【1-3】飼い猫が美少女になっていました
煙が立ちこめる。
焦げた草の匂いと、まだ消えきらない熱気。
……助かった、のか?
さっきまで自分に迫っていたスライムは、地面にどろりと溶けていた。
焦げた跡の中心に、細く伸びる炎の筋。
まるで――誰かが一瞬で焼き払ったみたいだ。
「……い、今のは……」
声を出した瞬間、背後から風が吹いた。
振り向くと、そこに――
陽光を受けて、炎のように揺れる長いポニーテール。
腰まである髪は赤みを帯び、風に乗って光を散らす。
そして頭の上には、ピンと立った猫耳。
金色の瞳が、呆れたようにこちらを見下ろしていた。
「ちょっとアンタ、なに一人でウロウロしてんのよ!」
……あまりに可愛い。
声が、姿が、何もかも現実離れしてる。
ドキリと胸が跳ねた。
タイトな黒と赤の装備。
炎の残り香をまとったような、鋭くも凛とした佇まい。
猫耳が、ピクッと動くたびに陽の光を反射する。
「え、あ、いや……その……」
言葉が出ない。
スーツ姿の社畜、完全に思考停止。
「まったく……こっちはずっと探してたってのに、
よりにもよってスライムに追いかけられるなんて、
どんだけドジなのよ、この下僕!」
「……は?」
初対面のはずの美少女に“下僕”呼ばわりされ、脳の処理が追いつかない。
「下僕、って……俺のこと?」
「他に誰がいるのよ、アンタ以外!」
腕を組んで、ツンと顔をそらす。
尻尾が、怒りのリズムでぱたぱた揺れている。
「……あ、あの、もしかして……俺、どっかで……」
言いかけた瞬間、金色の瞳がこちらを射抜いた。
「まったく……もうちょっとで溶けてたわよ。
ほんっと、目を離すとすぐこれなんだから」
見知らぬ猫耳少女。
けれど――
声の調子や、ぷいっとそらす仕草に、どこか見覚えがあった。
(なんだろ……この感じ……)
頭の奥に、毎晩の光景がよぎる。
ツンツンして、でも気まぐれに甘えてくる――
「……おまえ……コハル?」
思わず口にしたその名前に、少女の耳がぴくりと動いた。
「……やっと気づいたの? 遅いわね、下僕」
金の瞳が細まり、その口元に、ツンとした笑みが浮かんだ。
「お、おい……本当に、コハルなのか?」
「他に誰がいるのよ。アンタの世話なんて、私くらいでしょ」
ふん、と顔をそむけながらも、尻尾の先が小さく揺れる。
「……いやでも、なんで人の姿に……てか、なんで喋って……?」
「さあ?」
コハルは肩をすくめた。
「ヒゲモジャのおっさんがなんか言ってたと思ったら、気づいたら“みんな”でここにいたのよ」
「ヒゲモジャ……おっさん?」
「そう。“お主らに加護を授けよう”とか、“世界を救え”だの、わけわかんないことばっか言ってた。
うららは“あれは神様ですよ!”って目を輝かせてたけど、
チャチャなんて“おじさん、優しそうでした”とか言ってたわ。
あたしから見たら、ただのヒゲモジャのおっさんだったけどね」
「……それ、たぶん神様だと思うんだけど」
「は? あれが神様? どう見てもそこらのオッサンでしょ」
コハルが盛大にため息をつく。
「まったく、信じらんないわね……。ま、どうでもいいけど」
「どうでもいいのかよ……」
俺は苦笑しながら頭をかいた。
なんとなく、コハルのペースに飲まれていく自分がいる。
「で、あの……“お主ら”って言ってたってことは……」
口にしかけて、ふと胸が高鳴る。
「……まさか、うららとチャチャも一緒に来てるのか?」
「当たり前でしょ? “みんな”って言ったじゃない」
「みんな……ってお前……!」
思わず前のめりになる。
「本当に、三匹とも来てるのか!?」
「三匹って言うな!」
ぴしっと額を軽く叩かれた。
「いまは“猫人族”よ。あと、うららとチャチャは“あっち”」
「“あっち”って?」
「森の方。アンタが寝てたから、とりあえず安全な場所を探してたのよ。
あたしたち、いきなりこの世界に放り出されたから、状況もよくわかんないしね」
「え、寝てた……俺が?」
「そうよ。全然起きないんだもん。
うららが“そっとしておいてあげましょう〜”って言うし、
チャチャは“寝顔、気持ちよさそうです”とか言ってたし。
だから置いてったの。静かだったし」
「静かって……!」
思わず声が裏返る。
「ま、結果的に助かったんだから文句言わないの」
コハルが腰に手を当て、少しドヤ顔をする。
「火の玉一発であのスライム、蒸発だったわ」
「……あー、うん。ありがとな」
「べ、別にアンタのためにやったわけじゃないし!」
頬をわずかに染め、顔をそむける。
ポニーテールが炎のように揺れた。
「それに、うららとチャチャもすぐ来るわよ。
あの二人、気配を消すの得意だから――ほら」
コハルが森の方を顎でしゃくる。
遠く、草を踏む音がかすかに聞こえてきた。
その音に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
あの二人も、ちゃんと無事で――この世界に一緒にいる。
「……ほんとに、みんな来てるんだな」
「当然でしょ、下僕。
アンタの世話は、三人がかりじゃないと足りないんだから」
金色の瞳が、少しだけ優しく細められた。
その言葉に、胸がまたドキンと鳴った。