第4話 序章4
その時コウヤは何か考えて行動したわけではない。
とにかくこの女性に謝罪しなくてはいけない、そう思った結果だったのだ。
膝を折りコウヤは彼女の手を取った。
「知らぬこととはいえ、貴方への大変失礼な振る舞いをどうかお許し下さい。」
彼女の柔らかい気はその指先から伝わってくる。良かった、彼女は怒ってはいない。コウヤはそう感じた。
思い切って顔を上げるとリョウはにっこりと笑ってコウヤに立つようにと促した。
そしてまたかすれた声でこう言った。「いいえ・私こそ・ご挨拶が・遅れ・申し訳・ありません。」
そうして彼女は東洋風の優雅に頭を下げるお辞儀をした。
無理に話をさせているようでコウヤは身の置き場がなかった。仕方なく小声で場所を移す事を提案する。
リョウは嬉しそうに笑って頷いた。「勝手に話しますから返事だけして下さい。タオさんは東の島の一族なのですか?」はい。
コウヤは彼女をエスコートしながら学院の外に向かっていた。
「私の一族もそこから来たと言われています。」見世物になるのは本意ではないが男として馬車まで送るのが礼儀だろう。
でないとミカミ・コウヤに謝罪させたこの少女が大変なことになるのはまず、間違いない。
迎えの馬車の近くまで彼女を送るとコウヤはそれを見送った。「っ、面倒にならなきゃいいけどな。」
うしろで吃驚しているリオンに言い訳のように呟いた。
「タオ・リョウを詳しく調べさせろ。あれが演技だったら相当なものだぞ。」でもコウヤはそうは思いたくなかった。
それから毎日コウヤは学園に通った。もちろん目的はあのタオ・リョウに会う為だ。
しかし彼女はコウヤと同じく決まった講義にしか出席しないらしい。仕方なく彼はミシェール講師に話しに出かけたのだ。
「コウヤ様から出向くとは、彼女は何者ですかな。」にやりと笑うミシェールはとても嬉しそうだ。
コウヤはこの食えない男が嫌いだった。敵なのか味方なのか見極めが難しい。今の所は下手に出ているが信用はしていなかった。
「何者もなにもありませんよ。失礼を詫びたいだけですので詮索は止めてください。」
彼女は医療関係の道に進むようだった。貴族の女性が医師になる。あまり例がないのだとコウヤは考える。
普通なら適当な家に嫁げば楽に暮らせるのに。しかし、講義はお遊びとは思えない高度な内容だった。
それだけでもコウヤには彼女は好ましく映った。彼の知る女性は皆打算的で匂いのきつい動物的な生き物だったから。
そして美しく聡明だった母親の姿だけは永遠に汚されることなく輝き続ける。
気が付くと眼の前ににっこりと微笑むリョウがいた。昼食後の時間を持て余し、学院内の森をふらつくトウヤは目を瞠る。
「タオ嬢、なぜこんな所に?」小走りで近づく彼女はコウヤの後方を凝視し、目を細める。
凄まじい殺気にコウヤも身構えた。瞬時にリョウが消える。いや走る小さな背中が見えた。
敵は何人だ。コウヤは神経を研ぎ澄ます。
戦っている。2.3・それ以上いるはずだ。どさりと倒れる音でコウヤは警戒を解いた。「タオ嬢?どこにいるのですか?」
森の奥からにこにことリョウが出てくる。まさか彼女が賊を倒したのか?
口を開こうとしたその時、いきなり彼女はコウヤに圧し掛かるように押し倒したのだ。
「ちょっ・何を!」コウヤはすぐにその行動に気が付いた。リョウがコウヤをとっさに庇ったのだ。
「ぅっ!」リョウの発した低い声。
血の匂いが漂う。「コウヤ様っ!」リオンの声にリョウがコウヤの側から飛びのきこう言った。「貴方を・守る・から。」
「コウヤ様に何をした。」リオンはリョウに近づいてくる。
リョウの服の肩の辺りがべっとりと濡れている。「怪我、したのか?」ふるふると首を振ったリョウはもう何も答えない。
甘い血の香りを残してリョウは背を向け走り去る。「・・いい。追うな。」リオンは悔しそうに小さな背中を見送った。
「コウヤ様、タオには近づかない方がいい。あの一族は危険です。」従者はコウヤと目を合わせる。
「何が分かった。」「何も。後ろ暗い噂など全くありません。なさすぎです。貴族で恨まれていない家など皆無に近い。それなのにタオ家は大陸系の貴族の中にいて綺麗すぎます。」
「そしてあの娘は当主がどこからか拾ってきた下賎の者との風評です。」「真実は。」「分かりません。でも実子ではないと。」
あの娘を敵だとは思いたくない。それがコウヤの出した答えだった。
「コウヤ様、戻りましょう。」土に張り付くような重い足をコウヤは一歩、踏み出した。