第19話 旅立ち10
リオンは改めて右手を差し出し、礼を尽くした。椅子に落ち着くと、どっと疲れが体を覆う。
「良かったら旅の汚れを落としてくるといい。」ジルはリオンに湯を勧めた。黒い服の男がさっと立ち上がり奥へと案内する。
大きな盥のある場所に湯煙が立っている。「沸かしたてですから温度に気をつけて下さい。」そう説明するとリオンは残された。
「素直そうな従者じゃないか。」先ほどの男がアオイに言う。「…ふたり共バカがつく位、真直ぐですよ。」
「だからこそジギリアスにくれてやるわけにはいかない。」
ぺたぺたと裸足で歩く足音に皆が頬を緩ませる。「痛いところはないか、リョウ。良く来たな。」
両手を広げて待つジルに迷わず飛び込むリョウは小さな子供の様だった。
後を振り向くとコウヤも着いてきていた。「…あ、の、ミカミ・コウヤ、です。うわぁ!」
待ち構えた様に男達がコウヤに群がったのだ。ばんばんと背を叩かれ、頭を思い切り撫ぜられる。
「おう、良く頑張ったな!お姫様をちゃんと護ったんだろ?大したモンだぞ小僧!」
大の大人にこんな扱いを受けたのは初めてだったが、悪くないな、とコウヤはひそかに思った。
何やら良く判らない内に椅子に掛けさせられ熱いカップを持たされた。「上手いから飲め。蜂蜜入りだぞ?」
抵抗できない。ようやく人の顔を認識するとオリビエと良く似た顔が笑っていた。「イシュタール・ジルだ。ようこそ。」
馬で迎えに来たのが年嵩のカルロス、その他はルイス、リジア、スバルと彼らは名乗った。
この他に臨時の従業員はいるが、このメンバーが常時店に残るそうだった。要するにイシュタールの子飼いなのだろう。
まだ頭がぼんやりとしている。あの奇怪な鳥は何だったのだろう。リョウは明らかに反応していたし、オレが捕まえていなかったらあのまま着いていったかもしれない。「コウヤ、大丈夫?」アオイは心配そうに覗き込んでいる。
「…ぁあ、すまない。あの鳥を思い出してた。」「あれはどう贔屓目に見てもハオラだよ?」スバルが確信を持って言い張る。
ここの人達は全てを、此方の事情を知っているのだろうか。まだ得体の知れない人間の集まりという気がする。
コウヤは様子を見るつもりで黙り込んだ。そんなコウヤを宥めるかのようにカルロスはぽんと肩を叩いた。
「為る様にしかならないって事だ。焦ってもいい結果はでないさ。コウヤとリョウはもうイシュタールの住人だ。悪いようにはしない。俺達もここに住んでいる以上、戦争やら内紛は避けたいのが正直な所だ。」
コウヤは真直ぐにカルロスを見た。「でもイシュタールは武器も扱うと聞いた。戦争があったほうが儲かるのではありませんか。」
真っ向からぶつかって来る彼にジルはにやりと心の中で笑った。へぇ…ミカミ・コウヤは使えそう、か。
どうやら彼も頭の悪い貴族で将軍の息子と言うわけではなさそうだった。オリビエからのコウヤの情報はとても少なかった。
それはどう動くかはこちらで見極めろというオリビエの方針だとジルは判断した。
イシュタールにはそれなりのやり方と責任がある。彼らも子供ふたりを匿うだけでなく、為すべきことがあるのだ。
「なぁコウヤ。ウチの商品は何だか知ってるか?輸入品、鉱石、宝石、薬から石鹸まで多岐に渡る。何が売れるかで人の動きが見えてくるんだ。平民の俺達は見得もプライドもない。自分自身を守るために金を使う。そして武器扱いはその中のほんの一部にすぎない。イシュタールの扱う武器は…魔道具だけだ。」いつの間にか戻っていたリオンが邪魔にならないようにコウヤの側に腰を下ろした。
「近年、戦勝国は強い魔導師の取り合いをしている。ハオラが現れたのもそんな頃だった。血族的に強い魔導師が生まれにくいイバネマは破壊的な力を持つ術師に否定的だった。でも、あいつが来てから黒い術師が国内に出没するようになったんだ。」
「確かに術師の戦いなら効率はいい。でも…使い方を間違えばどうなると思う?」ジルはコウヤを振り返った。
「行き過ぎた非戦闘員への虐殺行為と土地の破壊。」「そうだ。一番弱い者から蹂躙され略奪される。町は破壊され荒廃し、疫病と流行病が蔓延する。」
「モントールはどうだ。リオン。」カルロスが話を引き取った。
「モントールは術師の規制がある。軍と議会の権限無くしての戦闘行為は許されない。」
「ここにはそういった法律は存在しない。」初めてリジアが口を開いた。褐色の肌と青い瞳を持つ若い青年だった。
「術師同士の戦闘を知らない連中はその土地を完全に破壊するまで戦いを止めない。」その方向をリジアは見つめる。
「辺境の民はその土地に執着する。たまたま村を離れていた俺は虐殺を逃れた。数日後に戻った俺を迎えたのは…くそっ!」
続けらないリジアに変わって金髪長身のルイスが言う。「村があった場所には何も残っていなかった。家は吹き飛び、森は形を変えていた。そして女子供から老人まで生存者は一人も残っていなかったんだ。」ルイスは近くを旅する商人の息子だった。リジアの村で食料と水を補給させてもらおうと寄ったところをその惨劇の生き証人となってしまったのだ。
呆然と座り込むリジアを支え、村中をを走り回った。遺体が無いのを不審に思い、何処かに連れ去られのではないかと思ったのだ。
「違う。死んだから無いんだ。」リジアの村は特殊な術師が多く生まれる血族だった。
「どういう事ですか…?」コウヤが問う。「生命反応がなくなると塵に還る。それだけだ。」リジアは吐き出すように答えた。