第3話 序章3
しかしいつまでも屋敷の中に居続けるわけにもはいかない。コウヤにはそれが良く分かっていた。
上級貴族の長子としての責任とその重圧。
父親の跡を継ぐ気持ちはさらさらなかったがこのままそのむかつく父親の世話になって一生を送るのはもっと屈辱だった。
いつしかコウヤは自分の立ち位置を外の世界に求めるようになっていった。
相変わらず人の多いところは苦手だが勉強は嫌いではない。この学院の中なら好きな分野の勉強が約束されている。
良くも悪くも自分の身分を隠す事はできないのだ。この肩書きはこの国に居る限り必ず付いてまわる。
コウヤは逆に上手くそれを利用するようになっていた。権力に弱い者にはそれを振りかざし、屈しない者には力で黙らせる。
こうしてコウヤは今の立場を手に入れた。誰にも何も言われる事のない雑音の少ない学生生活。
全く皆無という訳にはいかなかったが職員以下表立ってコウヤに逆らう人間はあまり居なかった。
中央最高権力者ミカミ将軍様の長子ミカミ・コウヤ。
容姿端麗にて頭脳明晰。年季の入った傲岸不遜な態度とその性格はこうして出来上がっていった。
しかし、その平穏な日々も一人の少女の登場によって彼は世界の裏側を、人の醜さを見続けていく事になる。
学院には制服はない。それぞれの階級に見合った服装で通学する。女性も含むこの学院は普段外へ出ることの無い令嬢達が貴族のバカ息子と知り合う少ない機会でもあったのだ。
しかし、普通は政略結婚や家同士のしがらみで生まれたときから許婚が決まっている者も多くこの時代自由恋愛などできるはずもなかったのだ。それでも少女達は秀麗な青年に恋心を抱き、擬似恋愛ごっこを繰り返すのだった。
絹のドレスを纏った美しい少女達が犇く学院に彼女はひっそりと現れる。
何もかもが規格外なその異質さに少女達は彼女に近寄ろうとはしなかった。
コウヤは自分の役に立つと判断した講義にしか出席しない。資格さえ取れれば卒業しようがしまいが余り関知するところではなかったのだ。したがってミシェール講師に留年決定されても別に構わないと思った。しかしそれ程この少女はコウヤを惹き付けた。
講義の間中コウヤは彼女を観察し続けた。
首裏に感じた突き刺さるような視線は絶対に彼女のものだった。しかし斜め前に座る少女から発せられたとはとても思えない。
東洋の服装・・アオザイと言ったか?直線的な裁断の衣装は長い裾から膝の辺りまでスリットが入っていた。
そしてその下には男性が穿くようなズボンを身に着けている。光沢のある生地は濃紺で上等な作りだ。
女性がこんな衣装を着ているのははじめて見た。家の中でならともかく煌びやかなドレスでその身を飾る女性の纏う服装ではない。
くるくると跳ねる薄茶色の髪は首の辺りでひとつに括られている。これも見たことのない髪形だった。
普通は色々と飾り付け結い上げ膨らませその存在を主張する。そしてあの頭が痛くなる香水とやらをふんだんに振り掛けるのだ。
まるで少年の様だった。
これから夜会に出るのかと思うようなドレスで講義に登場する令嬢達の中で彼女は異彩を放つ。
「異質だな。」そうコウヤはひとりごちた。まるで自分と同じ様に弾き出された存在。
声を聞きたいと思ったがミシェール講師は彼女を指名する事はなかった。思わずコウヤは自嘲する。ーこのオレが女に興味を持つか。彼は別に女性が嫌いなわけではなかったが、ただ面倒だった。政略結婚などどうでもよく、しかし女性問題で犇く有象無象のバカ共につけいる隙を作ってやるつもりもない。上級貴族の肩書きだけではないミカミ家と婚姻によって取り入ろうとする輩とその意を汲んだ娘には関わるなとリオンを通してきつく父親から言い渡されていたのだ。
トウマとコウヤは同じ屋敷に住みながら顔を合わすことなく暮らしている。
必要事項は執事かリオン経由で通達される、同居人とかわりない生活だった。
講義終了と同時にコウヤは少女の側に立った。とにかく何者かだけでも確認しておかないと気分が悪い。
頼んでもいないのに隣の少女が説明を始めた。「あの、タオさんは事情があってあまりお話にならないんですのよ。小さい頃の事故でお声が潰れてしまったそうですわ。」得意そうに声を上げる少女の横でタカヤは衝撃を受けた。
「皆さん・驚かれる・ので・あまり・話しません。タオ・リョウ・と・申します。初めまして・ミカミ・様。」
女性の声とは思えない低いかすれた声。途切れ途切れに話す少女は笑っていたがコウヤはかっと体が熱くなるのを感じた。
知らなかったとはいえこれでは公衆の面前で恥をかかせたのと同じ事だった。
立ち上がった少女の前でコウヤはとっさに膝を折った。