第1話 如月(2月)
最終話まで、投稿予約済みです
オレの名は大野拓哉
W大学政経学部の4年生。
激戦を制して4月からは大手商社に入社が決まってるし、一学年下の小仏紗絵との婚約が決まって同棲中だ。
いや、同棲中だったと言うべきなのかもね。
冬の雲が垂れ込めて、昼近い時間なのに、いっこうに温かさが感じられない駅のホームで、一人電車を待っている。
思い出したくもない、けれども消せない記憶を持て余しながら……
・・・・・・・・・・・
東京の2月は一番寒い時期だ。雪でも降りそうな寒さで、昼近くになっても気温が上がってこないけど、室内には暖房も入れてないし、窓も開けっぱなしだ。
キヤツの匂いが籠もってくる気がして、最近は一人の時間に窓を閉められなくなっていた。あんなにも愛しかった匂いに吐き気を催すようになったのはいつからだったのかは思い出せなかった。
手元のスマホがまた震えた。
待ち受け画面に、次々と紗絵からのメッセージが届く。同棲し始めてからはいつでも話せるという安心感だったのか、必要なことしかメッセしてこなくなっていたはずなのに。
そう言えば「後ろめたいことがある時ほど人は饒舌になる」って言ったのは、誰だったけかな? 悲鳴のような文字の羅列を見ながら、ふふん、と皮肉な笑みがこぼれるオレは、どこか壊れているのかもしれない。
《なんで返事してくれないの?》
《ひょっとして、調子が悪いの?》
《駅に着いたよ。もうすぐ着くからね》
《お部屋見えたよ! 待ってて》
あと数秒で着く。もう、このタイミングならブロックOK。トークルームを削除する。
最後のつながりを消し去ったのとドアが開くのは同時だった。
「ただいま!」
「お帰り〜」
いつもよりも少しだけ元気よく声を出して玄関まで出迎えてみた。
帰ってきたのは同居人。小仏紗絵。「おさらぎ」という姓は「大佛」とか「大仏」と書くのが普通だけど、紗絵のご先祖様は、とてもつましい性格だったんだろうな。大ではなくて「小」を使ってる。
紗絵は名前の通り、とてもつましい性格だった。真面目で、オレ一筋になってくれて、料理上手な尽くすタイプ。女の子としては背も高からず低からず。胸だけはデカいけど、それ以外は、本当に平凡な女の子。
そんな風に思っていた子と、人生を一緒に歩んでいくつもりだったのに。見た目がパッとしなかろうが、世界一綺麗だと思っていた相手。
だけど、そんなのは全て幻想だったってのを思い知ったのが今だ。
きっと、オレの前身から黒い「瘴気」でも湧き上がって見えたんだろうな。勢い込んで帰ってきたときとは態度は一変。目を背けて、オドオドした姿となる。
玄関でポンと手荷物を置いた紗絵はビクッとして「ただいまぁ。寒いね」とコートを脱いだ。
目を合わせてこない分、オレはじっくりと観察してしまう。
そう言えば、どちらかが帰ってきたときは、必ずキスで出迎えてたっけ。今になって思い出すのは不思議だね。もちろん、今、そんなことをしてきたら突き飛ばしてでも拒否だけどさ。
それにしても荷物が大きい。
おいおい、飲み会に行くのに、なんでそんな大きなカバンが必要なんだよ。おそらく、カバンの中にはエロ下着やら、オレの前では来たことのない露出狂まがいの服がたんまり入っているんだろ?
心の中でツッコミを入れているオレの目に、ピアスを外した耳が映った。
『あれ? さっきは着けてたじゃん』
外出するときは必ず付けていた、お気に入りのピアスを外してるのがいっそ笑える。
バレないようにと小細工か? それとも後ろめたさ?
オレが送ったネックレスはつけてるくせにな。
「たっくん、大丈夫? 何かあったの?」
「いや。変わったことなんて何にも無いよ」
お前の心が変わっただけだよな。
「ごめんねー 帰れなくて。ミューにも迷惑かけちゃった」
町田美羽ちゃんは紗絵の親友だ。とてつもない美人さんだから、前は連絡先を聞かないようにしてたんだよね。距離感に気を付けていたのは紗絵に対する義理立てだった。
オレが何も言わないことに、不安になったのか、チラッと見上げてくる。
「ねえ? たっくん? あの…… どうしたの?」
お? 緊張してる? 何を今さら。
オレはヘラヘラと笑って見える顔を意識してた。
ミューちゃんの家に泊まると送ってきた昨夜のメッセージにも返事をしてなかったから余計に怖いんだろうな。
ふふっ。
「一応、メッセはしたんだけどぉ。見てくれてなかった?」
「見たよ」
「あ、そうなんだ」
何十通も入ってたね。オレは一度も返さなかったけど、ちゃんと見てたさ。ウソつき女が、どんなウソをつくか。
今朝も送って来たけど「時間」が実に興味深かった。
5時半に「おはよう。まだ寝てるよね? 目が覚めちゃった」で始まった。
それが今日の朝一。
既読スルーしてたら「起きてるんだよね?」が7時8分。
その間にナニをしていたのか想像に難くない。浮気相手と泊まったら、朝一番のエッチは定番中の定番だ。
あの時、オレはロビーの片隅にいたって知ったら、どんな顔をするかな。
お前は婚約者の頭上で他の男とサカっていたんだぞって、言ってみたくなるよ。
画面を見返せば、その後に「怒ってる?」のスタンプが立て続けに二つ送られてきてる。スタンプにしたのは男の相手をするのに忙しかったからなんだろうな。
改めて送ってきた時間を見たら、その後で腕を組んで朝食ブッフェに降りてきたことになる。しっかり写真を撮らせてもらったよ。もう「証拠」は十分に揃ってるから、これはオレ自身を納得させるためだ。
手が震えたけどね。
腕を胸に抱き寄せるようにして、楽しそうに歩いている姿を写真に撮ってしまえば、もう用はなかった。楽しそうにブッフェスタイルの朝食を男にも取り分けて、仲良く食べてる姿をチラッと見てから帰ったよ。
「朝ご飯食べた?」
のんきなメッセが送られたのは8時12分だった。
ひょっとしたらチェックアウトの後だろう。お気楽なことを言ってくれちゃってるけどさ、もう、ずっとメシなんて喉を通らねーよ。
おそらく、ここで男は出勤したのだろう。一変してメッセが怒濤のように来始めた。
《怒ってるの?》
《急にお泊まりしちゃってごめんなさい》
《でも、みゅー達とだから心配ないよ》
《ごめんなさい。やっぱりこの頃遊びすぎだよね》
全部「未読」スルー。
『そして、今に至るってわけさ』
不安そうな顔をしてるな。へへっ、もちろん、その心配は、大当たりだよ。
紗絵がしなだれかかって「ごめんなさい」と全身で甘えようとしてきた。
『そーはいくかよ、汚らしい』
何時間か前には、あの男にしなだれかかってたんだろ?
細い体を抱きしめるフリをしてネックレスの留め具を外した。立ち上ってくるシャンプーの匂いがいつもと違うのが悲しい現実だ。
紗絵が顔を上げてキスしようとしてきたから、さりげなくかわした。
きたねーウィンナーを咥えたかもしんない唇なんていらねーの。触んな!
「ネックレス、壊れてるね」
抜き取ったネックレスをぷらんとさせて「外れちゃってるよ」アピール。
「え? やだ、直さなくっちゃ。たっくんにもらった大事なネックレスなのに」
本気で焦った顔で伸ばしてきた手をサッとかわす。
「そうだよね。ずっとこれを着けてたもんね? 今朝も着けてた」
「あ、うん、もちろんだよ! 大事なネックレスだもん。指輪も、これも外すなんてありえないもん」
女は怖い。平然とウソをつけるんだよね。
ヤツの腕を胸に押し当てるようにして抱えていた「腕を組んだ写真」を拡大してみたら指輪は映ってなかったじゃん。
指輪は外すんだね。
そして、あの男に抱かれてるときもそのネックレスを着けてたんだろ? 吐き気がするぜ。
本当は触りたくもないけど仕方ない。
今までプレゼントしたあらゆるモノは、夜のうちに全てゴミ袋にぶち込んでアパート前のゴミ置き場に捨ててきた。今日が燃えないゴミの回収日で良かったよ。
やっと出せたって感じだ。
後は、これと靴だけになった。
「そうか~ いっつもつけてくれてたんだ。とうとう壊れちゃったね~」
そう、壊れたんだよ。
表面には笑顔という仮面を貼り付けながら、腹の中で「クソビッチ!」と罵詈雑言の嵐が止まらない。
「ごめんなさい」
「いやいや、いいんだよ。こんなものは簡単に壊れるものさ。壊れてみると、すごく簡単だったね」
「たっくん?」
「なんだよ」
「怒ってるよね? ごめんなさい。これから気をつけるから」
これは、急な外泊の分を謝ってるつもりなんだろうな。
紗絵の小さな肩が緊張で震え始めていた。
なお、この物語はフィクションです。登場人物、及び作中の団体、大学は実在するいかなるものとも一切関係がございません。
物語が終幕しまして、外伝になりましてから「小仏」の意味がお分かりいただけると存じます。本格的な「ざまぁ」は、外伝にてもお楽しみいただけます。
更新の間隔が短くなります。お見逃ししにくいようにブックマークに入れてお楽しみください。
※キヤツ:彼奴の漢字で「キャツ」が辞書的に正しい振り仮名ですが、新川はあえて「き や つ」と「や」の発音をさせています。気になる方もいらっしゃるかも知れませんが、よろしく、ご了承ください。(彼奴:遠慮のない相手との会話や、親しみ・憤り・侮蔑などの気持ちを表すときに用いる。三人称で「彼」または「彼女」)