【3-4】十二の聖獣のことを聞きました
森に静寂が戻った。
燃え残った焚き火のように、祭壇のあたりだけがほんのり温かい。
巨大なネズミ――“子ノ神”は目を閉じ、深く呼吸をしている。
その姿はどこか穏やかで、うららがそっと胸の前で手を合わせた。
「……良かった。ちゃんと眠ってますね」
「眠ってるっていうか……これ、大丈夫なんだよな?」
「はい。穢れは完全に消えています」
うららが微笑む。
ほっと息をついた――そのとき。
「ちょっと」
コハルがずい、と前に出た。
その金色の瞳には、はっきりとした怒気が宿っている。
「アンタ、それだけ? “気をつけろ”って言われても意味がわかんないんだけど」
『……な、なに……?』
ゆっくりと目を開ける子ノ神。
コハルは腰に手を当てて睨みつけた。
「アンタ、守り神なんでしょ? だったらもう少しちゃんと説明しなさいよ」
『……ふ、不敬であるぞ小娘! 我はこの地を司る――』
「うるさい」
バチンッ、とコハルの尻尾が地面を打つ。
その瞬間、子ノ神の耳がピクッと震えた。
『……も、申し訳ないでござる……』
「最初からそうやって話しなさいよ」
コハルが腕を組んでため息をつく。
(……猫が神様に勝ってる……世界観どうなってんだ)
「それで、虚聖教ってのは何者なんだ?」
俺が恐る恐る尋ねると、子ノ神は重く口を開いた。
『……奴らは、“混沌”を望む者たちよ。
世界の均衡を保つ十二の聖獣――その力を奪い、封じようとしておるのだ』
「十二……ってことは、アンタ以外にも?」
『うむ。鼠、牛、虎、兎……古よりこの地を見守る十二の聖獣たちが、それぞれ魔力の流れを司っておる。
風も、火も、水も、大地も――すべては彼らの調和の上に成り立つのだ。』
「十二聖獣……十二支みたいなもんか?」
俺の呟きに、うららが小さく頷く。
「つまり世界は“獣の輪”で守られてるんですね〜。素敵です!」
『……素敵ではない。奴ら“虚聖教”は、その輪を断とうとしておる。
聖獣を穢れさせ、力を奪い、世界を混沌へと沈めるのだ』
チャチャが眉をひそめる。
「だからあなたも、あんな姿に……」
子ノ神は一瞬目を閉じ、静かに思い出すように言葉を継いだ。
『……我が記憶では、穢れに堕ちる前の晩――黒き衣を纏った二人組が、この祠に現れた。
月の巡りをひとつ越えた頃だったか。』
「黒い衣……?」
『ああ。夜の闇のような布をまとい、声を潜めて何かを語っておった。
そして、祭壇に奇妙な“黒い石”を置いていったのだ。
供物かと思ったが、食い物でも香でもない。ゆえに放置して眠りについた。』
「放置って……」
コハルが呆れたように眉を上げる。
『神とは長く眠るものよ。……しかし、あれは良くなかった。
目覚めた時には、我が心に黒い霞がかかっておったのだ。』
「つまり、そいつらが……」
『うむ。奴らが去り際に言っておった――“虚聖教に栄光あれ”と。
その名を、我は忘れられなかった。』
うららが小さく息を呑む。
「……知らずに、穢れを取り込んでしまったんですね」
『あの時、我はただ……人の祈りを待っておった。
この祠には月に一度しか参拝がない。ゆえに、長く眠り続けていたのだ。
その隙を突かれたのだろう。』
子ノ神の声には、悔しさと自嘲が混じっていた。
「でも、もう大丈夫ですよ」
うららが優しく微笑む。
「私たちが、十二の聖獣を助けますから!」
『……ぬ? お主たちが……?』
子ノ神がゆっくりと首を傾げる。
「はあ!? ちょ、ちょっと待って!」
コハルが思わず声を上げる。
尻尾がピンと立ち、地面をぱしんと叩く。
「うらら、それ勝手に決めないでよ!」
「そ、そうだよ! 俺たちまだこっちに来て状況もわかってないんだけど!?」
俺もうろたえて手を振る。
「え? だって放っておけないじゃないですか」
うららがきょとんと首を傾げる。
「困ってる人がいたら、助けるのが筋ですよ〜」
「筋ってアンタね……!」
コハルが頭を抱える。
(……いや、間違ってはいないけど、勢いがすごいなこの子)
そんな俺たちのやり取りを聞いて、子ノ神はぽんと手を打つ。
『ま、まさか……お主たちが、“創造神様”に召喚された者たちであったか!』
「創造神様?」
俺が思わず聞き返す。
『この世界を創りし“始まりの神”じゃ。
そなたらが選ばれし存在であったとは……なるほど、強いわけだ』
子ノ神が深く頷く。
だが、その目が俺の方へ向くと――一瞬、首をかしげた。
『……む? して、その者は?』
「下僕のこと?」
コハルが振り返り、俺の肩を軽く叩く。
『我が聞いていたのは、三人の猫人族の来訪のみ。
その人間の男については、創造神様からは聞いておらぬが……?』
「えっ、俺だけ除外されてるの!?」
思わず叫ぶ。
「やっぱり〜」
チャチャがのんびり笑う。
「ご主人、やっぱり“おまけ召喚”だったんですね〜」
「ちょ、やめろそれ!」
コハルが肩をすくめる。
「まぁ、猫のおまけでも悪くはないじゃない。今さら人間代表でも困るし」
「いや困るのは俺なんだが!?」
そんな俺たちのやり取りを見て、子ノ神は小さく笑った。
『……実に賑やかじゃのう。
だが、創造神様が異界の者を呼ぶということは、よほどの異変が起きておる証拠。
お主らの来訪は、きっと運命であろう』
「運命、か……」
俺は小さく呟く。
子ノ神はしばし沈黙したあと、静かに言葉を続けた。
『……我の力の一端は、すでに奪われておる。
その力で 虚聖教が何をするのかは分からぬが、放っておけばこの世界は確実に歪む。
どうか、他の聖獣たちを――守ってくれ』
「……ったく、厄介な話ね」
コハルが腕を組み、ため息をつく。
でもその瞳には、静かな闘志が宿っていた。
「ま、放っておくのも気分悪いし。――行くしかないでしょ、下僕」
「え、なんで俺?」
「あたしたちの主人はアンタなんだから、主人として責任取りなさいよ」
「理不尽すぎるだろ!」
「ふふっ、でもコハルちゃん、やる気ですね〜」
うららが嬉しそうに笑い、チャチャも尻尾をふわりと揺らす。
「別にやる気なんかじゃないわよ。
ただ――“猫の敵”は、猫が片付ける。それだけ」
コハルがそっぽを向きながら言う。
その横顔に、ほんの一瞬だけ、炎のような情熱が見えた。
俺は苦笑しながら頷く。
「……はいはい、了解ですよ、お嬢様」
「誰が“お嬢様”よ!」
ぷいっと顔をそむけるコハル。
その光景に、子ノ神がくすくすと笑った。
『……実に面白き連中じゃのう。ならば、託すに値する。』
風が静かに吹き抜け、祭壇の光が穏やかに揺れた。
――こうして、“十二聖獣を救う旅”が始まった。