戻ってくることを祈りながら、古びた手帳に視線を落とした。

 クロリア・ホールから戻った僕は、明け方近くまでこの手帳の解読に没頭していた。マジュリカさんが取り戻した『魔法の目』とは、自らの視力を代償にして得られる優れた天体観測の力であり、それはトレキアの民が先祖代々隠し守ってきた『秘密』に辿り着くための地図の役割を担っているようだった。その秘密が一体何であるのかや、『魔法の目』の使い方をこれから読み進めていくところだったのに、面白いところでとんだお邪魔虫が入ってしまった。ミス・キルスティンは恐ろしいほどに話が長いのだ。

「あたくしにとってはマジュリカさんのことなど本当はどうだって良いんです。けれども、リピンコット夫人には大変お世話になりましたので――夫人は旅先で記憶を失くして行き倒れていたあたくしを助けてくださったそれはお優しい方でしたわ――それで仕方なくこうして色々と面倒を見て差し上げておりますの」

「マジュリカさんは買い物があるとかで朝早くから街に出かけたそうですよ。いつ帰ってくるかわからないし、出直されたらどうですか?」

「先程秘書の方から聞きました。でも、出直すわけにはまいりませんの。お戻りになられるまでいつまでだってお待ちしますわ。今日は特別な用事がありますのよ。ええ、それはもう、未だかつてないほど重要なお知らせでしてよ」

 僕はがくりと項垂れて、「そうですか」と草原に寝転んだ。

「これをご覧になって、スカー。リピンコット家に何かよくないことが起こる予兆に違いありませんわ。ええ、まず間違いありません。あたくし、それで心配になってわざわざこうして参りましたの」

 僕は手帳で顔を覆い隠して解読の続きをしていたが、ミス・キルスティンはそれを押しのけるようにして強引にアストロラーべを突きつけてきた。

「ほら、おわかりになりまして? この位置にある星が何かとてつもない影響を及ぼしているのです。東の方角、五つ子星座のすぐ近くですわ」

「ミス・キルスティン、僕は今マジュリカさんから頼まれた仕事で忙し……」

「星がひどくざわめいておりますの」

 ミス・キルスティンは僕の言葉を完全に無視して話を続けた。

「占星術師と違ってあたくしたち占星魔術師は、『予感』でも星を詠みますのよ。先祖が遺した魔法の、それも極限られた一部の数式を詠み上げることしか出来ませんけれど、曲がりなりにも魔法使いの血を引いていますからね」

 そう言って、彼女は僕の右手を掴み取り、手相でも見るようにして掌に刻まれた星の刻印を指でなぞった。

「あたくしがお二人の『星の契約』の公証人を引き受けたのも、ある種の予感に突き動かされたからですわ。しかし、いくらリピンコット夫人のご贔屓あれど、公証占星魔術師であるあたくしが届出もない違法な契約を引き受けることは、本来では有り得ないことなのです。マジュリカさんは契約に際して一言だって理由を述べませんでしたが、あたくしにはそれを知る権利があると思いますのよ」

 なんだか話の流れがまずいことになってきた。僕は根掘り葉掘り色々なことを聞かれる前に先手を打とうと試しみる。「理由なら直接本人の口から聞きましたよ。マジュリカさんはひとりで死ぬのが寂しいから、僕を星にしたのだと――」

「契約の背景は人それぞれですけれど、大抵は星との密接な関係から持ち込まれることが多いのです。星に看取られたいほど愛しているか、星が看取りたいほど愛しているか、のどちらかですわ。失礼ながら、あたくしにはあなたとマジュリカさんがそんなに親密な関係だとは思えませんの。あなたがルピヤードにやって来たのはほんのちょっと前のことですし。よって、何かやんごとなき事情があるのではないかとご推察致します」

「あの、僕、こう見えても本当に忙しくて……」

「そもそも、あなた方は一体いつどこでどうやってお知り合いになりましたの?」

 これ以上厄介な質問をされたら敵わない。僕は弾かれたように草原から立ち上がると、忙しさを理由にあたふたと館に向かって歩き出す。

「お待ちなさい、スカー! レディーを置き去りにして立ち去るだなんて失礼ですわよ! 聞いてらっしゃるの? スカー! スカー!」

 軍用機が空を横切る轟音の中、ミス・キルスティンはその音に負けじと声を張り上げながら僕の後を追いかけてきた。

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