第9話 序章9
「その男は何をしたかったんですか。」「イジリアスは何を実験していたのかは結局分からなかった。根城には何も残されておらず子供たちは完全に記憶を消されていた。自分たちが何をされたのか誰がここに連れて来たのかさえ、全く。」
「その中にアオイもいた。」コウヤとリオンは驚愕し、アオイを見た。
「私だけ別の所に拘束されててね。忘れられていたらしい。父上が見つけて下さらなければ餓死だな。」
にっこりと肩を竦めリョウと笑いあう姿にコウヤは背筋がぞくりとした。
「だから私は忘却の術をかけられていないのさ。でも何もかも知ってるわけではないよ。私も生体実験の生贄だったから。」
「話を戻すがその時、セシリア様の痕跡はなかった。私の見解は…誘拐ではなく失踪だと考えている。」
「その男と何か接点があったのですか。」「宮殿で育った幼馴染の様な関係だったそうだ。しかしイジリアスと結託したとは考えにくい。これはあくまでも私の意見だがセシリア様は別の理由でミカミ家を離れたのではないのかと思っている。」
「拉致でもなく自由意思で出て行ったとオリビエ殿は考えておられるのか。」深い苦悩の色を浮かべコウヤは言う。
いつのまにかコウヤの後ろに立ったリョウが震える肩にそっと手を乗せた。
リオンはこの不思議な少女を改めて観察する。薄い身体はしなやかで若々しく、すっきりとした衣装は彼女に良く似合っていた。明るい茶色の髪はくるくると跳ね、うしろに纏めた長い髪はアオイとお揃いか。同色の瞳と白磁の肌と持つリョウはかなりの美少女に違いないとリオンは思う。なによりけばけばしい色気過多の貴族の令嬢とは一線を期している。纏う雰囲気がまるで違うのだ。なんと言うか傍にいると暖かくなる様な感じがする。そうまるであの方のように優しくて高貴で清廉な女性…
はっとリオンは思い当ったのだ。タオ嬢はセシリア様にどことなく似ているのか。コウヤが受け入れるのも道理かもしれない。
女性に身体を触られることを嫌う主人が何も言わない。彼女がコウヤ様に寄り添える存在であればいい。リオンは素直にそう思った。
「話は少し外れますが、西将軍と東の将軍の身内が狙われるという不可解な事件が立て続けにおこっています。両件とも大事には至りませんでしたが妙な具合に少年少女が関わっている。そして魔法の跡が伺えます。」アオイは続ける。
「この少年少女はあの時実験施設から保護された子供達、でした。」「しかし彼はモントールのどこにもいない。」
「身体に刻まれた呪術が一定の期間をおいて発動する、という禁術は存在する。」オリビエは難しい顔で腕を組む。
「その子供達は保護された後、しかるべき施設や親のもとに戻されている。何年か監視を続けたがジギリアスの影はなかった。」
「オリビエ殿。では私にもその呪は埋め込まれている可能性はあるのか…」コウヤは苦しそうだ。
「ある、と申し上げておきましょう。そしてこのリョウにも。」
「貴方に張り付いて離れなかった子供はこのタオ・リョウでございます。」
頭を襲う激しい痛みの中で残像が蘇る。
ーーー子供の泣き声が聞こえる。なぜぼくはここにいるの?小さい手がぺちぺちと頬を叩いている。
「いたく・ない?」茶色の瞳がコウヤを覗き込む。「誰…リョウ?」
「あ!あの子供は貴方なのか!?」コウヤは立ち上がり逆にリョウの両肩を強く掴んでいた。
痛かったのだろう、眉を顰めたリョウからコウヤは慌てて手を離した。「ぶ、無礼を、働きました。」
「いいえ、仰せの・通りです。」学院で聞いた弱々しい声ではなく掠れてはいるがしっかりとリョウはコウヤに答えた。
「番号で呼ばれていたこの子に名前をくれたのはコウヤ様、貴方なのですよ。」
自分にはリョウという従兄弟がいたのだ。気が付いた時その名を呼んだのはただの偶然だった。
「その、名前が、貴方の名前に…?」「この子はコウヤ様に頂いた名前を大切にしておりますよ。」
「今日から・私を・護衛に・お付け・下さい。」リョウはコウヤがしたように膝を折り、頭を下げた。
「モントール学院には不特定多数の人が出入り致します。しかしリオンは講義室まで入ることは叶わない。ですからリョウをぜひ、お側にお置き下さい。必ずやお役にたつ事と信じております。」
オリビエの言葉にコウヤは渋った。女性を護衛にするなど聞いたこともないし、ましてやリョウを盾にするなど沽券に関わる。
「コウヤ様・お願い・致します。」立ち上がり更に頭を下げるリョウにコウヤは溜息をつき、仕方なく頷いた。
ーそんな風にお願いされたら嫌だとは言えないじゃないか。コウヤは二度目の溜息を漏らした。