第36話 再会3
詠唱無しの転移術なんてもう無茶苦茶な事は分かっている。
この移動の負荷にリョウの身体が耐えられるのか。
コウヤが思ったのはそれだけだった。
「大丈夫、皆がイシュタールで待っててくれる。それまでもう少しだからな。」
そう言いながらコウヤは震えを止められなかった。リョウの身体がどんどん冷たくなっていく。
吐いた血が詰らない様にと横にした口からはまだ血が流れていた。
「着いたっ!ジル!リジア!リョウが危ない。助けて下さいっ!!」
血塗れで現れた二人を確認すると皆息を呑んだ。すぐにジルとリジアが魔方陣を出現させる。
敷物の上に正体のなくなったリョウをコウヤがそっと横たえた。「瞳孔開いてませんか。」
そう呟いたルイスにコウヤが掴みかかった。
「言うんじゃねぇっ!」「…こいつ何処かに縛っとけ。危険物。」
胸ぐらを捕まれたルイスはそう指示するとその手を掴んでゆっくりと下ろさせた。
「お前の魔力が一番リョウに近い。彼女を中から助けられるのはコウヤ、お前だけだ。落ち着いて少し待ってろ。そんな精神状態じゃあリョウが壊れちまうだろ。今、稀代の医療術師が応急処置をしてる。」
コウヤはずるずるとその場に座り込んだ。
「助けられなかった…何も出来なかった…オレ、はっ!」
あんな側にいながらオレはリョウを止めることすら出来なかった。
オレの大切な人がまた、居なくなってしまうのだろうか。
母上はいきなりオレの前から姿を消した。そしてリョウはこのまま死んでしまうのだろうか。
オレはいつでも無力だ。
ぼんやりとしてしまったコウヤにスバルが大きく嘆息した。
「おい、しっかりしろ?お前が手を離してどうすんだよ。そういうのを見殺しにするって言うんだぜ。」
「っ…!違う、そんな…」「じゃあ黙って見とけよ。どんな結果でも最後まで見届けろ。でないとお前、一生後悔するぞ。」
のろのろと顔を上げ身体を起こすと壁に寄りかかり、コウヤはスバルをじろりと眺める。
「スバルは後悔したのか。」ようやく状況を冷静に考えられるようになったのか、コウヤが問う。
「あーもうそれは壮絶にね。」
この明るいスバルにもそんな過去があるのか。治癒魔法で蘇生を続ける二人の術師の額に汗が光る。
リョウは動かない。
膠着した時間がじりじりと心を責め苛む。「…なんとか、繋がったかな。」
這うように陣から出てきたリジアの顔には草が絡まるような文様が浮き出ていた。
「綺麗な文様だ。懐かしい。」口から零れ出た言霊は辺境の民を祝福する。
「そうか、お前も此方側の人間だった。この姿を綺麗と言ったのはコウヤで二人目だ。」
静かにリジアは語った。
ぐらりと傾く身体をルイスが慌てて支える。「一人目はお前だったな。」リジアは縋るような瞳でルイスを見上げた。
「コウヤ、次は君の番だ。此方へ。」ジルの言葉にコウヤはすぐに反応した。
悲しんでいる暇は無い。
今自分に出来る事の最善を尽くす。
ジルの指示に従い、動脈に近い場所から少しずつ魔力を流し込む。
「よく覚えておけ。全身の機能を回復させる方法は強い魔力ではない。気の流れを読み循環させ自己回復を促す。表面の傷を治すのとは全く違う術式だ。タオに伝わる古代魔法に乗っ取っている。起源を同じくするリジアとは相性がいいんだ。」
力を入れ過ぎない様にと緊張するコウヤにジルは話しかける。移動する部分を指で示しながらコウヤの潜在能力に舌を巻いていた。
何よりも制御する精神力が並外れて高いのだ。これはきっと彼が過ごしてきた生活は我慢を強いるものであったのだろう。
「これで暫く様子を見よう。」ジルの言葉にコウヤは大きく息を吐いた。「助かるんですね。」
「命はな。しかし、心の傷と精神攻撃は魔法では癒せない。」「どういうことですか…!?」
歯切れの悪いジルの言い方にコウヤは引っかかるものを感じたのだ。
「それはリョウの意識が戻ってから話そう。それよりコウヤがリョウを着替えさせるか?それとも他の誰かにさせるか。」
「やります。」この血だらけの服をそのままにはできない。せめて清潔な夜着に着替えさせてやりたい。
「ルイス、湯を沸かせ。アオイはリョウの着替えを。カルロスはリョウのベッドをコウヤの部屋に移せ。」皆は一斉に散った。
少し色の差した頬を見ながらコウヤはリョウの血に塗れた服を取り去っていく。
彼女が寒くないようにシーツをかけながら湯で絞った布で茶色に染まった白磁の肌を丁寧に拭った。
意識のないリョウはされるがままだったが嫌がってはいないとコウヤは感じた。
そして昔にもこうやってリョウの世話をしたことを思い出していた。
「慣れてるって変だろ。」そう自嘲するとコウヤは全てを終え、上掛けでリョウをきちんと包んだ。
「綺麗になったよ、リョウ。」
まるで寝ているだけのようなリョウの姿にに改めて後悔をした。もたついた自分の所為でリョウが命を落としたとしたら。
スバルでなくとも一生の後悔をしただろう。実際に治療をしたのはジルとリジアだったのだ。
オレは何もしていない。
重いベットを引きずり隣に寄せ、コウヤは自分も横になった。「手を握ってるから。」
そう言うとコウヤは中指で瞼を辿り、両の目尻にそっと口付けを落とした。
彼女はピクリとも動かなかった。
仰向けに横たわるリョウの小さな手を両手で握り締めて彼は眠りに着く。
目覚めた時には彼女の茶色の瞳が見れるようにと願って。
しかし、その小さな手が握り返してくる事はなかった。
コウヤは長い長い夢を見ていた。
「コウヤまで目が覚めない?」「はい…叩いても揺すっても全く反応がないのです。」
次の日の午後遅くのリオンからの訴えだった。