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短編

騎士団長の恋の相談に乗っていたら、どう考えてもお相手が私です

作者: 岸根しき
掲載日:2026/08/02


「恋の相談に乗ってほしい」


 残業中の事務室に現れた騎士団長――エドガー・グレン様は、そう言った。


 羽ペンが手から滑って、書類の上を転がっていく。


(……今、なんて?)


 終業の鐘が鳴ってから、もう一刻近い。王城補給局の事務室に残っているのは、卓上灯がひとつと、私と、同僚から押しつけられた書類の束だけ。


 机の端には、先ほど厨房の下働きが届けてくれた夜食の空皿も置いてある。


 こうして終業後に顔を合わせること自体は、めずらしくない。急ぎの補給申請書を持ってきたり、翌朝出発する部隊の備品を確かめたり。用が済んだあとも向かいの椅子に腰を下ろして、私の仕事が一段落するまで話していくこともあった。


 もっとも、話題はいつも業務のことばかりだ。北方隊の外套が何着必要だとか、新しく入った騎士の長靴が足りないとか。


 たまに「また他人の仕事を引き受けたのか」と叱られるけれど、それも仕事の話のうちだろう。たぶん。


 そんな人が、今。


「……恋の相談を、私にですか?」


「そうだ。君がいい」


 ……君がいい。


 内容が内容でなければ、一生忘れずにいたい言葉だった。


 私はセリア・フォード、二十三歳。男爵家の三女で、補給局の事務官をしている。


 対するエドガー様は、侯爵家の嫡男にして、王国騎士団を率いる団長。


 そして私は三年前から――この人に、片思いをしている。


 きっかけは、ある残業の夜だった。エドガー様は私の机から急ぎでない書類の束を抜き取り、局長の机へ戻して、こう言ったのだ。


「君が親切であることと、周りがそれに甘えることは別だ」


 私のお人よしを笑わず、かといって、周りに都合よく使われるままにもさせなかった。あの夜から、ずっと好きだ。


 名前を呼ばれるたびに嬉しかった。残業の夜に訪ねてきてくれるのも、帰りが遅くなるくせに嫌いではなかった。雨の日に屋敷まで送ってもらったこともある。


 けれどエドガー様は、部下にも王城の職員にもよく目を配る方だ。どれも、この方らしい親切だと思っていた。


 その人に、特別に想う女性がいる。


 私の三年間は、今夜で終わった。


 羽ペンを拾い上げた指に、力が入りすぎている。ペン先から落ちた墨が、書類の隅に黒い染みを作った。


 今すぐ帰ってほしい。ひとりになったら、机に突っ伏して思いきり泣く。明日の朝は目が腫れるだろうから、早めに起きて冷たい布を当てなくては。


 失恋した直後に明日の支度を組み立てている自分が、我ながら情けない。


「それは……おめでとうございます」


「まだめでたくはない。気持ちを伝えていない」


「……普段からお話しする間柄なのでしょうか」


「よく話している」


 すでに親しい間柄、ということだ。


 私の知らないどこかで、私の知らない話をしている。想像しかけて、慌てて頭から追い払った。


「お知り合いになって、どれくらいですか?」


「三年二か月と十七日」


「……正確ですね」


「初めて話した日を忘れたことがない」


 やめてほしい。聞けば聞くほど、帰ってから泣く時間が延びていく。


 それでも、エドガー様が頼ってくれたのだ。せめて役に立ちたいと思ってしまうのが、惚れた弱みである。


「お相手も、貴族の方ですか?」


「男爵家の令嬢だ。王城で事務官をしている」


 ……男爵家の、事務官。


 いやいや、そんなわけがない。好きな相手に向かって、あなたが好きなのですがどうしましょう、と相談する人がどこにいるのだ。


 王城に勤める男爵家の令嬢は、めずらしくない。事務官だって、私ひとりではない。


 落ち着いて。都合のいい期待をして、また勝手に傷つくのは私だ。


「み、身分差を気にしていらっしゃるのでは」


「私もそう思う。立場を使って、断れないと思わせたくはない」


 失恋した相手を、これ以上好きにさせないでほしい。


「これまで、好意を示したことは?」


「示しているつもりだ。雨の日には家まで送り、残業している日は夜食も届けている。だが、相手はまったく気づかない」


 雨の日。残業中の夜食。


 どちらにも、覚えがある。


 けれど、それだけで自分のことだと思うほど、都合のいい頭はしていない。


 何かほかに手がかりはなかっただろうかと考えて、先月、廊下で見かけた光景を思い出した。エドガー様が、会計局のクラリス様に菓子の箱を渡していたのだ。


「もしかして、会計局のクラリス様ですか? この前、お菓子の箱をお渡ししていましたよね」


「クラリスは副団長の婚約者だ。あれは頼まれて届けただけだ」


 違った。


 ほっとしてしまった自分に呆れながら、私は次の候補を探しはじめる。……いや、探してどうするの。


「厨房には、鶏肉のパイを頼んでいる。玉ねぎは細かく刻んでも残すから、最初から抜くようにと」


 私の目が、机の端に置いた空の皿へ落ちた。


 さっき食べたのは、鶏肉のパイ。玉ねぎは、入っていなかった。


 まだだ。まだ確定ではない。鶏肉のパイが好きで玉ねぎが苦手な男爵令嬢くらい、王城に三人はいる。たぶん。


 冷えていた指先に、じわりと熱が戻ってくる。空の皿と、エドガー様の顔を、私は何度も見比べた。


「ど、どのような方なのです?」


「頼まれると断れない、お人よしだ」


 エドガー様の灰色の目が、私の机に積まれた書類へ動いた。


「自分の仕事は終わっているのに、困っている者を見ると帰れない。今日も、自分の担当ではない書類を十二枚も引き受けた」


 枚数まで数えられている。


「……よくご存じですね」


「三年前も、同じことをした」


 エドガー様は、そこで一度言葉を切った。


「新人が北方隊へ送る冬靴を二十足少なく手配しかけたとき、彼女は自分にも確認する責任があったと言って、一緒に残った」


 覚えている。私が初めてエドガー様と話した夜だ。


 ――帰りぎわに、この人が私の机から書類を抜き取っていった、あの夜。


「なぜ庇うのかと聞いたら、彼女はこう答えた。『今ここで叱って、次から間違いを隠されるほうが困ります。足りないまま送れば、凍えるのは兵士ですから』と」


「……手配する前に気づけたのでミスといっても未遂です。結局、一足も欠けていません」


 言ってから、うっかり口をはさんだことに気づく。


「覚えている。その夜のうちに倉庫の在庫を数え直して、翌朝には二人で数量を確認する欄まで作った」


 あのとき作った確認欄は、今も冬季補給の書類に残っている。


「失敗した者を庇うだけなら、ただのお人よしだ。彼女は、同じ間違いが二度と起きないところまで考えた」


 エドガー様が、まっすぐ私を見た。


「私はあの夜、彼女を好きになった」


 視線が、私の左手へ落ちる。


「考え事をすると袖口をつまむ。鶏肉のパイが好きで、玉ねぎが嫌い。夜食を食べるときは、最後まで端の皮を残す」


 私は左の袖口から、そっと手を放した。


「……就業後に話しに来てくださるのも、お仕事だったのでは?」


「半分は」


「残りの半分は?」


「会いに来る口実にしていた」


 もう、王都中から男爵令嬢をかき集めてもごまかせない。


 それでも、名前を聞く口はなかなか開かなかった。都合のいい勘違いでしたと笑われるのが怖くて、膝の上で手を握り直す。


「……お相手のお名前を、伺っても?」


「その前に、私からも聞きたい」


 エドガー様の声が、わずかに低くなった。


「君に、想う男はいるのか」


 ここで嘘をつけば、何も傷つかずに帰れるかもしれない。


 でも、エドガー様は三年分の気持ちを話してくれた。それなら私も、自分の気持ちくらいは差し出したい。


 膝の上の手に、ぎゅっと力を込める。


「……います」


 エドガー様の背筋が伸びた。


「誰だ」


「恋の相談相手を詰問しないでください」


「私の今後に関わる」


 どういう理屈ですか、それは。


「その方は、私には手の届かない方です。それに、好きな女性がいると思っていました」


「なぜ?」


「たった今、その方から恋の相談を持ちかけられたので」


 エドガー様の口が、閉じた。


 卓上灯の火が揺れる。窓の外を、夜警の靴音が遠ざかっていった。


「セリア」


「……はい」


「君が好きなのは、私か」


 私は顔を上げた。


「……はい。エドガー様です」


 エドガー様は目を閉じ、長く息を吐いた。それから椅子を鳴らして立ち上がり、私の机の前まで来る。


「私が好きなのも、君だ。セリア・フォード」


 頭ではとっくにわかっていたはずなのに、名前で告げられた途端、口が開いたまま閉じなくなった。


 慌てて唇を結ぶ。今度は口の端が、勝手にゆるむ。


「……三年前から、ですか」


「三年前から、君だけだ」


 エドガー様の手が動きかけて、途中で止まった。私の許しを待っているのだと気づいて、自分からその指先をつかむ。


 剣を握る手だ。指の付け根が、硬い。


「私も、エドガー様が好きです」


 灰色の目が見開かれ、つないだ指に力がこもった。すぐにゆるんだのは、強く握りすぎたと思ったからだろう。


「次の休日、私と出かけてほしい」


「……はい」


「その次も、その先も、できるかぎり君と過ごしたい。いずれ君が望むなら、同じ家へ帰りたい」


「待ってください。急に先へ進みすぎです」


「私にとっては、三年かけて出した結論だ」


 真顔で返されて、言葉に詰まる。……この人は、こういう人だった。


「明日も会いに来る。夜食は何がいい?」


「まだ明日の残業が決まっていません」


「では、定時に来る」


「お仕事は?」


「終わらせる」


 騎士団長が、迷いなく言い切った。


「セリア、好きだ」


「……それは、先ほど伺いました」


「三年分ある。一度で足りると思うな」


 顔が熱い。もう、卓上灯のせいにもできない。


 と、エドガー様の視線が、机に積まれた書類へ落ちた。


「ところで、その十二枚は誰の仕事だ」


「……今、その話をしますか?」


「君と帰る時間に関わる」


 妙に説得力があるのが、ずるい。


「同僚に、明日の朝までに必要だからと頼まれました」


「本人は?」


「先に帰りました」


 エドガー様の眉間に、深いしわが寄った。


「返せ」


「ですが……」


「君が親切であることと、周りがそれに甘えることは別だ」


 三年前と、同じ言葉だった。


 私は十二枚の書類を見下ろす。これを引き受けたせいで、今日も一人で残るはめになった。……それはそれとして、おかげで今夜があるとも言えるけれど。


 束をそろえて立ち上がり、同僚の机へ戻す。


「明日の朝、ご自分で仕上げていただきます」


「それでいい」


 自分の担当分、最後の一枚に署名する。墨が乾いたのを確かめて、羽ペンを置いた。


「終わりました」


「では、帰ろう。家まで送る」


「はい。帰り道に、三年分のお話も聞かせてください」


「君の家まで、歩いて二十分しかない」


「残りは明日、聞きます」


「明日も定時に来る」


「では、私も定時で帰れるようにします」


 卓上灯を吹き消すと、事務室が夜に沈んだ。


 これまでずっと机を挟んで向かいにいた人が、今夜は私の隣を歩いている。


 なお、エドガー様が、私の残業時間や昼食の内容、廊下で誰と話していたかまで、部下に逐一報告させていたことを知ったのは、婚約して三か月後のことだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

発作的に両片思いが書きたくなり投稿です。


楽しんでいただけましたら、評価やブックマーク、リアクションで応援していただけると、今後の執筆の励みになります!


今日の21時10分からも新連載をはじめるのでこちらもお願いします☺️

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― 新着の感想 ―
応援できればと思い来ました(^ ^) 「恋の相談に乗ってほしい」という一言で、鈍感なヒロインだけが真相に気づかない構図を作る掴みが巧みです。書き手として感心したのは、鶏肉のパイや袖口の癖といった伏線…
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