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海の蒼  作者: 森野優
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第17話 旅立ち8

心の底まで見透かすようなリョウの瞳にコウヤは密かに嘆息した。自分の矜持などこの際どうでもいいのだろう。

自分はこの小さな少女に魔力を使わせないようにしようと心に決めた。

被害者である彼女がオレに対してその行動が避けられないのであれば、そうさせないように守るのがオレの矜持だと。


ふっと頬を緩めたコウヤにリョウは微笑みかえした。「そう、それでいいと思う。リョウはとりあえず真似するからね。コウヤ君が楽しければリョウも笑う。そうだな…リョウは孵ったばかりの雛だから。」あまりにも無垢な少女が悲しく、痛ましく見えた。


「大丈夫だよ。今までリョウには友達がいなかったんだな。色々面白い事教えてやるから楽しみにしてろよ。」

わざと乱暴な言い方で彼は心の動揺を鎮めた。命の残量。コウヤは覚めた頭の中でそんな事を考えていた。


宿屋はいつもリョウとアオイ、コウヤとリオンの部屋割だった。二人は食事も部屋に運び込んで摂っている。

「なぁアオイ、どうして下で食事しないのか?」ようやく敬語無しの会話に慣れてきたリオンの他意のない素朴な疑問だった。


「リオンとコウヤとなら問題ないけど他の人がいるとちょっとね。」

食べたら部屋に来いとアオイは言うと用意した食事をいつものように運んで行った。


コンコンコンとノックして二人は入室する。その光景にふたりは唖然とし、同時に固まった。

「刃物とか先の尖ったものをリョウに向けると酷いパニックになるんだよ。スプーンは克服したけどね。」

はい、とアオイはリョウを促すと彼女はぱかりと赤い口を開けた。

生れたばかりの雛に餌を運ぶように小さく切り刻んだ食物をアオイは口に入れてやる。無表情にリョウはそれを咀嚼する。

「リョウはね、人間の三大欲求に関心を示さないように洗脳されてんだろうと思うんだ。放っておくと食べないし横にもならない。」

「…それ、オレがやってもいいか?」「はっ?コウヤ様??」これにはリオンが吃驚した。間違ってもコウヤ様は子供や女性に関心のある人間ではなかったのだ。いくらリョウさんが関係者だとはいえコウヤ様が手ずから食べさせると…?


あっさり席をコウヤに譲るとアオイは自分の分を食べ始めた。「はい。」ぱかり。もぐもぐとリョウは無表情で食べている。

皿の料理がなくなるまでコウヤはそれを続けた。「水は?欲しい?」「はい。下さい。」コップは大丈夫なんだな。そういえばタオ家では紅茶を飲んでいたしな。こんな事をしたのは生れて初めてだけどうん、悪くないと思った。他の人間にはしたくないがリョウの食事の手伝いをするのは好きだ。小動物の様で可愛い。満足げな表情で世話を続けるコウヤをリオンは茫然と見つめていた。


「なんか新境地を開拓しちゃった感じだけど、悪くないと思う。今までコウヤは与えられる側の人間で大切な者の為に何かしようとするのは初めてなんじゃないのかな。リオンはあれ、反対ですか。」

「あ…いや反対とかではなくて…ただ驚いています。正直彼が手を出すとは思いませんでしたので。」

「うん、私もそこは結構意外だったけど、リョウも受け入れてるし問題ないかと思う。私も料理が冷めないうちに頂けるしね。」

その日からリョウの食事当番はコウヤの担当となったのだった。

そしてリョウが寝るときにはアオイが薄く結界を張る。リョウはひとりでないと寝られないのだ。当初タオの屋敷に引き取られてそれに誰も気付かずリョウは当然のごとく寝なくなり、ふらふらになるまで我慢してついに昏倒した。人間は寝ないでは生きることは出来ないのだ。それにもわかるようにリョウは徹底して隔離された状態に置かれていたのだろう。


あの時の襲撃が嘘のように静かだった。

4人は黙々と目的地に向かって旅を続けていた。「コウヤ・うみ。」リョウの言葉にコウヤも身を乗り出す。

潮の香りはイバネマが近いことを知らせていた。「明日の夕方には国境にたどり着ける。」

アオイはオリビエから借り受けた黒い鳥を使って先触れを飛ばしていた。「入国した途端、拉致られる可能性も高いしね。」

軽い調子で言うアオイの顔は笑ってなどいない。今、泳がされているのは明らかに勝算があるからだろう。

イバネマに入国後の荷運びに雇われたただの旅人をイバネマ人が連れ去るのは容易いだろう。


そうなる前にイシュタールの屋敷まで辿り着かなければここまで来た意味が無い。

「戦うなよ。外国人の俺達がイバネマ人を傷つければその場で切られるぞ。」法がモントールとは違うのだ。

絶対王制が君臨するあの国は王族の一言で生死が決まってしまう。捕まったら最後だ。

「リオンと私の使命はリョウとコウヤを無傷でジルの所まで送り届ける事。いいな。」

小声でアオイはリオンに告げる。リオンはそれに小さな瞬きで答えた。

この男は何を考えているかよく判らないが不思議な体温を持っている。リオンは事有るごとにアオイを観察していた。

タオの兄妹はするりと懐に入り込んでくる。一緒に旅をしていて不快に感じることが無いのだ。

そしてリオンにべったりだったコウヤは進んでリョウの世話に携わっている。確かに良い傾向だと思う。

妹のイネス様は幼少時からミカミの本家で暮らしている。セシリア様が失踪されてからコウヤ様は家族の愛情を知らずに育ってしまった。頑なに自分の居場所を探し、必死で立っていたコウヤ様はある意味…非常に脆いところがある。

周りの好奇の眼に晒され、大人に侮られまいと張り詰めた生活はどんなに辛かっただろう。

我が主人も子供の時代を知らずに大きくなってしまった悲しい過去を持っている。


「リオンはそれでいいのか。」アオイの問いにゆっくりと振り返った。

花を摘むリョウの後をコウヤが歩いている。

「分からない。全て終わったら考える。アオイ、貴方は。」長い銀髪を風に嬲らせ彼は両手を伸ばしぐっと伸びをする。

「私も同じだ。ただあの鬼畜には絶対に死んで償って貰う。あれは断罪にするべき犯罪者だ。」


暗い眼に火が灯る。冷たく蒼い、私怨という焔が。

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