【3-1】ネズミに襲われた町に着きました
道を進むにつれ、丘の向こうに小さな町が姿を現した。
石造りの家々に煙突の煙、畑の緑。
まるで絵本から抜け出したような、穏やかで静かな景色だった。
「おお……なんか、いい感じの村じゃないか」
久しぶりに人の気配を感じて、胸が少し弾む。
あの森の無音地獄に比べれば、どんな雑踏でもありがたい。
「ほんと〜。お日さまの匂いがする〜」
チャチャがのんびりと伸びをして、尻尾をふわふわ揺らす。
「ふふっ、きっと人も優しいですよ。ね、ご主人」
うららが微笑む。その笑顔だけで、疲れが少し取れた気がした。
一方で、コハルはピタリと足を止めた。
眉をひそめ、耳をぴくりと動かしている。
「……なんか、変じゃない?」
「変って……なにが?」
「音。人の声が……少ない」
言われてみれば、妙に静かだ。
町の入口まで来たのに、笑い声や話し声がほとんど聞こえない。
代わりに、どこかから――チュチュッ……という小さな鳴き声が響いていた。
「おい……今の、聞こえたか?」
「うん……なんか、いやな予感がするね」
チャチャの尻尾がふわりと膨らむ。
次の瞬間、通りの向こうで叫び声が上がった。
「わぁぁっ!! また出たぞぉ!!」
「おい、倉庫の袋が食い破られてる!!」
俺たちは思わず顔を見合わせた。
通りを進むと、目に飛び込んできたのは――
屋根の上、路地の隙間、あちこちに蠢く“灰色の影”だった。
「ね、ネズミ……!?」
思わず声が裏返る。数十匹どころじゃない。
百匹、いやそれ以上が走り回り、店の食料や樽をかじっていた。
「ひぃっ……すごい数……!」
うららが尻尾をふくらませながら、俺の後ろに隠れる。
「こりゃ……ちょっとしたネズミパニックだな……」
俺も腰を引きながら辺りを見回す。
通りは混乱していて、住人たちが必死にほうきや棒で追い払っていた。
「チューチューしてるのは可愛いけど……あれは、ちょっと無理ですね……」
チャチャが顔を引きつらせながらも冷静に観察している。
「まったく……ネズミなんて、見ただけでムズムズするわ」
コハルが不快そうに眉をしかめ、尻尾をぶんと振った。
それはまさに――“猫の反応”だった。
「おまえら、もしかして……狩りスイッチ入ってないよな?」
「……別に?」
コハルがそっぽを向くが、耳が完全に“獲物モード”だ。
チャチャもうららも、どこかそわそわしている。
(猫って……本能強ぇな……)
とはいえ、放っておくわけにもいかない。
俺は近くで必死に袋を押さえている老人に声をかけた。
「す、すみません! この町、いったい何が――」
「おお、お客人か……悪いが今はそれどころじゃねぇ。ネズミが……ネズミが暴れておるんだ!」
「暴れてるって……いつから?」
「ここ半月だ。倉庫も家も、食料を守るのが精一杯でな……」
老人の顔には疲労の色が濃い。
「この辺りじゃ“子ノ神様”が守り神なんじゃが……どうも様子がおかしい」
「守り神……?」
俺は首をかしげる。
「そうよ」
うららが興味津々で身を乗り出す。
「守り神様がいるなら、ネズミに困らないはずですよね〜」
「ま、まさか……その神様が敵に回ったとか?」
チャチャの声は穏やかだが、目は真剣だ。
「……そんな馬鹿なことが」
俺は乾いた笑いを浮かべたが、胸の奥がざわつく。
(神様……守り神……暴走……)
嫌な予感が、背筋を這い上がる。
「なあ、子ノ神様って、どこにいるんです?」
尋ねると、老人は重く息を吐いた。
「町の北にある小高い丘じゃ。そこに古い祭壇がある。
わしらは毎月そこで祈りを捧げておったんじゃが……最近は、誰も近づけんのだ」
「……どうして?」
「夜になると、あたり一面にネズミが集まって、近づく者を襲うんじゃ……!」
「……ほう」
コハルが腕を組んだ。
「つまり、その祭壇を調べれば原因がわかるってことね」
「うん。行こう、ご主人」
うららが笑顔で言う。
「子ノ神様を助けて、村の人たちを安心させましょう!」
「……いや、行くのはいいけど……その、ネズミだらけなんだよな……?」
俺の顔が引きつる。
「ふふ、ネズミ退治なんて、猫の得意分野ですよ」
チャチャが静かに微笑んだ。
「ね、コハル」
「ま、仕方ないわね。どうせこのままじゃ落ち着けないし」
コハルが爪先で地面を軽く叩く。
「行くわよ、下僕」
「……もう少し優しく言えない?」
そんな軽口を交わしながら――
俺たちは、ネズミの守り神が眠るという“北の丘”へと向かった。