第6話 序章6
「コウヤ様…あれでは旦那様がお可哀想かと。」「ふん、アイツにはこの位で丁度いいんだよ。」
あいつは保身しか考えちゃいない。軍の狗だ。吐き捨てるようにコウヤは呟くと招待状を広げた。
「明日か。お前も同行しろ。」「御意。」リオンは明日の訪問に花を用意する為、執事を探した。
がっくりと椅子に座り込んだトウマは体をうしろに倒し目を瞑った。
一体いつからこんな具合になってしまったのだろうか。あの日から家庭は崩壊した。セシリアがいなくなってしまったあの日から…
セシリアとトウマは典型的な政略結婚だった。
30年前に成った無血クーデターは腐敗しきった貴族と王族を憂いた良識派と軍人によって決行されたのだった。
王は宰相の傀儡となり貴族は富と権力を欲しいままにし、国は疲弊していた。
重税と過酷な労働に民は弱っていく。
国外に逃げ出す人間が増え更に状況は悪化した。そして世の中に出た事のない若い王は何も知らなかったのだ。
贅沢しか知らず、いやそれさえも当然の事と教育された脆弱な王は宮殿の奥にただ存在していた。
式典や慶事に稀にバルコニーに出てくるやる気のなさそうな王に民はもう何も期待していなかった。
こうして最後まで何も知らなかったモントール王はあっさりとその権利と王座を剥奪された。
しかし彼は今でも王宮に住み、大勢の侍女に囲まれて暮らしている。
彼にとってはあまり変わりは無かったのだ。政治など興味はなく今の生活が維持できれば良かった。
宰相の言いなりになるのも将軍のいいなりになるのも同じ事。好きにすれば良い。彼はそう言った。
側近だった5人の宰相は牢に繋がれたが一人だけ、王の護衛隊長が姿を消し、見つかることはなかった。
当時15歳だった王も45歳、お飾りと化していてもモントール王セザル陛下には違いなかった。
しかしいくら本人にその気がなくとも担ぎ出そうとする輩は常に存在する。
その為王宮は軍の監視下に置かれ、セザル陛下は隠れて「籠の鳥」と軍人は労わりをこめてそう呼んだ。
大多数の者は当時の悪政が陛下の所為ではないと今なら知っているがトウマ自身はこのセザルを信用してはいなかった。
あれは知っていて何もしなかったのではないのかと。
良識派と呼ばれた側近も近くにいたはずだった。もしかすると生き延びる為には傀儡でいたほうがいいと判断したのではないか。
トウマが見る限り、セザルは愚鈍な王ではなかった。
そして当時、トウマの妻セシリアは王妃に一番近いところにいたのだ。
育成機関を経てトウマは上級貴族でありながら軍人となっていた。その功績と豪胆な性格は同期でも群を抜いていた。
数々の戦績と隣国コリルの干渉を退けた功績によってトウマは中央に召還された。
セシリアとの縁談が持ちかけられたのはそんな時だった。
元、王妃候補との縁談はあっと言う間に進み、半年後には豪華な婚礼が行われネスター・セシリアは住み慣れた宮殿を去った。
トウマはセシリアを大切に扱い不自由のないように心を砕いた。
心細そうに家から出ない美しい妻がいつしか自分に向き合い、笑ってくれるようになったことが嬉しかった。
しかし彼女は本当に幸せだったのだろうか。トウマはそう自分に問いかける。
あまり感情を外に出さない女だった。そういえばコウヤが生まれたときも余り嬉しそうではなかったな。
閨でもそうだった。求めれば拒む事はなかったが彼女から来る事はなかった。
軍務と宰相としての仕事は多忙を極めトウマは軍の宿舎に泊まる事も多かった。クーデター後の王推進派の動きも静観できず、隣国コリルとイバネマの干渉も放ってはおけなかったのだ。
「家庭を顧みない夫だったのは確かだな。」しかし少なくともセシリアは妻としての務めは立派に果たしていた。
あの時の事件は狂言ではないかとの見方もあったのだ。
コウヤの誘拐で金品の要求はなかった。しかし目撃者は全く見つからず何の目的で子供を誘拐したのかも不明。
そして1ヶ月後にコウヤは中央郊外の一軒屋の納屋で発見された。そこには同じくらいの子供がもうひとりいたそうだ。
その現場の報告では白い寝巻のような服を着せられたふたりの子供はがたがたと震えながら抱き合っていたと言う。
かなり憔悴していたがコウヤは食事も与えられていたようだった。体も汚れていなかったし折檻された様子もなかった。
誰が何の為に、何を目的にコウヤを浚ったのか。軍部の捜査網を駆使しても全く分からなかった。
コウヤは切り取られたように完全に記憶を失っており手がかりは途絶えてしまったのだ。
そしてセシリアの足取りも全く掴めずに現在に、至る。
もしかするとセシリアは自ら望んで失踪したのかもしれない。今ではトウマもそう考えるようになっていた。
当時の情報に気になるものがあったのだ。正規の通行証を持たない人間を密航させる船に手入れがはいった。
その親玉が換金しようとしたその宝石はトウマがセシリアに贈った品だった。
極秘に捜査は進められたが親玉はその対価に船に乗せたのは男だったと言い張る。結局生死も不明のままだった。