誕生日プレゼント
いつもと変わらない日々。
いつもと変わらない部屋。
いつもとは少しだけ違う、今日。
わたしは昨晩から眠れずにいた。
「ソフィ。オルロイ義兄さんがもうすぐ来る頃よー!」
「お母さま、いってきます!」
屋敷の庭にある畑で芋を掘っていた母さまの言葉を受けて、わたしは駆け出す。
丘の上にある屋敷から町へと続く道を走り、町の人々からの明るい声を聞きながら森へと向かう。
木漏れ日が降り注ぐ森林。
清々しいほどに美しい。
「よかった。まだ来てない」
お目当ての人物はまだ来ていなかった。
彼は年に一度だけ同じ日にやってくる。
時間があるし練習しようかな。
「はぁっ! たぁっ!」
わたしは腰に帯びていた木剣を抜き放つと眼前の空間を薙いだ。
空想ではあっても、そこにはありありと巨大な魔物の姿が見えている。
「ふっっ!」
何度目かの攻防のあと、巨大な腕をかわして横腹に一撃を与えると、どすんと巨体が倒れた。
……気がした。
「──上達しているな」
いつの間に立っていたのだろう?
背後からの声に少しだけ驚いたけれど、懐かしい声だったので自然と口端が上がった。
「オルロイおじさん!」
「久しぶりだな。ソフィ」
オルロイおじさんは冒険者だ。年齢は確か四十過ぎだったと思う。
短く編まれた灰色の顎髭と小汚ないと言われる、ボロボロのマントにとんがり帽子。
わたしの目標としている人だ。
「十歳の時に言われて、それからちゃんと毎日練習しています。……もう冒険者になってもいい?」
「ははっ、どうだろうなぁ。俺の一存では決められないだろ?」
「お父さまに言ってよ!」
「弟に怒られるのも面倒だし、シーノの料理が食えなくなるのは嫌だなぁ」
がはは、と豪快に笑うおじさんの横をわたしは歩く。
屋敷へと向かっているのだ。
わたしの夢は小さい頃から変わらない。それでも夢は夢なのだと理解している。
いや、理解せざるをえなくなった。
どんなことにも才能が必要だ。
魔法使いになれる人は産まれた瞬間から魔法使い。じゃあ、いま魔法使いではないわたしは、やっぱり魔法使いじゃない。
必死に練習しても、本を読んでも、魔法の素となる魔力が操れない以上は魔法なんて使えるはずもない。
そんな世界の理、ルールが理解できた頃は毎日泣いたものだ。
だからこそ、
「冒険者になって、ダンジョンに行って……わたしが極彩色のグリモワールを見つけてみせる!」
という夢に変わった。
いまだに極彩色のグリモワールを探している魔法使いや冒険者は少ないながらも存在する。
見つかっていないなら、見つかっていない場所にあるんだろうという考えだ。
わたしもそうだと思う。
「そっちのグリモワールでは満足ができないのか?」
おじさんの視線は、わたしの腰に向けられている。
「この本は読めないから……」
「あ、ああ。そうだったな、すまない。……前はこれで泣いていたが、強くなったものだ。成長したなソフィ」
同じような会話で泣いていたのは十歳の頃だ。
わたしの腰に付けられた魔導書、もしかすると魔導書ですらないかも知れない本は、七歳の誕生日に買ってもらったものだ。
内容は奇っ怪な文字で読めない。
商人や学者や冒険者、そして魔法使い。
いろんな人に見てもらったけれど、誰も読めないのだ。
数年前に冒険者として町にやって来ていた魔法使い曰く。
──これが文字だとすれば、魔法使いの文字だと思う。
魔法使いの中には、他人に研究の成果を盗まれないように、独自の文字を使う者がいるのだとか。
であれば、これは記したであろう、その魔法使いにしか読めない。
「このボロボロの本が魔導書かはわからないけど、わたしは気に入っています」
「そうか。まぁ俺も魔導書ではあるとは思うが」
「ほんと?」
「ああ、俺にも魔法ってのは詳しくはわからない。それでも偽物だったとして、一ページ目から最後のページまで文字なんて書かないだろ」
わたしは腰に付けられるようにと母さんが作ってくれたベルトから、本を取り出した。
表紙はうっすらと黒色だったのだとわかるような、灰色。
表紙の裏面には彫られたような窪みがある。
「せめて題名だけでも読めればなぁ」
別にこの本が誰かの日記や家計簿だったとしても、手放すつもりはない。
もう小さい頃みたいに極彩色のグリモワールであるとは思ってないけれど、やっぱり思い出の品で、初めの頃は──今だってたまにあるけど──お風呂にだって持っていくほどの愛着がある品なんだから。
「ふふっ。読めると言ったら、喜ぶか?」
わたしはその言葉に驚きを隠せなかった。
屋敷に帰ると、母さまが出迎えてくれた。
一般の家よりは大きいけれど、お屋敷と呼ばれるほどには大きくない家に入ると、オルロイおじさんは、
「シーノはいつ見ても美しい。どんどん若くなっていくようだ」
なんてお世辞を言う。
もちろん母さまは美しいし、年齢のわりに若く見えるけど。
「あらあら、嬉しいわ。じゃあ晩御飯のシチューにはじゃがいもをたっぷり入れようかしら」
「それはいい! 実はお腹がぺこぺこでね。……それよりゲイルはどうした?」
「……近隣の領主が集められたの。あ、そうだ。肉を切るのを手伝って貰えるかしら?」
母さまはちらりとわたしを見ると、おじさんを連れて台所に向かった。
わたしは息をひそめて台所の前まで向かう。
「どうかしたか?」
「ソフィには聞かせたくなかったの。……ここから馬で半日くらいの村がゴブリンに襲われたらしいのよ」
「ゴブリンに? 被害は?」
「全滅らしいわ」
「全滅だと?」
おじさんの声は、今まで聞いたことがないほどに鋭く聞こえた。
わたしは息を呑んだ。
「冒険者組合に依頼は出しているのか? この町の備えは? 兵士は何人いるんだ? 逃げる用意もしておくべきだな。どこかにアテはあるのか?」
矢継ぎ早にかけられる質問に母さまは目を見開く。
「ちょっと待て! 依頼は出してないわ。理由は単純に財政的に余裕がないからよ。備えの方は──」
と、母さまが言っている時に馬のいななきが響いた。
急いで玄関に向かうと鎧姿の父さまが立っている。
「やあ、出迎えありがとう。ソフィ」
「父さま。あの……」
「おかえりなさい」
わたしがゴブリンのことを聞くべきか悩んでいると、後ろから母さまの声が聞こえた。
声が出ない。だってさっきの話は盗み聞きしたものだから。
「ようゲイル。シーノと違ってお前は老けたんじゃないか?」
「兄貴にだけは言われたくないよ」
苦笑し合う二人には、ゴブリンのことなんて聞き間違いだったのかと思えるような、いつも通りの雰囲気だけがあった。
それから、わたしの誕生会が始まる。
今年は家族四人だけの小さなパーティーだったけれど、母さまの料理は美味しかったし、父さまが買ってくれた可愛らしいネックレスも嬉しかった。
いや、あわよくば剣の方がよかったけれど。
「んじゃ俺からもプレゼントだ。十五歳の誕生日、おめでとう」
オルロイおじさんがわたしに手渡したのは、小さな封筒だった。
「……なにこれ?」
「おいおい、そんなに嫌そうな顔するなって。本に彫られてた文字があっただろ?」
「これのこと?」
わたしは本をテーブルに置く。
表紙の裏面にある、一見するとわからないような文字列をなぞった。
「そうだ。その部分を友人の魔法使いに調べて貰ったんだよ。で、解読できたらしい」
いま自分がどんな表情をしているのかわからない。それでも父さま母さま、オルロイおじさんの表情が優しげな笑みを見せている。
ああ……ついにわかるんだ。
「部屋に行ってもいい?」
「かまわないさ。ソフィ、本当に誕生日おめでとう。君の将来に光があらんことを」