後編 「狐憑き巫女に譲った稲荷寿司」
京の都に建立された規模の大きな神社には、氏子や参拝客の方々の休憩所である参集殿が付き物で御座いますね。
我が牙城大社も御多分に漏れずに参集殿を備えておりまして、そこには宿泊施設や大食堂も完備されているのですよ。
特に大食堂につきましては、京洛牙城衆に所属する私達も日常的に利用しておりまして、定例会や鍛錬が跳ねた後に軽食目的で立ち寄る事もしばしばで御座います。
だからこそ、深草の姐様の三歩後ろに控えながら暖簾を潜った私は、その意外性の無さにかえって驚かされたのですよ。
「えっ、深草の姐様…?御馳走して頂けるとは、参集殿の食堂の事で御座いますか?」
「仰る通りですよ、絹掛さん。まさか絹掛さんも、本膳料理や牛鍋を思い描いていらっしゃった訳では御座いませんよね。」
私の問い掛けに対する深草の姐様の御返答は、至って何気ない声色なのでした。
「それは然りですが…それならそうと仰って頂けたらよう御座いましたのに。今月分の食券も、まだ充分に余裕が御座いますよ。」
半ば呆れたような声を上げながら、私は紙入れから食券を取り出したのです。
京洛牙城衆に所属する私達には、嵐山の一膳飯屋や料亭等で利用出来る食券が御給金とは別枠で支給されているのですよ。
この参集殿の大食堂も勿論、食券の対象店の一つなのですね。
「まあまあ、絹掛さん。そこは『一回分の食券を儲けた』と解釈して頂いたら良いではありませんか。たまには私も、先達らしい事をしてみたいのですよ。」
「はあ…」
そこまで仰られては、私と致しましても無碍には出来ませんね。
それに深草の姐様が何を御馳走して下さるのか、これはこれで興味深い所ですよ。
二人分のお皿と湯飲み茶碗が鎮座する御盆を御持ちになった、深草の姐様。
その笑顔は、嬉しさと待ち遠しさの綯い交ぜになったような具合でしたね。
「御待たせしました、絹掛さん。やはり鍛錬を終えた後の食事は、助六寿司に限りますね!」
場所取りと荷物番として座敷席へ取り残された私への御挨拶も、半ば上の空の御様子です。
きつねうどんに衣笠丼、それに稲荷寿司。
そうした油揚げを用いた料理に、深草の姐様は本当に目が無いのでした。
それは恐らく、御先祖様から受け継がれた狐憑きの血脈がなせる業でしょうね。
「ああ…この油揚げの光沢と美しさたるや、本当に堪えられませんよ。」
狐耳も尻尾も展開されていない今の姐様は、常人と何も変わらぬ御姿で御座います。
傍らに置かれた業物に目を瞑れば、至って普通の年若い巫女という佇まいですね。
しかしながら、こうして油揚げで御喜びになる御様子を拝見しておりますと、「やっぱり狐憑きの血は争えないんだなぁ…」と改めて実感させられますよ。
「おやっ…?いかがなされましたか、絹掛さん?何か面白い物でも御座いまして?」
「えっ、面白い物?ああ、いえいえ…御気になさらず。『確かに助六寿司は御昼御飯に手頃だなぁ…』と感じた次第でして…」
不意に水を向けられた時には少し焦りましたが、上手く話をごまかせたので一安心ですよ。
流石に本当の理由を申し上げるのは、私と致しましても憚られますからね。
とはいえ助六寿司は、鍛錬明けの私と致しましても有り難い御注文でしたよ。
何しろ稲荷寿司を包む油揚げは「畑の肉」とも称される程に滋養豊かな大豆で出来ておりますし、具沢山の巻き寿司は偏りなく栄養を摂取出来ますからね。
ところが深草の姐様は、ここで意外な行動を取られたのです。
もっとも、それは別の意味では納得出来る振る舞いなのですけれど。
「えっ、あれ…?」
「少々お待ち下さいね、絹掛さん。もう少しで済みますから…」
竹製の割り箸で助六寿司を手際良く選り分けられる、深草の姐様。
その鼻歌混じりの嬉々とした御様子を見ておりますと、余計な口を挟む気にはなれなかったのですよ。
そもそも私は、深草の姐様に昼食を御馳走して頂く身の上。
お店や料理の種類について意見を申し上げるなんて、差し出がましい事甚だしいですよ。
綺麗に選り分けられた皿のどちらを頂くかも、キチンとわきまえておりますからね。
「さあさあ、絹掛さん!御遠慮なさらずにお召し上がり下さい。」
「は、はあ…頂きます、深草の姐様。」
巻き寿司の皿を受け取りながら、私は卓袱台越しに向かい合う形となった先輩巫女に会釈で応じたのでした。
こうして稲荷寿司は深草の姐様へお譲りする形となりましたが、私の取り分である巻き寿司につきましても、これはこれで悪くは御座いませんよ。
甘辛いタレの効いた穴子に分厚い出汁巻き卵を始め、心躍る具材が沢山入っておりますからね。
そうした主力級の具材が魅力的に感じられるのも、かんぴょうの歯応えや胡瓜の瑞々しさといった植物性の具材の食感があってこそ。
全ての具材が各々の本分を果たして全体としての調和を形成する巻き寿司は、正しく協調性を体現した料理で御座いますよ。
御維新を機に誕生した今の政府が掲げる「四民平等」の国是は、簡単に言えばこの巻き寿司のような物なのでしょうね。
「穴子も出汁巻き卵も、良い焼き加減ですね。この香ばしさなら山葵醤油は使わなくて良さそうですよ。」
「それはよう御座いましたね、絹掛さん。この大食堂の巻き寿司は節分の丸かぶり寿司としても重宝されておりますから、その味の良さも折り紙付きですよ。」
私の世間話に相槌を打たれると、深草の姐様は嬉々とした御様子で稲荷寿司を召し上がるのでした。
頬張られた時の至福の表情たるや、鍛錬の時の厳格さが嘘のようですよ。
「節分ですか…確かに今年の二月は任務の都合で節分どころでは御座いませんでしたし、この巻き寿司を丸かぶり寿司の代わりに召し上がるのも一興ですね。」
「それは良い心掛けですよ、絹掛さん。今年の二月は邪気払いに奔走した私達ですが、私達自身の追儺もキチンと行いませんとね。」
深草の姐様の一言で脳裏に蘇ったのは、二月前半における緊張感に満ちた日々の事でしたよ。
知恩院で仏教講演を行うべく来日したアメリカの神智学者を護衛したり、その神智学者の呪殺を企てた邪教集団を殲滅したりと、とかく気を張る半月間でしたが、若輩者の私としては華々しい初陣を飾れた実り多い日々ともなりましたね。
「あの邪気払いにおいて深草の姐様が演じられた御活躍は、まさに目を見張る素晴らしさでしたね。若輩者の私と致しましては、姐様の卓越した技量と勇猛さにあやかりたい所ですよ。」
「まあ、絹掛さんったら御上手です事…とはいえ、あの二月前半の緊迫した状況は、本当に大変でしたね。毎年欠かさず家族と行っている初午稲荷も、今年は出来なくて…こうして私が稲荷寿司をお昼に頂くよう心掛けておりますのも、初午の埋め合わせなのですよ。」
このように仰る深草の姐様ですが、仮に初午の日を御家族と御過ごしになったとしても、きっと変わらずに稲荷寿司を召し上がっていたのでしょうね。
図らずも節分と初午の埋め合わせとなった此度の昼食ですが、次なる任務も大過なく完遂出来るように、無病息災を祈りたい所ですよ。
その為にも、より一層に修練に励みたい所存ですね!