魔眼の少年少女たちは
王都リベラの遥か南。
かつて『世界一の歓楽街』と呼ばれた街が存在していた。正式名称はサウザムート。
この歓楽街が、王都周辺地域の経済を支えていたのだ――少なくとも、三十年前までは。
しかしバブルの崩壊と共に観光客は激減し、地域経済は立ち行かなくなった。派手なネオンは消え、廃屋とゴミの山が並ぶ通りに変わっていた。
賢い者たちは仕事を求め次々と王都へ移り住んだが、どうにもできない者たちは虚栄に縋って残る他なかった。こうして三十年が過ぎ、サウザムートは再び世界にその名を轟かせることになった――国随一のスラム街として。
来るものを拒まないスラム街に、二人の少年少女が流れ着いていた。
藍髪の少年はロイ、金髪の少女はミラ。しかし、それは本当の名前ではない。
二人に名などなかったが、ゴミの中から拾った絵本に書かれていた兄妹の名を借りたに過ぎない。
スラムで偶然出会った二人。もちろん兄妹ではないが、生きるために互いに協力していた。
そして、少年少女には共通点があった――。
「よし、今だ行くぞ!」
物陰からロイが飛び出し、大通り沿いの廃れた青果店に駆け込んだ。
店主は突然の出来事に虚を突かれ一瞬たじろぐ。しかし、腹をすかせた子供が商品を盗みに来るのは日常茶飯事。すぐに大包丁を手に取り追い払おうとした。
だが、ロイはこの街で生き延びてきたプロの孤児。一筋縄ではいかない。素早く陳列台に手を伸ばして果物を二つ手に取る。次に店頭の果物を蹴散らした。派手な音を立てて、陳列が崩れていく。
店主は怒声を上げて飛び出すが、あまりに一瞬の出来事で、目の前の少年か落ちた売り物か——判断する間もなかった。結局、店主は売り物を拾うことを優先し肩を落とす。
かわいそうに、子供に罪はないのだ――そう思った瞬間、果物を拾う少女と目が合った。
「こんにちは。これ、もらっていくね」
鈴を転がしたような凛とした少女の声に、なぜか断れず、店主はそのまま果物を手渡してしまった。
「いつもありがとうございます」
走り去る二人を見送る店主は、ポリポリと頬を掻きながら小さく溜息をついた。
「よっしゃ! 今日の食料ゲットした!」
薄暗い裏通りを走りながら、ロイは歓声を上げた。
「昨日は失敗したから、冷や冷やしたよ」
そう言ってミラが後ろから合流する。昨晩は同様に商店を狙っていたが、別の店で盗難騒ぎがあり、しばらく騎士が巡回していた。そのため、中止せざるを得なかった。
「実行できれば俺達の勝ちだ。昨日盗みのプロの動きを模倣しておいてよかった」
少年ロイには特殊な目があった。『模倣眼』――魔眼と呼ばれる特異体質の一種で、見た動きを24時間以内なら自身の身体で再現できる。昨晩の騒ぎの際、ロイは大人の盗み方を記憶し、完璧に模倣していたのだ。
「でも、強行はやっぱり危ないよ。あたしみたいにちゃんとお願いしないとダメだね」
少女ミラにもまた特殊な目があった。彼女の『偽眼』は、目を合わせた相手の認識を操作できる。店主はミラを支払い済みの常連客だと誤認し、品物を手渡していた。
二人の共通点――それは、生き延びるために不可欠な、『特異な目』だった。
「二日ぶりの食事だな。この先の教会跡でゆっくり食べよう」
ロイはそう言い、路地を抜けていく。広いサウザムートを転々としながら生活している二人には、どこが安全でどこが危険か、充分マッピングされていた。教会跡は比較的安全なはずだった。
ステンドグラスが美しい教会跡は、二人のお気に入りの場所だ。誰もいないことを確認して、そっと中へ入る。長椅子に腰を下ろし、盗んだ果物を慎重に並べた。
桃と林檎。どちらも二人の好物だった。ロイは林檎を手に取り、シャツの裾で軽くワックスを拭い取る。表面の粉が指先にほんのり残る。
一口かじると、甘い蜜が口中に広がった。パンや魚よりも、スラムでは貴重な糖分だ。思わず小さな笑みがこぼれる。
ミラは桃を手に取り、小さな口をめいっぱい開けてほおばった。甘くとろける果肉に思わず頬に両手を当てる。
「もう、死んでも後悔しないかも」
「冗談でもそんなこと言うなよ」
「ごめん……でも、幸せすぎて」
その瞬間、教会の外で微かな物音がした気がした。風か、動物か――はっきりとは分からない。
「なんだろう?」
「私、見てくる」
ミラはそう言うと扉を開き、そっと外へ出た。扉を丁寧に閉め、辺りを見回す。だが、周囲に動くものは見当たらなかった。
ロイは長椅子に座り、林檎をかじっていた。
一つだけで十分だ。残りはミラに食べさせよう――漠然と考えていたその時、外から叫び声が響いた。
「ミラ!」
慌てて教会の外に飛び出すと、線の細い男が少女を抱えて走り去るのが見えた。
「またか……。あの子、戦闘能力は皆無だし、まったく世話が焼ける」
ロイは目を細め、男の動きを追う。
子供を抱えたまま、大通りは通れないはず。男は人気のない路地へ進む。
ロイは雨どいに飛びついた。鉄管の冷たさが掌に食い込む。
息を荒げながら勢いでよじ登り、屋根へ身を躍らせる。
視線の先で、男が少女を抱えたまま角を曲がった。
「逃がすか……!」
屋根の端を蹴り、次の建物へ飛び移る。
着地の衝撃で足が痺れるが、構わず柵をくぐって追いすがった。
途中、男が倉庫の前で立ち止まると、ロイは咄嗟に物の陰へと身を隠す。
そっと頭を覗かせると男は鉄の扉に掛けられたダイヤルキーを操作しているのが見えた。
「見ちゃえば簡単だもんね」
その様子をロイは焼き付けるように記憶し、男が倉庫内に完全に入ったことを確認すると、そっと扉の前に近寄った。
『模倣眼』を使い、男の動きを再現すると手元が動いていく。
同時に模倣眼の再現を通じて、相手の動きからミラの必死な抵抗が伝わってくる。
あの子はあまりにも非力だ、……今度こそ、鍛えさせなければ。
ダイヤルを解除し、扉の取っ手を掴むと鉄の冷たさが伝わってくる。重い扉に力を入れて開いた。
倉庫内の空気は湿っていて、カビの臭いが鼻を刺した。
積み上げられたコンテナの陰に身を落とし、奥を伺う。そこから漏れる明かりの下で、男が余裕の笑みを浮かべながらミラを押さえつけていた。手元にはロープ――拘束の準備だ。
「……面倒になる前に割って入るか」
ロイは物陰から姿を現し、堂々と歩み出た。
「ミラ」
呼びかけに、男がギョッと目を見開く。
「な、どこから入って――」
言葉の途中で、ロイは無視してミラの手を取った。そっと立たせ、男の正面へ押し出す。
「一発、仕返ししておきなさい」
「はーい」
ミラが男と目を合わせる。次の瞬間、男の体が一瞬凍り付いた。
偽眼が脳に処理しきれない錯覚を叩き込んだのだ。
隙を逃さず、ミラは足を振り上げ――男の股間に思いきり叩き込んだ。
「うっ……!」
男は悶絶して崩れ落ちる。
ミラは顔を赤らめ、ぽつりと呟いた。
「……痛そう」
「かわいそ。君はほんとすぐ連れていかれちゃうんだから。ほら、帰るよ」
そう言ってミラの手を取り、ロイは歩き出す。背後で男が立ち上がる気配に、踵を返した。
「お、お前達……何者なんだ。さっきのは……魔眼か? へへ、そりゃいい。高く売れそうだ」
――人身売買か。子供は労働力として高値がつく。ありふれた話だ。
「人の商売にケチつけることはしないけどさ、相手が悪かったね」
ロイは対面に立ち、静かに構えを取る。
昨晩記憶した騎士団の制圧術をなぞり、身体が自然に動いた。踏み込み、腰を回す。拳が男の頬にめり込み、骨を伝って鈍い衝撃が腕に返ってくる。
男は声にならないうめきを漏らし、そのまま床に崩れ落ちた。
ロイは呼吸を整え、ミラに視線を向ける。
「ねえ、ロイ。あっちになにかあるよ」
促されて奥を覗くと、積み上げられたコンテナの間に鉄檻が置かれていた。中には小さな人影。
近づくと、檻の中で子供が鉄格子を握りしめていた。ロイ達より少し年下の少女。怯えた瞳がこちらを見つめてくる。
「生きてる? ここから出たい?」
ロイが声をかけると、少女がすがるように言った。
「……ここから出して」
助けを求める声よりも、ロイは少女の姿に目を奪われた。
艶のある髪、透き通る肌。衣服にはしわ一つなく、汚れもない。――これが噂に聞く“清潔”というものか。
「出してあげようよ」
困った顔で見上げてくるミラに、ロイは肩をすくめ、落ちていた工具で鍵を壊した。
「ありがとうございます」
「……なに、それ?」
「え? 感謝を表す言葉です。父に教わりました」
感謝。親切にされた時に使う言葉――大人の話で聞いたことはあった。だが、実際に向けられるのは初めてだ。喉に言葉がひっかかり、返事が出てこない。
「君はどこから来たの?」
ミラの問いに、少女は「王都リベラからです」と丁寧に答えた。
王都の子供は、こんなにも清潔で、丁寧で、生き生きしている。本当に同じ人間なのか。
胸の奥に、ふと揺れる思いが生まれた。――王都に行きたい。そこには、二人が憧れ続けた「普通の暮らし」があるのではないか。
「同じように連れ去られたんだね」
ミラが順を追って確かめると、少女は王都の貴族の子供だと分かった。探している者が必ずいるはずだ。
檻から救い出し、倉庫を後にする。乾いた外気に触れると、ようやく息が楽になった。
大通りに出たところで、巡回中の騎士団員の姿を見つけると少女が走り寄って声をかけた。
「助けてください。王都から連れ去られて……」
スラムの子供なら、普段は無視される。だが彼女の髪も衣服も、その一つ一つが身分を証明していた。
騎士団員の態度が一変する。慇懃に頭を下げ、少女へ言葉をかけようとした瞬間——
ミラが音もなく割って入った。
無垢な瞳が、騎士団員を、少女を、次々と射抜いた。
一拍置いて、彼らの視線が淡く濁る。
ロイはその光景に、ぞくりと背筋を震わせる。
予想していたが、やはりこの子は——。思わず口角が吊り上がる。
「さ、こちらへ」
騎士団員はミラの手を取り、優しく導いていく。
人生最大の機会。スラムから抜け出すチャンスを、彼らは手にしたのだ。
……ただひとり、取り残された少女を背後に残して。




