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外伝3 必ず言うから



 部長から直々に耳打ちされたのは、冷凍食品を一堂に集めた春の新商品フェアの帰りの車だ。


「よく頑張ってきたな。秋の人事でCBOT(シーボット)だ。大抜擢したからな」

「ありがとうございます」


 前部座席に当たりそうなほどに、頭を下げた。


『まさか!』


 歓喜に震えた。


 辛うじて、何度も何度も礼を言うのがやっとの拓哉だ。


 ありえない抜擢(ばってき)なのだ。


 世界最古の穀物商品取引所はシカゴにある。Chicago Board of Trade(シカゴ穀物商品取引所)の頭文字を取って、業界ではシーボットと呼ばれている。


 総合商社の食品部門を上り詰めるなら一度は必要とされるポジションだ。


 T大卒ならともかく、一般私大組は主要な派閥に入って10年目クラスで行ければ御の字。逆に、私大卒で15年のキャリアもある者が行く場合は「課長以上は諦めろ」というメッセージだとされている。


 それなのに私大組の拓哉が入社3年目で選ばれるなんて、ほぼありえない。


 同時に、抜擢された理由がちゃんと別にあることを拓哉は知っていた。


『オレも頑張ったけど、オレだけの手柄じゃないよなぁ』


 少々情けない。


 日本の総合商社も食品関係は意外と地味だ。特に拓哉のいる食品1課から3課までは国内専門。本当に地道な人間関係と信頼関係の構築が仕事の8割となる。


 そこで幅を利かすのは「コネ」だった。


 特に新規の取引を始めるなら、価格の競争が究極まで行った現在、メーカーとしては信頼のある担当者と取り引きしたいのが本音だ。


 その意味で「信頼のある人から紹介される」ということほど強力なエンジンはないのだ。コネという言葉が悪いなら「信頼する人の保証」という言葉にしても良い。


 拓哉には、その強力な保証があった。


「お義父さんがいなかったら、ぜったい、今の業績はないよなぁ」


 入社2年目の結婚式は、上司にも先輩にも顰蹙モノではあった。結婚式に来てはくれても、半ば冷やかしかネタ探し程度だったはず。しかし「花嫁の父」がわかった途端、全員が掌返しだった。


 日本最大のビールメーカーは、同時に、日本の五大食品メーカーの一つとなる。自動的に拓哉の会社の最大の取引先だ。そこの次期CEOと目される人物の顔を知らないようでは、とても商社の営業マンは務まらない。誰もがコネクションを付けたい人物だが、それだけの大物だけに、そんじょそこらの営業は近寄れないのが現実の話だ。


 そんな人物の「お嬢さん」が花嫁席に座っていたのだ。


 その意味がわからない人間など一人もいなかった。


 しかも、結婚を明らかにして以来、義父と一緒にゴルフにも行く。それどころか、最近の義父は、拓哉のいない接待ゴルフは話を通さないとまで言われているらしい。


 ライバル商社が接待をしようとすると、娘婿として拓哉が呼ばれる。


 ただそれだけでも、業界内での力関係が全く違ってしまうのだ。


 私大卒のビハインドは、無くなったと断言できる。


 そして、拓哉自身の必死の努力の甲斐あって、いまでは食品1課の中でエース格の業績を上げているのが今日であった。


 コネで業績を上げている人間は、それ以上に仕事をしてみせねば、どんな目で見られるかを拓哉はよく知っていたのである。 

 

 たとえば、何かの「フェア」にでも出かけたら、社に帰って先輩に回すリポート作りは手早く出すのが当たり前。その日のうちに社内メールに添付する。同時に、顧客の担当ごとに空きそうな時間を読んで、新規提案とご機嫌伺いの電話とメールを10社ほどすれば、あっという間に9時を回った。


 シカゴとの時差は14時間。取り引き開始は、家で帰ってから見ればちょうど良いと、拓哉は久しぶりに早く帰ることにした。


 その日のうちに家に帰れたのは三日ぶりだった。


「ただいま」

「おかえりなさい」


 美羽が迎えてくれた。我が家は心が温まる。


「ごめん。出迎えさせちゃって」

「急に改まっちゃって。どうしたんですか?」

「いや、なんか悪いかなって」

「もう~ そんなの言いこなしですって」


 遅くなる拓哉をいつも待ってくれている。待ってくれる人がいる家に帰るのは嬉しかった。


「ありがとう」

「ね、何かあったの?」


 ニコニコと迎えながら、パッとテーブルにお茶を出してきたのは拓哉の顔を見てのことだ。話したいことがあるに違いない。夫婦の…… いや、夫婦になる前から、美羽の察しは良い。


「あのさ、今日、部長から言われたんだ。秋にはシカゴに行くことになりそうなんだ」

「それってあなたのためになりますか?」

「間違いなく、そうなる。抜擢された感じかな」

「じゃあ、良かった! お祝いしなくちゃ! 二人だけのホームパーティー? 土曜日だったら、何かご馳走を作れますよ。ケーキも焼いちゃいますね」


 美羽も、それなりに仕事は忙しい。聡明さと美貌は社会人になっても武器だ。就職した事務機器を扱う会社は小回りが利く分、既に主力級の扱いなのを知っていた。


 だから、ためらわずにはいられない。


「あ、いや、あの…… さ。君は、それで良いの?」

「え? どういうこと?」


 キョトンと首をかしげる姿は、その辺のアイドルなんて及びも付かない。誰だよ、美人は三日で慣れるって言ったやつ。結婚してからも、見つめ合う度にドキドキが止まらないじゃん。


「だって、オレがシカゴに行くんだぜ?」


 美羽に仕事がある以上、単身赴任になるだろう。


「何年くらいになるのか、だいたいでも、わかると嬉しいんですけど」

「たぶん、2年。慣例だと十年選手が2年行って、戻ってくるときに係長クラスになるはずなんだ」

「じゃあ、拓哉さんの出世コースなんですね! ますます、うれしい! それで、何か問題があるのですか?」

「だから、オレ、アメリカに行くんだよってば」

「やだ。私だってシカゴはアメリカだってコトくらいわかります」


 クスクスと笑って見せるのは、拓哉の「言いたいこと」が見えているからなのだ。


「2年もあるんだよ!」

「ふふふ。安心してください。私だって商社マンの奥さんになる以上、ちゃ~んと勉強してきたんですから。次回のTOEFLは70点以上を目指してきましたけど。実践が先になるみたいですね」

「え?」

「ヤダっ、内緒にしてたのに、つい喋っちゃった」


 もちろん、口を滑らせたというのはウソである。察しの悪い夫へのヒントだ。


「で、でも、君は仕事が……」

「今の仕事は腰掛けでしているつもりではなかったわ? でも、愛する人と天秤にかけられるほどの重さなんてありません」

「付いてきてくれるんだ?」

「とーぜんです。なんで疑っちゃいますか?」


 ふふふと笑う姿は、いっそ「コケティッシュ」という古い言葉が似つかわしいほど。


「だって!」

「だって?」

「あ、いや、なんでも無い。ありがとう」


 キュッと回り込んできた美羽を思わず抱きしめる。仕事のし通しで、自分がちょっと汗臭いかなと拓哉が思った瞬間、まるでそれを見通してるかのように、サッとキスして、しがみつくようにしてきた妻である。


 長いキスの後、キラキラした目で美羽が見上げる。


「ね? あなた。私達、約束しましたよね」

「えっと、それって?」


 思い出せない。何を約束したんだっけ?


 ニコッとしたのは、当然、覚えてないでしょという顔だ。責めるつもりはないらしい。


「神父様の前で約束しました。二人ともキリスト教徒じゃないけど約束は約束ですよね?」

「あっ、まさか、死が二人を分かつまでってやつ?」

「そうです。死が二人を分かつまで命の続く限り、これを愛し、敬い、貞操を守ることを誓いますか? って問われて、私はイエスって答えました。あなたも約束したわ」

「それは、覚えてるけど」


 キラキラした瞳がジッと拓哉を見つめている。吸い込まれそうだ。


「私にとって、人生で一番大事なのはあなたです。だから、あなたと一緒に行く以外の選択肢なんて無いに決まってる。ついでに言っておきますけど、死後の世界があるなら、そこでもちゃんとデートしてくださいね?」


 甘えるように、顔を胸に寄せてきた。


「わかった。ずっと付いてきてくれるんだ」

「もう~ そんなの今さら言わないでほしいです」

「わかった」


 嬉しかった。美羽が真剣に仕事に取り組んでいるのを知っているだけに、自分だけを選んでくれることが嬉しかったのだ。


 もう一度、感激のキスした後、拓哉は、両手で妻の肩をグッと掴んだ。


「じゃ、頼みが一つあるのと、オレも約束を一つする」

「頼み?」

「ずっと先の話だけど、オレ達が年を取って、オレが死ぬときに、絶対に君がそばにいて欲しいんだ」

「わかりました。その頼み、お引き受けいたしましょう!」


 大げさに胸を張ってみせたのは、死という重い言葉にコミカルさを強調するためだ。だが、その決意はとっくにしていたことなんて言わない方がいいわね、と美羽が考えたのは生涯の秘密となる。


 瞬きをした美羽が、拓哉を見上げる。


「じゃ、約束。私は、あなたが逝く時に必ず手を握って見送ってあげます。それで、何を約束してくれるんですか?」

「死ぬときに、必ず言うから。必ず……言うから。だから、それを聞くためにも絶対に最期までそばにいてくれ」

「ふふふ。何を言うかは、その時まで秘密なんですね」

「あぁ、ごめん」

「じゃあ、ずっと待ってますね。でも、聞くのは、ずっとず~っと先にお願いします」


 美羽が予想した「セリフ」は、70年後にピタリだったことはきっと天国で報告したのだろう。









 


今回の話は、外伝1「手紙」の後半とつながっています。

後に生まれる子ども達、孫達に、この「約束」が密かに語り継がれていました。


明日は大学1年生の頃に二股されたKONへのざまあ回になります。


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