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前編 「我が先輩は狐憑き巫女」

 京都の嵐山に建立された牙城大社の氏子にとって一番の栄誉は、霊能力者で構成された自警組織の京洛牙城衆(きょうらくがじょうしゅう)に参加を許される事に尽きるでしょうね。

 何しろ我が京洛牙城衆が帝の御膝元を守護する使命を帯びた組織として成立したのは、御霊信仰への関心が高まりつつあった貞観の御世なのですから。

 御維新の折に成立した現政府や徳川様の幕府が成り立つよりも遥か以前から、日ノ本の国を陰ながら守護してきた京洛牙城衆。

 その栄えある実働要員である戦巫女(いくさみこ)に取り立てて頂けて、氏子の家系に生まれた私としては幸甚(こうじん)の至りで御座いますよ。

 とはいえ私こと絹掛雅(きぬかけみやび)、つい先日に初陣を迎えたばかりな未熟者の身の上です。

 質量共に歴然たる諸先輩方との力の差を一刻も早く埋めるには、日々の鍛錬に励む事ですね。

 そこで本日は在籍する高等女学校の休みを利用して、懇意にして頂いている京洛牙城衆の先輩に稽古を付けて頂く運びとなったのですよ。

「御覚悟は宜しいですね、絹掛さん?私の方でも手加減は致しますが、受け損なった時に出来た生傷までは責任を負いかねますよ。」

「心得て御座います、深草の姐様。負うた手傷は鍛錬の常。この絹掛雅、決して泣き言は申しません。」

抜刀した業物を青眼に構えながら、私は鍛錬に協力して頂いた先輩の戦巫女の問い掛けに応じるのでした。

 この度こうして稽古を付けて頂いた深草花之美(ふかくさかのみ)さんは、私にとっては牙城門高等女学校の上級生でもあり、何かと良くして頂いているのです。

 他人行儀な敬称ではなくて「深草の姐様」という愛称での呼び掛けを御許し頂けているのも、私達が深い信頼関係で結ばれている事の証と言えるでしょうね。

 然しながら、それはあくまでも平時に於いての事。

 京洛牙城衆にのみ立ち入りを許された境内の庭園に鍛錬目的で足を踏み入れた以上、私にとっての深草の姐様は克己的で熱烈峻厳な指導者に他ならないのでした。


 こうして互いに真剣を構えて相対しておりますと、その洗練された闘志と気迫が自ずと伝わって来ますね。

 青眼に構えられた太刀の剣先にも、巫女装束の赤袴から覗く草履履きの足にも、まるで隙はないのですから。

 この闘志と気迫が今日まで重ねられてきた豊富な実戦経験に裏打ちされているのは、言うまでもありません。

 然しながら、深草の姐様に更なる凄味を加味しているのは何と申しましても、頭頂部からニョッキリと生えた銀色の狐耳と赤い女袴から食み出した尻尾の二点で御座いますね。

 憑き物筋の一族に御生まれである深草の姐様は、先祖代々伝わる神道九字で白狐の獣人に転身する秘術を御持ちなのです。

 人間を遥かに凌駕する運動能力に、鋭敏にして精密な超感覚。

 狐憑きと化した深草の姐様には様々な強みが御座いますが、その最大の武器は何と申しましても、持ち前の強大な霊能力を応用した太刀捌きに尽きるでしょう。

 中でも心を通わせた管狐の憑依した太刀で繰り出す「飯綱招魂(いづなしょうこん)白狐刀(びゃっことう)」は、邪悪な敵を霊魂諸共に斬り捨てる大技なのですから。

 此度の稽古ではそこまでの大技は繰り出されないにしても、姐様御自身の霊能力は管狐の分を差し引いても強烈無比。

 幾ら姐様の方で手心を加えられたとしても、私の方に僅かな隙が生じていたなら大怪我は免れないでしょうね。

 稽古の相手を快諾して下さった姐様の好意に報いる為にも、私自身の成長の為にも、そして何より我等が京洛牙城衆の為にも。

 油断や妥協は一切排除し、無念無想の境地で臨まなければなりませんね。


 そうして私が改めて気を引き締めたのを、深草の姐様も読み取られたのでしょう。

 銀色の狐耳と尻尾がピンと逆立ち、その次の瞬間には青眼に構えられた業物の刀身までもが青白く発光したのですから。

 狐憑きとしての霊力を高められた姐様が、御自身の愛刀に霊剣としての力を付与されたのは一目瞭然。

その迫力と凄味は、何度見てもゾクリとさせられますよ。

「深草花之美、推して参ります!たあっ!」

 裂帛の気合いと共に放たれた、真っ向斬りの刀風。

 それは霊力の凝縮した強烈無比な衝撃波と化して、充分な間合いを取った私目掛けて一直線に襲い掛かったので御座います。

「むっ…!」

 どうにか太刀の刀身で捉えたものの、その衝撃の余りの強さには驚かされましたよ。

「くくっ…」

 何しろ両足で必死に踏ん張っているにも関わらず、ジリジリと後方に押しやられているのですからね。

 僅かでも気を抜けば、即座に体勢を崩してしまいそうですよ。

 そしてその先に待っているのは、衝撃波の餌食となる無惨な末路ですね。

「むうっ…!」

 そうならないように気を引き締めつつ、私は太刀を握る両手に力を込めたのでした。

 真っ向から迎え撃つのではなく、襲い来る力の流れを的確に読み取り、その向きを変える。

 此度の鍛錬の主目的は、そんな受け流しの技術向上にあったのです。

『大丈夫、落ち着いてやれば出来るはずだから…』

 無念無想にして明鏡止水の境地。

 ただそれだけを、一心に心掛けて。

「たあっ!」

 そうして全ての雑念を排除した心を一層に研ぎ澄ませた瞬間、私は愛刀をサッと払ったのでした。

「むっ…?」

 するとどうでしょう。

 つい今し方まで私の前方に迫っていた圧迫感が、嘘みたいに立ち去ったのです。

 されど先の太刀風を力任せに消し去ったのではない事は、私の小脇を突風にも似た衝撃が通り抜け、そのまま虚空へと飛び去っていった点からも明白でしょう。

「や…やった…」

 いずれにせよ私は、深草の姐様が起こされた衝撃波を見事に受け流し(おお)せたのでした。


 とはいえ、肝心なのはここからです。

 単に受け流すだけなら、以前の鍛錬で既に成功済。

 過去の経験を踏まえた此度の鍛錬では、より一層の成果を得たい所ですよ。

 受け流しを成し得た安堵と、上達の成否に対する動揺。

 この時の私の胸中に入り乱れていたのは、大体このような思考ですね。

 そんな私とは対照的に、深草の姐様は至って冷静沈着な御様子でしたよ。

「無事に受け流しましたね、絹掛さん。それでは僭越ながら、検分の程を…」

 愛刀である白狐村綱をソッと納刀された御手付きも、こちらへ向けて御御足を進められる確かな足取りも、稽古をつけて頂く前と何一つ変わらぬ毅然とした御様子。

 願わくば私も姐様のように、凛々しくも堂々たる戦巫女(いくさみこ)として大成したい所存ですよ。

「この位置から真っ直ぐに後退されたのですね…」

 ところが、稽古を開始した当初における私の立ち位置をチラリと一瞥された辺りで、姐様の足取りに微かな変化が生じたのです。

 一歩、また一歩。

 その慎重な足音が近づいてくる毎に、私の緊張もまた高まっていくのでした。

 やがて深草の姐様が私の現在位置まで来られた時、この緊張は頂点へと達したのです。

「御分かりですね、絹掛さん。これが私の太刀風を受け流すまでに貴女が退いた距離ですよ。」

「は…はい…」

 涼やかな瞳に真っ直ぐ見据えられた私には、か細い応答を行うのが関の山でしたよ。

−深草の姐様は、果たしてどのように御叱責なさるだろう。

 その事が気掛かりで御座いましたよ。


 ところが深草の姐様の御評価は、私の予期していた物とは大きく異なる物だったのです。

「前回の鍛錬よりも半尺程、退いてしまった距離が短くなっておりますね。反応速度の確かな向上が見て取れますよ。よく修練致しましたね、絹掛さん。」

「ほ…本当で御座いますか、深草の姐様…?」

 冷静沈着な面持ちからガラリと転じた柔和な笑顔には、思わず安堵の溜め息を漏らしてしまいましたよ。

 手厳しい御叱責が来る物と、身構えておりましたのに。

「この深草花之美、京洛牙城衆の戦巫女として二言は御座いません。この調子ですと、後退り無しに受け流せる日も近いですね。強引に踏ん張るのではなく、靭やかにいなすよう心掛けるのですよ。」

「御指導頂き感謝致します、深草の姐様。」

 経験豊富な先輩から頂ける的確な助言は、本当に有り難い物ですよ。

 その偉大な背中はまだまだ遠いですが、少しでも追い付けるよう努力したい所存ですね。

「今日の鍛錬は、これ位で宜しいでしょう。そろそろ昼食に致しませんか?絹掛さんの成長を祝して、ささやかながら私が御馳走致しますよ。」

「本当ですか、深草の姐様!この絹掛雅、御伴させて頂きます!」

 稽古をつけて頂いたばかりか、御昼御飯も御馳走頂けるとは何たる僥倖。

 私も後進を導く立場になった暁には、是非とも見習いたい所ですね。

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