騎士団長の恋の相談に乗っていたら、どう考えてもお相手が私です
「恋の相談に乗ってほしい」
残業中の事務室に現れた騎士団長――エドガー・グレン様は、そう言った。
羽ペンが手から滑って、書類の上を転がっていく。
(……今、なんて?)
終業の鐘が鳴ってから、もう一刻近い。王城補給局の事務室に残っているのは、卓上灯がひとつと、私と、同僚から押しつけられた書類の束だけ。
机の端には、先ほど厨房の下働きが届けてくれた夜食の空皿も置いてある。
こうして終業後に顔を合わせること自体は、めずらしくない。急ぎの補給申請書を持ってきたり、翌朝出発する部隊の備品を確かめたり。用が済んだあとも向かいの椅子に腰を下ろして、私の仕事が一段落するまで話していくこともあった。
もっとも、話題はいつも業務のことばかりだ。北方隊の外套が何着必要だとか、新しく入った騎士の長靴が足りないとか。
たまに「また他人の仕事を引き受けたのか」と叱られるけれど、それも仕事の話のうちだろう。たぶん。
そんな人が、今。
「……恋の相談を、私にですか?」
「そうだ。君がいい」
……君がいい。
内容が内容でなければ、一生忘れずにいたい言葉だった。
私はセリア・フォード、二十三歳。男爵家の三女で、補給局の事務官をしている。
対するエドガー様は、侯爵家の嫡男にして、王国騎士団を率いる団長。
そして私は三年前から――この人に、片思いをしている。
きっかけは、ある残業の夜だった。エドガー様は私の机から急ぎでない書類の束を抜き取り、局長の机へ戻して、こう言ったのだ。
「君が親切であることと、周りがそれに甘えることは別だ」
私のお人よしを笑わず、かといって、周りに都合よく使われるままにもさせなかった。あの夜から、ずっと好きだ。
名前を呼ばれるたびに嬉しかった。残業の夜に訪ねてきてくれるのも、帰りが遅くなるくせに嫌いではなかった。雨の日に屋敷まで送ってもらったこともある。
けれどエドガー様は、部下にも王城の職員にもよく目を配る方だ。どれも、この方らしい親切だと思っていた。
その人に、特別に想う女性がいる。
私の三年間は、今夜で終わった。
羽ペンを拾い上げた指に、力が入りすぎている。ペン先から落ちた墨が、書類の隅に黒い染みを作った。
今すぐ帰ってほしい。ひとりになったら、机に突っ伏して思いきり泣く。明日の朝は目が腫れるだろうから、早めに起きて冷たい布を当てなくては。
失恋した直後に明日の支度を組み立てている自分が、我ながら情けない。
「それは……おめでとうございます」
「まだめでたくはない。気持ちを伝えていない」
「……普段からお話しする間柄なのでしょうか」
「よく話している」
すでに親しい間柄、ということだ。
私の知らないどこかで、私の知らない話をしている。想像しかけて、慌てて頭から追い払った。
「お知り合いになって、どれくらいですか?」
「三年二か月と十七日」
「……正確ですね」
「初めて話した日を忘れたことがない」
やめてほしい。聞けば聞くほど、帰ってから泣く時間が延びていく。
それでも、エドガー様が頼ってくれたのだ。せめて役に立ちたいと思ってしまうのが、惚れた弱みである。
「お相手も、貴族の方ですか?」
「男爵家の令嬢だ。王城で事務官をしている」
……男爵家の、事務官。
いやいや、そんなわけがない。好きな相手に向かって、あなたが好きなのですがどうしましょう、と相談する人がどこにいるのだ。
王城に勤める男爵家の令嬢は、めずらしくない。事務官だって、私ひとりではない。
落ち着いて。都合のいい期待をして、また勝手に傷つくのは私だ。
「み、身分差を気にしていらっしゃるのでは」
「私もそう思う。立場を使って、断れないと思わせたくはない」
失恋した相手を、これ以上好きにさせないでほしい。
「これまで、好意を示したことは?」
「示しているつもりだ。雨の日には家まで送り、残業している日は夜食も届けている。だが、相手はまったく気づかない」
雨の日。残業中の夜食。
どちらにも、覚えがある。
けれど、それだけで自分のことだと思うほど、都合のいい頭はしていない。
何かほかに手がかりはなかっただろうかと考えて、先月、廊下で見かけた光景を思い出した。エドガー様が、会計局のクラリス様に菓子の箱を渡していたのだ。
「もしかして、会計局のクラリス様ですか? この前、お菓子の箱をお渡ししていましたよね」
「クラリスは副団長の婚約者だ。あれは頼まれて届けただけだ」
違った。
ほっとしてしまった自分に呆れながら、私は次の候補を探しはじめる。……いや、探してどうするの。
「厨房には、鶏肉のパイを頼んでいる。玉ねぎは細かく刻んでも残すから、最初から抜くようにと」
私の目が、机の端に置いた空の皿へ落ちた。
さっき食べたのは、鶏肉のパイ。玉ねぎは、入っていなかった。
まだだ。まだ確定ではない。鶏肉のパイが好きで玉ねぎが苦手な男爵令嬢くらい、王城に三人はいる。たぶん。
冷えていた指先に、じわりと熱が戻ってくる。空の皿と、エドガー様の顔を、私は何度も見比べた。
「ど、どのような方なのです?」
「頼まれると断れない、お人よしだ」
エドガー様の灰色の目が、私の机に積まれた書類へ動いた。
「自分の仕事は終わっているのに、困っている者を見ると帰れない。今日も、自分の担当ではない書類を十二枚も引き受けた」
枚数まで数えられている。
「……よくご存じですね」
「三年前も、同じことをした」
エドガー様は、そこで一度言葉を切った。
「新人が北方隊へ送る冬靴を二十足少なく手配しかけたとき、彼女は自分にも確認する責任があったと言って、一緒に残った」
覚えている。私が初めてエドガー様と話した夜だ。
――帰りぎわに、この人が私の机から書類を抜き取っていった、あの夜。
「なぜ庇うのかと聞いたら、彼女はこう答えた。『今ここで叱って、次から間違いを隠されるほうが困ります。足りないまま送れば、凍えるのは兵士ですから』と」
「……手配する前に気づけたのでミスといっても未遂です。結局、一足も欠けていません」
言ってから、うっかり口をはさんだことに気づく。
「覚えている。その夜のうちに倉庫の在庫を数え直して、翌朝には二人で数量を確認する欄まで作った」
あのとき作った確認欄は、今も冬季補給の書類に残っている。
「失敗した者を庇うだけなら、ただのお人よしだ。彼女は、同じ間違いが二度と起きないところまで考えた」
エドガー様が、まっすぐ私を見た。
「私はあの夜、彼女を好きになった」
視線が、私の左手へ落ちる。
「考え事をすると袖口をつまむ。鶏肉のパイが好きで、玉ねぎが嫌い。夜食を食べるときは、最後まで端の皮を残す」
私は左の袖口から、そっと手を放した。
「……就業後に話しに来てくださるのも、お仕事だったのでは?」
「半分は」
「残りの半分は?」
「会いに来る口実にしていた」
もう、王都中から男爵令嬢をかき集めてもごまかせない。
それでも、名前を聞く口はなかなか開かなかった。都合のいい勘違いでしたと笑われるのが怖くて、膝の上で手を握り直す。
「……お相手のお名前を、伺っても?」
「その前に、私からも聞きたい」
エドガー様の声が、わずかに低くなった。
「君に、想う男はいるのか」
ここで嘘をつけば、何も傷つかずに帰れるかもしれない。
でも、エドガー様は三年分の気持ちを話してくれた。それなら私も、自分の気持ちくらいは差し出したい。
膝の上の手に、ぎゅっと力を込める。
「……います」
エドガー様の背筋が伸びた。
「誰だ」
「恋の相談相手を詰問しないでください」
「私の今後に関わる」
どういう理屈ですか、それは。
「その方は、私には手の届かない方です。それに、好きな女性がいると思っていました」
「なぜ?」
「たった今、その方から恋の相談を持ちかけられたので」
エドガー様の口が、閉じた。
卓上灯の火が揺れる。窓の外を、夜警の靴音が遠ざかっていった。
「セリア」
「……はい」
「君が好きなのは、私か」
私は顔を上げた。
「……はい。エドガー様です」
エドガー様は目を閉じ、長く息を吐いた。それから椅子を鳴らして立ち上がり、私の机の前まで来る。
「私が好きなのも、君だ。セリア・フォード」
頭ではとっくにわかっていたはずなのに、名前で告げられた途端、口が開いたまま閉じなくなった。
慌てて唇を結ぶ。今度は口の端が、勝手にゆるむ。
「……三年前から、ですか」
「三年前から、君だけだ」
エドガー様の手が動きかけて、途中で止まった。私の許しを待っているのだと気づいて、自分からその指先をつかむ。
剣を握る手だ。指の付け根が、硬い。
「私も、エドガー様が好きです」
灰色の目が見開かれ、つないだ指に力がこもった。すぐにゆるんだのは、強く握りすぎたと思ったからだろう。
「次の休日、私と出かけてほしい」
「……はい」
「その次も、その先も、できるかぎり君と過ごしたい。いずれ君が望むなら、同じ家へ帰りたい」
「待ってください。急に先へ進みすぎです」
「私にとっては、三年かけて出した結論だ」
真顔で返されて、言葉に詰まる。……この人は、こういう人だった。
「明日も会いに来る。夜食は何がいい?」
「まだ明日の残業が決まっていません」
「では、定時に来る」
「お仕事は?」
「終わらせる」
騎士団長が、迷いなく言い切った。
「セリア、好きだ」
「……それは、先ほど伺いました」
「三年分ある。一度で足りると思うな」
顔が熱い。もう、卓上灯のせいにもできない。
と、エドガー様の視線が、机に積まれた書類へ落ちた。
「ところで、その十二枚は誰の仕事だ」
「……今、その話をしますか?」
「君と帰る時間に関わる」
妙に説得力があるのが、ずるい。
「同僚に、明日の朝までに必要だからと頼まれました」
「本人は?」
「先に帰りました」
エドガー様の眉間に、深いしわが寄った。
「返せ」
「ですが……」
「君が親切であることと、周りがそれに甘えることは別だ」
三年前と、同じ言葉だった。
私は十二枚の書類を見下ろす。これを引き受けたせいで、今日も一人で残るはめになった。……それはそれとして、おかげで今夜があるとも言えるけれど。
束をそろえて立ち上がり、同僚の机へ戻す。
「明日の朝、ご自分で仕上げていただきます」
「それでいい」
自分の担当分、最後の一枚に署名する。墨が乾いたのを確かめて、羽ペンを置いた。
「終わりました」
「では、帰ろう。家まで送る」
「はい。帰り道に、三年分のお話も聞かせてください」
「君の家まで、歩いて二十分しかない」
「残りは明日、聞きます」
「明日も定時に来る」
「では、私も定時で帰れるようにします」
卓上灯を吹き消すと、事務室が夜に沈んだ。
これまでずっと机を挟んで向かいにいた人が、今夜は私の隣を歩いている。
なお、エドガー様が、私の残業時間や昼食の内容、廊下で誰と話していたかまで、部下に逐一報告させていたことを知ったのは、婚約して三か月後のことだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
発作的に両片思いが書きたくなり投稿です。
楽しんでいただけましたら、評価やブックマーク、リアクションで応援していただけると、今後の執筆の励みになります!
今日の21時10分からも新連載をはじめるのでこちらもお願いします☺️




