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『婚約破棄は国外追放される国で婚活パーティから始まる断罪ラブコメ──王子の選んだ花嫁は悪女令嬢──これは愛か、それとも罠か!?』

作者: カトラス

 この国には、妙な掟がある。

 ――婚約破棄は、即ち追放。

 理由は王宮の歴史書にすら書かれない恥話。若き日の国王が恋に溺れ、自由恋愛で選んだ令嬢に婚約破棄され、泣く泣く逃げられた。その苦い記憶を国法でねじ伏せて以来、国民は「婚活パーティ」でのみ結婚相手を選ばされるようになったのだ。


 そんな国の第一王子が、この俺――レオンハルト・フォン・グランツである。

 煌々とシャンデリアが輝く大広間に立ちながら、俺は小さくため息をついた。


「……はぁ。なんだこの眩しい空間は。俺は舞踏会用の飾り人形じゃないぞ」


 壁際に立つ側近のユリウスが、すかさず眉をひそめる。

「殿下、声が大きいです。今夜は婚活パーティ。国民の模範であるべき第一王子が、しかめっ面では格好がつきませんよ」


「模範? こんな強制見合いのどこが模範だ。野菜市場で品定めされている気分だぞ」


「殿下、口元! 引きつっております! もっとこう……にっこりと!」


 言われてぎこちなく笑ってみせるが、口角は痙攣し、どう見ても人質の証言映像の笑顔だ。ユリウスが天を仰いだ。

「……殿下、あまりに不器用すぎます」


 俺が再びうんざりと視線を巡らせた、その時だった。


 広間の隅、数人の令嬢たちに囲まれて困惑する少女の姿が目に入った。地味な緑のドレスに身を包んだ子爵家の娘だ。

「まぁ、随分と古風な色ね」

「この場でその布地は……ちょっと恥ずかしいわ」

 あからさまな嘲笑が突き刺さる。周囲の笑い声が冷たい。俺の胸に不快感が広がった。


 そのとき。


「その色、とても素敵ですわ」


 澄んだ声が響き、大広間の空気が一変した。

 現れたのは、侯爵令嬢クラリッサ。黄金の巻き髪を揺らし、堂々と微笑むその姿は、燭台の光を背負った女神のようだった。


「深緑は落ち着きと知性の証。あなたによくお似合いですわ。ほら、燭台の炎に照らされて、ドレスが森の宝石みたいに輝いていますもの」


 彼女はおどおどしていた子爵令嬢の手を取り、さりげなく輪から抜け出させる。その慈愛に満ちた仕草に、俺は息を呑んだ。


 ……なんだ、この胸の高鳴りは。


「……見惚れた」


 思わず漏らした声に、ユリウスがすかさず食いつく。

「殿下!? い、いけません! あの方はクラリッサ様ですよ!? ご存じでしょう、“札付きの悪女”と――」


「黙れ!」

 俺は反射的に遮った。


「見ただろう、この優しさ! 人を救う微笑みだぞ! これを理想の花嫁と呼ばずして何と呼ぶ!」


 隣にいた友人の騎士カイルまで加わる。

「いやいや、殿下! 王都では“笑顔の裏で毒舌三昧”って有名ですよ!? “羊の皮を被った狼”とか、“慈悲深い笑顔で人を踏み台にする”とか!」


「噂など当てにならん!」

 俺は拳を握りしめ、きっぱりと言い放った。


「俺はこの目で見た。真実はここにある!」


 ユリウスとカイルが同時に頭を抱える。

「「あああ……殿下が完全に恋は盲目モードに……!」」


 そのときクラリッサがふとこちらに顔を向けた。柔らかに形作られた笑みが、まっすぐ俺を射抜く。

 心臓が跳ねた。頬が熱い。


「……決めた」


「な、何をですか、殿下……?」ユリウスが青ざめる。


「俺は、彼女を選ぶ」


 大広間に場違いなほどの絶叫が響いた。

「「殿下あああああああ!!」」


 こうして、俺とクラリッサの婚約物語は――華やかに、そして悲劇的に幕を開けたのだった。


 数か月後。俺とクラリッサの婚約は正式に成立し、王宮では豪奢な祝賀会が催された。巨大なシャンデリアが天井から降り注ぐように光を放ち、赤い絨毯が大広間を真っ直ぐに走る。音楽隊の奏でる弦楽の旋律は甘美で、参列者たちは「お似合いのカップルだ」と口々に囁き合う。俺は頬を赤らめ、未来への期待に胸を膨らませていた。あの瞬間までは、心から幸福だと信じていたのだ。


「ちょっと、そこのあなた。ワインの注ぎ方が遅いですわ! 王宮の宴でこんな失態、許されると思って?」


 笑顔で客人と談笑していたはずのクラリッサが、次の瞬間、給仕の少年に氷の刃のような声を浴びせた。広間のざわめきがぴたりと止まり、空気が張りつめる。少年は顔を真っ青にして、手を震わせながら必死に頭を下げた。


「も、申し訳ございません……!」


 俺は慌てて場を和ませようと、ひきつった笑顔を浮かべた。 「は、はは……クラリッサ、そんなに厳しくしなくても……」


「レオンハルト様。殿下の杯に温いワインを注ぐなど、不敬も甚だしいですわ! 私が叱らなければ誰が叱るというのです?」


 俺の背筋が凍る。え、俺にも命令口調? いや、きっと気のせいだ。少し緊張しているだけだろう。そうだ、そうに違いない……と自分に言い聞かせた。だが、その後も彼女の態度は日ごとに増長していった。


 翌日、廊下を歩けば―― 「あなた、足並みが揃っていません! 音が耳障りなのですわ!」


 数日後、侍女がドレスの裾を整えると―― 「まあ、なんて不器用な指先かしら。王宮に仕えるには百年早いですわ!」


 さらに庭園では―― 「この花? 色が安っぽいですわね。いますぐ摘み直してきなさい!」


 花瓶を抱えた庭師が半泣きで走り去っていくのを見ながら、俺はこめかみを押さえた。 (な、なんだこれ……。婚活パーティで見たあの慈愛の天女はどこへ消えた!?)


 ある日、同じ貴族令嬢たちが集うお茶会で、ついに彼女は完全に仮面を外した。香り高い紅茶の湯気の中、クラリッサは優雅にティーカップを傾けながら、隣の令嬢を上から下まで見回し、にっこり笑って告げた。


「まぁ、そのドレス……今年の流行をまったく理解していませんのね。お気の毒に」 「あなたの笑い方、とても庶民臭がいたしますわ。改善をお勧めしますわ」


 令嬢たちは顔を引きつらせ、場の空気は凍りつく。俺だけが必死に笑顔を保ち、心の中で絶叫していた。


(いやいやいや! 婚活パーティのときとキャラが違いすぎるだろ! 誰だこの女!)


 ユリウスとカイルが耳打ちしてきた。 「殿下、ですから申し上げたでは……」 「“羊の皮を被ったゲス女”だって……」


 俺は唇を震わせながらも、自分に言い聞かせる。 「きっと……きっと一時的なものだ。結婚準備で緊張しているだけだ……そうだ、そうに違いない……!」


 だが、心のどこかで気づいていた。あの慈愛の笑顔は幻影だったのだ。目の前にいるのは、噂以上に強烈な――悪女そのものだった。


 日増しに悪化するクラリッサの本性に、俺の胃は悲鳴を上げていた。朝の食卓からして地獄だ。


「このスープ、塩が一粒多いですわ! 作り直してらっしゃい!」


 クラリッサの声が響き、料理長が鍋を抱えて青ざめながら下がっていく。俺はスプーンを持ったまま固まった。 (え、俺には全然普通に美味しいけど!? これで怒られるの!?)


 隣でユリウスが囁く。 「殿下……ご存じでしょう。クラリッサ様は“塩一粒管理令嬢”と……」


「そんな二つ名聞いたことないぞ!!」


 昼下がりには花瓶の角度を直すよう命じられ、夜には侍女の歩幅まで指摘される始末。気づけば俺は壁際で小さくなって震えていた。


「俺は……俺は王子だよな? 花瓶スタンドじゃないよな?」


 カイルが肩を叩き、深刻そうに言った。

「殿下、心配するな。殿下は王子だ……王子だけど……花瓶でもある」

「矛盾してるだろおおお!」


 だが笑いごとでは済まない。国法では婚約破棄=追放。王子であっても例外ではない。

 つまり、この悪女から逃げるためには、すべてを捨てなければならないのだ。俺は部屋で頭を抱え、ベッドの上を転げ回った。


「うおおおおお! 助けてくれえええ!」


 ユリウスが冷ややかに一言。

「殿下、床が傷つきます」

「そんなこと言ってる場合か!」


 ついに俺は決意して、クラリッサの素行を調べさせた。戻ってきた報告は衝撃的だった。


「殿下……クラリッサ様は、これまで複数の婚活パーティで相手を次々と篭絡し……裏で婚活の極悪腹黒女王と呼ばれております」


「極悪女王って何だ腹黒女王って! 俺は極悪女王と結婚するのか!?」


 絶望の淵で思い出したのは、婚活パーティでひっそりと笑っていたリリアナの姿だった。流行のドレスではなくても、困っている者にそっと手を差し伸べていたあの優しさ。あれこそ本物だと、俺の胸は確信していた。


 そして俺は立ち上がった。拳を握りしめ、震える声で叫ぶ。

「決めた! たとえ追放されても、この悪女とは一緒にならん! 俺は自由を選ぶ!」


 ユリウスとカイルが同時に頭を抱えて絶叫する。

「「殿下あああああああああ!!!」」


 うるさい。だがもう迷いはなかった。俺は断罪覚悟で、真実の愛を取り戻す道を選んだのだ。


 ついに俺は決断した。煌びやかな大広間、貴族たちが見守る中、壇上に立った俺は震える声で宣言する。


「俺は……俺は、この婚約を破棄する!!」


 会場に雷鳴のようなどよめきが走った。女王陛下が持っていた扇子をばきっと折り、老伯爵は驚きすぎて入れ歯を落とした。貴族たちが一斉に囁き合う。

「殿下が……破棄を……?」

「追放確定では!?」

「王子が国から追い出されるだなんて!」


 クラリッサは余裕たっぷりの笑みを浮かべていた。

「まぁ殿下。法律はご存じでしょう? 婚約破棄をした者は……追放。王子であっても例外はございませんのよ」


 彼女は勝ち誇ったように俺に寄り添い、囁く。 「殿下、ここで謝罪して撤回なさいな。でなければ……貴方、野宿の王子になってしまいますわよ?」


「野宿の王子ってなんだ!」

 俺は即座にツッコミを入れたが、膝は震えていた。ユリウスとカイルは頭を抱えている。

「殿下ああああ! もう終わりです!」

「城下の宿屋ですら追い出される運命だ!」


 執行役人が前に出て、巻物を広げる。

「第一王子レオンハルト殿下。国法に基づき、ただいまをもって――」


 そのときだった。壇上の奥からドスン、と重い音が響いた。現王、つまり父上が登場したのだ。豪奢なマントを翻し、杖で床を叩きつけながら大声を張り上げる。


「待ていぃぃぃ!!」


 会場が水を打ったように静まり返る。父上は堂々と胸を張り、全員を睨みつけて言い放った。 「……実はこの法律、わしの昔の失恋の腹いせで作ったものじゃ!」


「「「えええええええええええええ!!!」」」


 貴族たちが総崩れになり、壁際のメイドまで腰を抜かした。俺は頭を抱える。

「やっぱりかああああ!!!」


 父上は続ける。

「わしが若い頃、恋した女に婚約破棄されてな……屈辱で夜も眠れず、むしゃくしゃして作った法律じゃ。反省はしておる。だが後悔はしていない!」


「いや、反省してくださいよおおおお!」

 俺の叫びが響いた。観客席からも「王様最低!」「なんて理由だ!」と罵声が飛ぶ。


 さらにそこへ、調査班が持ち込んだ書類が晒された。クラリッサがこれまで複数の婚活会で相手を騙し、地位を狙ってきた証拠の山だ。証言台に呼ばれた元婚約候補たちが口々に叫ぶ。

「俺も騙された!」

「慈愛の笑顔にやられた!」

「裏では灰皿投げられたんだぞ!」


 クラリッサの顔から血の気が引く。

「そ、そんなはずは……! わたくしは清らかな……」


「有罪いいいい!!!」

 父上の一喝が響き、会場は大歓声に包まれた。 クラリッサはその場で断罪され、護衛に連れ去られていった。俺はその場に膝から崩れ落ちる。


「助かった……! 追放じゃなくて済んだ……! ありがとう父上! でもやっぱり最低だな父上!」


 場の空気が一気に和らぐ中、ふと俺の視線は群衆の隅にいたリリアナに止まった。あの日と変わらず控えめに微笑むその姿。俺は足を震わせながらも歩み寄り、深呼吸して告げた。


「リリアナ……改めて言う。俺の隣に来てほしい」


 彼女は驚いたように目を見開いたが、やがて頬を染めて小さく笑った。

「……はい。殿下が本気なら、喜んで」


 会場に温かい拍手が広がる。自由恋愛はこうして復活し、俺はようやく本物の愛を見つけたのだ。ユリウスとカイルが泣きながら叫ぶ。

「殿下ああああ! ようやく救われたあああ!」


 こうして俺の婚活パーティから始まった悪夢は、断罪とどんでん返しを経て、ハッピーエンドを迎えたのである。


 追放されたクラリッサは、王都を去り、隣国での暮らしを始めた。だが、ここでも彼女の悪名は伝説のように広まっていた。

 ある日、町を歩いていると、賑やかなポスターが目に飛び込んできた。


『大人気新作! 舞台劇「婚活の覇王クラリッサ事件」 笑いと涙の大傑作!』


「……な、なにこれぇぇぇぇぇ!?」


 慌てて劇場に飛び込んだクラリッサは、観客席で愕然とした。舞台の上には、金髪のかつらをつけた役者が自分そっくりに扮し、誇張した動きで叫んでいたのだ。


「塩一粒! 塩一粒ィィ! あなたの罪は塩加減ですわぁぁ!」


 観客は腹を抱えて大爆笑。中には涙を流して笑っている者までいる。子供たちが「塩一粒ごっこ」と真似して転げ回っていた。


「ちょ、ちょっと待ちなさいいいいい!」


 ついにクラリッサは堪えきれず立ち上がった。劇場中の視線が彼女に集中する。舞台上の役者が台詞を止め、驚いたように彼女を凝視した。


「な、なんと……ご本人登場!? 本物の“婚活の女王”クラリッサ様だ!」


 観客が一斉に拍手喝采。クラリッサは顔を真っ赤にして叫んだ。 「ふざけないで! 誰が婚活の女王ですの! わたくしは清らかで慈愛に満ちた――」


「おお、それだ! その台詞、その仕草! 本物は迫力が違う!」


 劇団の座長が舞台袖から飛び出してきて、両手を合わせて頭を下げた。

「クラリッサ様、ぜひ舞台にご出演を! ご本人役として! もちろん出演料は破格でお支払いします!」


「はあああ!? わたくしを笑い者にする気ですの!?」


 しかし観客は「出てー!」「本人の“塩一粒”が見たい!」と熱狂。拍手と歓声の嵐に包まれ、クラリッサは言葉を失った。


 こうして彼女は隣国の舞台で、毎夜「塩一粒!」と叫ぶ役を演じ続けることになった。大人気の看板女優として。だがその人気の理由は――もちろん文字通りの「悪役令嬢」みたさ以外の何物でもなかった。

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