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舞闘姫ミルカ

作者: Beo9
掲載日:2026/08/19

戦うご令嬢が書きたかったのです

「スロー、スロー、クイッククイック」

 穏やかな音楽の流れる中、伯爵令嬢ミルカは講師と手を組み、曲に合わせて体を動かす。

 足運び、体の上下動、そして視線。

 相手と合わせ、一体となって踊るダンスの時間が、ミルカは好きだった。

「はい、では今日の練習はここまでにしましょう。今日もお上手でしたよ、ミルカ」

「はい、ありがとうございました先生」

 楽しい時間はあっという間だ。しかし、ミルカの心はそれでもなお弾む。

 部屋に戻ると、着替える前に侍女達をすべて下がらせる。そして部屋に誰もいなくなると、ミルカは静かに目を瞑り、口の中で小さくリズムを取り始める。

「タンタッタ、ルンタッタ、タンタカタ、ルンタッタ」

 自分で作り上げるリズムに合わせ、ゆらゆらと体を揺らし、リズムをとるように体を上下させる。

 ひときわ強く息を吐き、目を開ける。そして、ミルカの体が躍動した。

 頭上まで右足を蹴り上げ、思い切り振り下ろす。右足を軸足に変え、回転と共に左足を振り回す。

 体を伏せたと思えば頭上から足が降り、その足を戻す力を利用して起き上がる。手を猫のように丸めたかと思えば、そのまま猫が引っ搔くような動作を前、後ろ。足を出してしゃがんで回転、即座に軸足を変え、大地を強く踏み鳴らす。

「タッタラタ、タッタッタ、タッタラタ、ランタッタ。タンタカタ、ランタカタ、タンタカタッタッタ、タッタカタ、タン!」

 最後に中腰のまま前方を睨みつけ、口ずさんでいたリズムが止まる。そのまま数秒経過してから、ようやくミルカは大きく息をついた。

 すっかり全身汗だくである。ミルカはベルを鳴らすと、部屋に入ってきた侍女へ申し訳なさそうに微笑んだ。

「ごめんなさいね、ちょっと夢中になっちゃって」

「いえ、お気になさらず。ミルカ様が楽しまれているようで何よりです」

 そう言いながら、すっかり慣れている侍女達はミルカをてきぱきと着替えさせるのだった。


 伯爵令嬢のミルカは、体を動かすのが好きだった。

 父であるアグリスは、その武によって子爵から伯爵へ陞爵されたという経歴もあり、その遺伝だろうと笑っていた。

 とはいえ、そこは伯爵令嬢。さすがに剣を振るなどということは許可できず、ほぼ唯一、女子が体を使うダンスに夢中になっていった。

 そんなある日のこと。アグリスとミルカはお忍びで町へと繰り出した。ちなみにまったく忍べてはおらず、町人は無言で微笑みお辞儀したし、衛兵は100%『伯爵様と間違えて』敬礼していた。

 そして、町の広場まで来た時だった。旅芸人の一座が何か催し物をしており、普段聞くことのない、珍しい音楽が聞こえたため、幼いミルカはそれに惹かれた。

「おとうさま、踊りを踊ってるようですわ。見てみたいですわ」

「あの踊りはな……やめておきなさい」

 ミルカは知らなかったが、旅芸人の『踊り子』とは踊りそのものより、それによって見える肌や美貌を見せることが多く、さらに黄金色のお菓子などで熱心にお誘いすれば、その男性のためだけにその男性の上で『踊る』ことも多かった。

 それゆえ、さすがに教育に悪いからと素通りしようとしたのだが、ミルカは食い下がった。

「でもでも、見たことない踊りです。ミルカ、踊り好きですわ。見たいですわ」

「いや、ミルカ……その踊りはちょっと……む?」

 言いながら、その踊りを一瞥したアグリスの動きが止まった。

 その踊りは、『演舞』というより、まるで『演武』のようだった。

 踊りの中に隠してはいるが、明らかに攻撃が多く含まれていた。そうなると『武』によって地位を得たアグリスにとっても、その踊りは興味深いものだった。

 舞が終わってなお、ミルカはもっと見たいとねだった。アグリス自身も興味があったため、隠れて護衛している騎士に頼んで一座を領主の館に招待した。

 そうして話を聞いてみれば、やはりその舞は『武』を多く含んだものだった。

「はい、私達の舞は、舞に見せかけた武術なのです。発祥は、領主の圧政に苦しんだ民が……あっ」

 しまった、という顔をする一座の者に、アグリスはそれを笑い飛ばした。

「気にするでない。お前達は、私を害そうとしているわけではないのだろう?それに、良き為政者ばかりでもないのは事実だ」

「ひ、広き御心に感謝します」

 曰く、その領主は民を苦しめ、しかし蜂起などされぬよう、武器を取り上げたという。そして武に繋がるすべてを禁止したのだが、踊ることは禁止できなかった。

 故に、民は踊りと偽って武を鍛え、いつか領主を倒そうと秘かに牙を研いだのだという。

「まあ、あくまで伝承ですので、これのどこまでが事実かはわかりかねますが」

 身も蓋もないことを言ってはいたが、ミルカにとってはそんなものはどうでもよかった。

 とにかく、見たこともないすごい動きで、すごい踊りで、とってもとっても楽しそうだった。だからこそ、ミルカは何度も何度も踊りを見せるよう頼んだ。

 結局、一座の者は一週間ほど伯爵邸に留まることとなり、恐らく人生で一番踊らされた。

 ちなみに、伯爵邸に来てからの一座の服装は露出が抑えられていたため、やはり踊り子そのものを売ることも一応はしていたらしかった。

「二人だと動きが変わりますのね?なぜ下がって避けないのかしら?」

「二人舞では、互いに技を仕掛けあう形で踊りますので。下がらないのは、それが一番簡単な避け方だからです。確かに、下がれば避けられる。ですが、もしも背後に家族がいたら?あるいは壁だったら?」

「下がれませんわね!」

「下がることしかできなければ、それでもう避けられない。だから、下がるのは最後の手段。それに、避けつつ敵の懐に飛び込めれば、今度はこちらの番ですからね」

 その説明に、アグリスもうんうんと頷いていた。

「一人の踊りは、なぜ違うんですの?」

「あれは、当たったら死んでしまったり大怪我をするような技を伝えているのです。たとえば、今のしゃがんで足を払い、足を踏み鳴らす動き……あそこに人がいたら、どうなります?」

「お顔がつぶれてしまいますわ!」

「か、顔にいきましたか……まあ、そうです。胸でも首でもいいのですが、相手を倒して、踏みつける動きなのです」

「じゃあじゃあ、あの猫ちゃんの動きは何ですの!?」

「あれはまさに猫の動きを模しているのですが、あれで相手の目玉を引っ搔くのです」

「お目々を……そうなんですのね。なんであんなに指を曲げますの?」

「指を伸ばして直撃したら、こっちの爪が剝がれるからです。まあ、目に当たらなくとも、出血させれば血が目に入り、相手の視界を塞げます。なのでとにかく顔を引っ掻く動きですね」

 やはり、アグリスはうんうんと頷いていた。

 こうして、説明を聞き、動きを見、ミルカは彼等の言う『武の舞』を学んでいった。

 彼等が去るころには、ミルカは完全にその動きを自分のものとしていた。一座の者が『あなたが貴族でさえなかったらっ!!!』と惜しむほどだったので、才能もあったのだろう。

 そして困ったことに、アグリスは武に明るく、親馬鹿であった。あと一歩で馬と鹿が親の前に歩み出そうなほどに。

「お父様、わたくしが武を修めることは可能でしょうか?」

「うーむ……はっきり言うが、基礎体力に差がありすぎて、どんなに研鑽を積んだところで、何の心得もない男を倒すので精一杯だろう」

「では、どうしたら倒せるようになるのでしょう?」

「不意打ち、奇襲、急所攻撃。この三つができるなら、お前が私を倒すことだって可能となる」

 聞かれればきっちり答えてしまうため、ミルカは余計な知識をどんどん蓄えた。それを使ってどうこうしようという意思は何もなく、単に『武の舞』が踊れる以上は『武』について知っておこうというだけではあったのだが、可愛い娘に何でもしてやりたい夫と、貴族の娘らしくしてほしい妻の間で、夫婦喧嘩の一因にはなった。

 それでも、夫婦間以外では、月日はおおむね平和に過ぎて行った。


 ミルカが16歳になって、ある秋のことだった。

 伯爵邸に、王城から舞踏会の招待状が届いた。舞踏会そのものは心躍るものだったが、その招待状はあまり嬉しいものではなかった。

 というのも、その差出人は国の第一王子だったからだ。

 悪い人物ではない。しかし、王子らしからぬ粗暴な言動で敵が多い。しかも、色々と才能があるだけに、妬みと嫉妬からなお敵を作りやすい。

 温厚な第二王子を次の国王にしたいという声も多いのだが、そのどこまでが自国の声かはわからない。

 しかも、第一王子はいらぬサプライズをかましてくれることが多く、招待客としては一体何が起こるか戦々恐々として参加しなければならないのだ。もっとも、そのサプライズも悪意があってのことではなく、純粋に楽しませようとしてのことらしいが、パーティー会場にグリズリー乱入はやりすぎである。もう少し平和的なサプライズにしろと、その場の全員が熊を組み敷いた王子に詰め寄ったときの一体感だけは素晴らしかったが。

 そんなお騒がせ男だが、婚約者はいない。本人は『いつか発表する』と供述しているが、命を狙われる危険すらある相手なので、誰も手を上げたがらないし、それをわかっているからこそ王子も指名できない状況である。

 なんだかんだ言っても、王城からの招待状を、伯爵家が断れるわけもない。そのため、ミルカの参加は確定事項であった。

「ミルカ、貴族の義務は?」

「はい父上。国王のため、ひいては国のため、この身を尽くすことです」

 武によって陞爵されたアグリスは、国への忠誠心が高かった。そんな父を見て育ったミルカもまた、国に対する忠誠心は高かった。もっとも、それを表に出すことはなく、今はむしろ舞踏会で頭がいっぱいではあったが。

「よろしい。行っておいで、ミルカ」

「行ってきますわ、父上」

 王子のことはともかくとして、少なくともミルカが舞踏会を断る理由もない。そのため、ミルカは割とウキウキしながら王城へ向かった。

 豪華絢爛な内装においしそうな料理、腕のいい楽団が揃った王城は、ミルカにとって夢の世界である。さすがに武の舞を踊るわけにはいかないが、ジルバでもワルツでも、何を踊っても楽しいと思えるだろう。

 そんな少し先の未来に心を躍らせていると、周囲のざわめきが小さくなる。視線をたどれば、その先には主催者である第一王子の姿があった。

「ああ、皆、楽にしていい。今日も……今日はそこまで畏まった場じゃない」

 面倒くさそうに言って、王子は言葉を続けた。

「先に言っておく。今日はサプライズは無しだ。なぜかって?ここに熊は連れ込めなかったからな」

 いくつか、遠慮がちな笑い声が起きたが、実際やられた者達はじっとりとした視線を送るだけだった。

「あ~……それから、踊りたい者がいれば遠慮なく誘え。公爵家だろうが男爵家だろうが、平民だろうと一緒に踊ってやる」

 純粋に踊りの腕には興味を覚えつつも、さすがに恐れ多すぎるため、ミルカはほぼ聞き流すことにした。

 そして、いよいよ本格的に舞踏会が始まった。踊ることが好きなミルカは、主にダンスの上手そうな男性に声をかけ、踊りを存分に満喫していた。

 4曲ほど踊り、少し疲れたので休憩を入れる。せっかくの舞踏会だというのに、主催者の王子は踊ることもなく、様々な人物と話し続けている。もったいないとは思いつつ、なら踊るかと言われればそれも躊躇われる。

 曲が少し早いものに変わり、ミルカも再び踊ろうかとしたところだった。

「王子、覚悟!」

 王子の周囲にいた者達が突然、ナイフを抜いて襲い掛かった。

「っ!?衛兵!」

 王子が叫ぶが、反応がない。その瞬間、ミルカの頭は凄まじい勢いで動いた。

 近くにいるはずの衛兵の反応がない。ということは、連れ出されたか、裏切られたか。何にしろ、衛兵はいない。

 敵の数は……十人。こちらへ向かってくる。到達まで3秒ほど。

 この敵が、別の派閥なのか、それとも敵国なのかはわからない。だがどちらにしろ、緊急時に衛兵がいなかったということは大失態となり、また大変な醜聞となる。まして、この暗殺が成功すれば、それはもう醜聞どころの騒ぎではない。となれば、王子以外を狙う素振りがないこの者達は、別の国の手の者か。別の派閥であれば、恐らくは自分達も無事では済まないのだから。

 王子は、動けていない。突然の襲撃までは対応できても、衛兵までいなかったことは予想外だったのだろう。そこで思考が止まってしまっている。

 なら、自分にできることはあるか。暗殺を防ぎ、醜聞を消し、全てがなかったことにできるような何か。

 あるには、ある。だが、本当にできるかどうかは、自信がない。それでもきっと、やるしかない。

「国王のため、国のため……この身を……」

 口の中で小さく呟き、ミルカはわずかに腰を落とした。

 目の前を抜けようとする暗殺者は二人。怯えて下がるふりをした。しかし、口の中ではいつものリズムを刻む。

――トンタンタン、トンタンタン、トンタカタン……トンッ!

 ぶん、とミルカの足が唸りを上げ、直後パガッ、と奇妙な音が聞こえた。

 顎を蹴り上げられた男は、何が起きたかもわからず倒れる。そしてすぐ横にいた暗殺者が事態に気付く前に、振り上げた足を振り下ろす。

「ごあっ!?」

 鼻先に踵落としを受け、二人目の暗殺者が沈む。ミルカの脳裏に、かつて父から教わった言葉が思い出される。

――不意打ちとは、相手が意識しない内の攻撃だ。これが一番怖いし、当たる。現に、クリスにはお前の石が当たっただろう?

 訓練中に石を投げられた兵士には気の毒だったが、その経験のおかげで、見事な不意打ちを決めることができた。

 だが、ミルカの動きに気づき、一人が目標を変えてこちらに突っ込んできた。

 瞬間、体を伏せる。突然の行動に暗殺者が驚いた瞬間、ミルカは思い切り体を逸らす。直後、暗殺者の頭に踵が振り下ろされた。

「ぐおっ!?」

――対して、奇襲とは思いもよらぬ手段、または場所からの攻撃だ。今度もちゃんとクリスに当たっただろう?

 背中と見せかけて脛に石を投げられた兵士には気の毒だったが、おかげで奇襲もどういうものかしっかりわかった。

 一瞬で三人の仲間が倒されたことに気付き、暗殺者達の動きが止まる。ミルカは何でもない風を装って周囲を見回すと、楽士達に声をかけた。

「楽士の皆様、演奏が止まってらしてよ?」

 あまりに場違いな一言に、楽士達は一瞬どよめき、顔を見合わせ、そして『お前かっ!』という表情で王子を睨みつけた。だがそれも一瞬のことで、楽士達は再び演奏を始めた。気のせいか、先ほどより幾分かテンポが速くなっている。

「女が、なめるな!」

 怒りを露わにし、暗殺者が襲い掛かる。自分に向けて振られるナイフを、ミルカはじっと見つめる。

――斬られれば痛いし、痛いのは怖いものだ。だがな、当たらなければ痛くもないし怖くもない。むしろ、隙すらできてありがたいものだ。

 首に当たる寸前で、ミルカは上半身をぐいと反らす。思わぬ避け方に暗殺者が驚いた隙に、ミルカは上半身を戻し、その勢いで猫のようにかざした手を振り下ろす。

「ぎゃああ!?め、目がぁ!」

 思ったより、だいぶ嫌な感触だった。ともかくも黙らせようと、そいつの足を払った瞬間を狙って、暗殺者がもう一人襲い掛かった。

「あっ!?」

 軸足を狙われ、払われた。ミルカの体は容易く浮き上がり、しかし暗殺者は目を見開いた。

「……なんてね!」

 倒れたところを刺すつもりだったのだろう。だが、狙いがわかれば対処も容易い。

 ミルカは自分から跳んでいたのだ。そして空中で身を捻り、相手の軸足を蹴り返した。

 今度は暗殺者の体が宙に浮き、地面に落ちる。その一瞬前、ミルカは地面に手を付き、足を高く振り上げていた。

――女の力では、本気で戦う男に大した打撃は与えられん。なら、体重と落ちる力を利用すれば良い。

 父の教えを思い出しつつ、暗殺者の太腿目掛け、両膝を振り落とす。

「ぐぅあああぁぁ!!」

 めきり、と嫌な音が鳴ったが、それを聞いている暇はなかった。

 仲間がやられている隙を使い、さらに一人が迫っていたのだ。完全に座った姿勢になってしまい、立ち上がるのが遅れたミルカは対処しきれず、さすがに死を覚悟した瞬間だった。

 音楽の四連符に合わせ、ジャブフックボディアッパーの連撃が入り、その暗殺者はド派手に吹き飛んでいた。

「いやぁ、見事だなミルカ嬢!はっはっは、自分から『好きなタイミングで来い』と言っていたのに、思わず呑まれてしまった!」

 言いながら、王子は素早くミルカと背中合わせになり、朗らかな声で続けた。

「あー、サプライズがないっていうのは嘘だ。どうだ皆の者、驚いただろう!?……すまんが、全力で乗らせてもらうぞ」

「ええ、全力でお乗りください」

 まるでわかっていたかのように言いつつ、王子は低い声でミルカに伝える。それに対しミルカも、小さな声で答えた。

 王子はニヤリと笑い、一層声を張り上げた。

「今宵これより、『武闘会』の始まりよぉ!」

 王子の声に合わせ、音楽がさらなる盛り上がりを見せる。

 最初こそ驚き、狼狽えていた周囲の者も、少しずつ落ち着きを取り戻していく。そして、王子の普段の行動に、ミルカの突然の行動、そして正常化バイアスがかかった思考により、手の込んだサプライズなのだという認識が広まっていく。

「ま……まったく、またこんな悪戯を……!」

「だが、ずいぶん本気の戦いの様だが……?」

「戦うご令嬢っていうのも、斬新でいいなあ」

 いつしか、王子とミルカを暗殺者が囲み、その周囲を観客が囲む形になっていた。

 ナイフを使う相手に、男女が素手で戦う。しかも、足技主体のミルカと手技主体の王子という対比も、見世物としてよくできていた。

 音楽隊もしっかりと自分の仕事をこなしており、いつしか暗殺者の襲撃という大事件が、ただの余興へと変えられていた。

 とはいえ、主演の二人は内心冷や汗どころではない。

 ミルカは武の踊りを修めてはいるが、実戦など初である。人を蹴ったのも初めての経験であり、爪もできれば早く洗いたい。しかし、他の者から見れば、しなやかな体躯と踊るような動きで敵の攻撃をかわすミルカの動きは、見世物として非常に面白いものである。

 一方の王子は、熊と戦って勝てる人間なので経験は申し分ない。だが、相手のナイフには毒が塗られているのが明白であり、かすり傷一つ負ってはいけないとなると、さすがに攻めあぐねていた。

 だが、暗殺者の方も焦っていた。

 本来なら、この野獣王子を十人がかりで即座に仕留め、撤収するはずだった。しかし、なぜか招待客の令嬢が異様な武の使い手であり、一気に半分以上も減らされてしまった。時間をかければ、王子の近衛兵に気付かれる危険も増え、自身の撤収も難しくなる。そのため、王子には三人がかり、ミルカには手練れの一人が対応していたが、まだ勝負を決めることができない。

 その焦りから、暗殺者の一人がつい大ぶりの攻撃を仕掛けた瞬間。

「ミルカ!」

 王子はその腕を掴むと、そのまま自分ごと回転し、ミルカに向かって暗殺者を投げつけた。

 振り返ったミルカは内心仰天したが、即座に切り替え、飛んでくる男に向かって走った。戦闘中に背を向けられた暗殺者は驚いて一瞬遅れたものの、即座にその後を追う。そして、背中にナイフを突き立てようとした瞬間だった。

 ミルカは跳躍し、飛んでくる男の背中に渾身のドロップキックを見舞った。背中がみしりと音を立てるのを聞きつつ、ミルカは足に更なる力を込める。

 全体重をかけたとはいえ、暗殺者の方が体重も勢いもあり、その勢いは殺しきれない。つまり、足場としては十分すぎるほどの物体だった。

 暗殺者を蹴り、ミルカは空中で反転しつつさらに飛び上がる。下には、驚いた表情で自分を見上げる暗殺者の顔がある。

 その顔を掴み、そこを支点に宙返りを決める。体勢の崩れた暗殺者がよろめき、後ろにひっくり返る瞬間、ミルカは首の位置に膝を滑り込ませた。

 暗殺者の首がメキッと音を立て、泡を吹いて失神する。鮮やかな大技に歓声が上がる中、突然会場の扉が蹴り開けられた。

「王子、ご無事ですか!?」

 そこに現れたのは、王子の近衛兵達だった。全員が思わず視線を向ける中、ミルカだけは周囲に視線を巡らせた。

――暗殺者は残り三人!視線は……一人だけこっち!

 近衛兵が来たことで、王子もほんの一瞬とはいえ、気を抜いてしまった。その隙を、暗殺者が逃すはずもない。

 ナイフを振りかぶるのが見える。あれが投げられたら、王子は避けられない。なら、自分が何とかするしかない。

 地面を蹴り、体を伏せる。床を滑りながら、ミルカは思い切り足を延ばし、王子の膝裏に足首を絡める。そして、思い切り足を引く。

――ところでな、女の力でも男を倒すことはできる。この通り、膝の裏などは力が入らぬのだ。ほれクリス、頑張って起き上がってみよ。

 全身鎧を着た上で膝裏を蹴られた兵士には気の毒だったが、おかげでどこに力を入れれば体勢が崩れるのかは把握できた。

 王子は驚いた表情をしつつ、体勢を崩して倒れかかる。まさにその鼻先数ミリのところを、ナイフが岩にも刺さらんという勢いで飛んで行った。

 完全に倒れてしまう前に、ミルカは王子の元までたどり着き、両膝を揃えて手を添える。そこにちょうど、王子の頭が落ちてきた。

 膝枕のような体勢になり、一瞬だけお互いの目が合う。

――あいつを殴らせろ。

 王子の目が、完全にそう言っていた。

――わかりました、行ってらっしゃいませ。

 ミルカは小さく頷くと、全身の力を込めて王子の頭を押し出した。

 その勢いと、辛うじて宙に浮かなかった足の踏ん張りを使い、王子は矢のように飛び出すと、ナイフを投げた暗殺者を全力で殴りつけた。殴られた暗殺者は空中で470度ほど回転し、後頭部を思い切り石の床に打ち付けられていた。

「はっはっは、残念だったな!俺もミルカ嬢も無傷!昇給は見送りだな!」

 連行される暗殺者達に、王子は楽しげに言い放った。昇給も何も、恐らくは敵国の暗殺者だが、その言葉を疑うような者はいなかった。

「まったく、暗部まで駆り出されていたのか」

「道理で、本物のような威圧感があったわけだ」

 ようやく危機を脱し、そうなるとさて、この後はどうしたものかとミルカが困っていると、王子がいつの間にか隣に立っていた。

「皆の者、余興は楽しんでもらえたな!?今のを見て察した者もいるかとは思うが、今日の本当のサプライズはこちらだ!」

「きゃっ!?」

 突然、王子はミルカを横抱きにし、堂々と言い放った。

「俺は、このミルカ嬢に婚約を申し込んでいたのだ!そして、叶うならば共に余興に出てほしいとな!そして先ほど、答えは出た!」

「え、えええっ!?いえいえいえ、ちょっと王子様っ……!」

 慌てて王子の手から逃れようとするミルカに、王子は低い声で囁いた。

「あの流れなら、もうこうするしかあるまい?そこまで考えた上での行動ではなかったのか?」

「ち、違いますっ……ただ、私はその、国のために何かしなきゃと思って……!」

「ふっ……まあ、諦めろ。あの一瞬でここまでの展開を読める才女なら、もちろん逃す手はない。王国のためにと言うならば、それほどに見上げた忠義心を持つ者、我が妻としても相応しい。それに何より――」

 王子はミルカを見つめ、ニヤリと笑った。

「暗殺者相手に、あれほどの大立ち回りを演じる面白い女を、この俺が逃すわけはあるまい?」

 チェックメイト、という言葉が、ミルカの頭に浮かんだ。

「お、おおおお后様なんて、わたくしには荷が重いのですが……!?」

「国のため、頑張ってもらうぞ?」

「……はい」

 ミルカは観念して、王子の腕に完全に身を委ねるのだった。


 こうして、舞踏会のさなか、王子が暗殺者に狙われるという大事件は、極々一部の者しか知らぬままに幕を閉じ、代わりに王子の婚約発表という大ニュースが王国を駆け巡った。

 舞踏会の余興(襲撃)にて、王子と肩を並べて戦ったミルカについては、『あの破天荒な王子の余興に付き合えるならお似合いだろう』という評価であり、あの王子の妻にされるかもしれないと戦々恐々だった公爵令嬢などからはむしろ感謝すらされていた。

 そして、踊りそのものを好み、余興においてはまるで踊りのような武術を使って戦ったその姿から『舞闘姫』というあだ名をつけられ、本来の名前よりもそちらの名前が王国に広まっていった。

 それはやがて、かつてミルカに『武の踊り』を教えた者達の耳にも入った。それを聞いた彼等は『代々伝えられてきた武の踊りが、ついに王子まで仕留めたか』などと言って笑い合うのだった。

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