プロローグ
冒険者モノです。
とりあえず十万字までは毎日更新を目指してがんばります!
遥か遠い昔。
いまだ世界に魔法と不思議が満ち溢れていた時代があった。
竜や精霊や魔物たち、聖なるモノや邪なるモノたちが人よりも多く存在した世界。
そんな超常の存在が闊歩していた戦乱の世においてもなお、『至高の叡智』と称される三人の魔法使いたちがいた。
いや、いたのだ。
「もはや時間は残されてねぇってか? ふざけんなよ……ふざけんじゃねぇよ!」
散らかり放題の部屋の中で、一人の男が声を荒らげた。
男は目深に降ろしたフード付きローブの下で奥歯を噛む。
視線の先には今にも崩れそうな手のひらがあった。
「あいつらに勝ってないんだ。なのに……このまま死ねるか、死んでたまるか!!」
その独白に答える者はいない。
男は孤高の存在だった。
「妻を娶らず、子を作らず、オレは馬鹿かよ!……子孫がいねぇんじゃ、誰にオレの魔法を伝えればいいんだ」
やはり、その声に答える者はいない。
「弟子をとればよかった。後悔しても遅ぇがよ……」
男は嘆きを少しでも紛らわそうと戸棚に置かれた酒瓶へと一歩進む。
そして立ち止まった。
ローブの裾の部分から、灰のような粉が床へとこぼれている。
「長く生き過ぎた魔法使い固有の病。延命に継ぐ延命、これが寿命を延ばし続けた者の限界か」
魔法使いは塵から産まれて塵へと還るという言葉がある。もちろん塵からなど産まれないが、塵に還るというのは間違いではないのだろう。
数日前から始まった肉体の塵化には、あらゆる魔法も霊薬も効果がなかった。
それどころか肉体の時間を停止してさえも、むしろ悪化の一途で改善の兆しすら見えない。
これがいわゆる魔法使いの老衰である。
「至高の叡智なんて言われてもな」
彼は肩を落とした。
「あいつらは弟子が多いから自分の魔法を残せる。オレには残せねぇ。こんなもん完敗だっつーの。今まで戦いでは引き分け続きだったのに……最後の最後で負けかよ」
苛立ちはなかった。自分で招いたことだ。
他人と結婚して一緒に暮らすなど、只人の真似事は気持ちが悪い。
他人と血肉を混ぜる生殖、その果てに生まれる子供なんて存在は考えただけで吐き気がする。
だからこそ古き在り方で、孤高の魔法使いとして今まで生きてきた。
「………弟子、なんでとらなかったんだ」
弟子になりたいとやって来た者は多い。
若いやつから年寄りまで、多くが来て、すべてを断ったのは何故だったか。
「……簡単な話だな。師匠なんて呼ばれて媚びられるのが恥ずかしいから……い、いや……いや、違わねぇか。今さら誰も聞いてねぇんだ。恥ずかしくもねぇ」
言葉にすれば胸の中が軽くなった気がする。
足元を見れば、灰がくるぶし程まで高くなっていた。
「ふ、ふはははは。恥ずかしくもねぇんだから、無様にあがいてやる。誰かにオレの魔法を相続させてやろう」
男は周囲を見渡す。
無造作に並べられた魔剣。貴石の付けられた装飾品。杖にローブに見事な魔道具の数々が見えた。
「どれがいい。どれにするべきだ?」
自問して一冊の本を手に取る。
高級そうな黒い表紙の本は、見た目が気に入り買った物だったが、これならば間違いないだろう。
「剣や装飾品は鋳潰されるかも知れねぇが、歴史のある魔導書なら大事にされるだろ。あとはこれに……オレの持つすべての魔法と魔力を込めれば───」
絶大な魔力が壮年の男から湧き出ると、そのすべてが一冊の本に注がれた。
「最初で最後の弟子よ。オレはアト・ユークトラ、至高の叡智と呼ばれた男だッ!!」
次第に本から目も眩むような光が発せられる。
そして室内には、もはや誰もいなくなっていた。
◯◯◯ー
「安いよ安いよ、東の国の装飾品だよ~」
「ドワーフ製! 本物のドワーフ謹製の刀剣を買ってくれ!」
「エルフの森でエルフが織ったスカーフ。今なら五百ゼムですー」
売れる前に買ってくれ。売れたらおしまい、そんな言葉があちこちで響く。
夜だというのに昼間よりも明るいのは頭上に吊るされた、無数のランタンからの淡い光のおかげだろう。
今夜は町を挙げての祭りの最中である。
「ねえ、エルフのスカーフですって」
美しく若い女性の瞳はその精緻な編み物に釘付けだ。
「あれは良い品だね。ドワーフ製の武具や東国の装飾品というのは子供だましの偽物だけれど」
「そうなの? じゃあスカーフは本物なのね?」
貴族然とした衣服を纏っている彼女は商人の元まで駆けると、さっそくスカーフを購入して、父親と手を繋いでいる少女の首に巻き付けた。
「あら、ソフィ……嬉しくないの?」
ソフィと呼ばれた少女はふてくされたような顔をしている。
「お母さま。わたしはスカーフよりも魔法使いの杖が欲しいです」
父ゲイルと母シーノに手を繋がれた、小さな金髪の少女は泣きそうな声だった。
両親はそれを見て、悲しげな表情を一瞬だけ交わす。
「極彩色のグリモワール、全知全能の魔導書はいらんかねぇ~。そこの魔法使いのお姉さん。これは本物だよ~」
しわがれた声が辺りに響く。
見れば薄汚れた敷物の上に、本や小物が置かれていた。
通りがかった若い女魔法使いは苦笑うと、軽く手を振って去っていく。
「なんだいなんだい。たったの三千ゼムで最強の魔法使いになれるってのに……!」
「お父さま、極彩色のグリモワールってなんですか?」
ソフィは海のように青い瞳でゲイルを見上げた。
シーノは駄目だと言わんばかりに首をふりふりしていたが、愛娘の純粋な眼差しにゲイルはため息を吐いた。
「昔、ぼくがソフィくらいの年齢だった頃に高名な預言者さまが……この世のどこかに、神さまの魔法が書かれている書物があるっておっしゃられたんだ」
「神さまの魔法?」
「どんなことでも出来る魔法──って話だったんだけど」
それは子供にもわかりやすく言ったつもりではあったが、内容は誰にも知られていなかったので、彼とて噂に聞いた程度の話しか知らない。
「ただ、極彩色の輝きを放つ本……らしいね」
父と娘を話を聞いていたのだろう、商人がにやりとした視線を向ける。
「いやはや可愛らしいお嬢ちゃんだねぇ。この本物の極彩色のグリモワールを買わないかい?」
「お父さん! これが本物の極彩色のグリモワールだって!!」
いつの間にか、ソフィは敷物の前にしゃがみ込んで本を食い入るように見ていた。
周辺を歩いていた人々がクスクスと笑みを漏らしている。
「ソフィ、それは」
偽物だと言おうとして口をつぐむ。さすがに衆目のある場所で商売の邪魔をするわけにもいかない。
それが詐欺まがいのものであっても、だ。
「お嬢ちゃんは魔法使いなのかい?」
「ううん。でも魔法使いになりたいの!」
「えっ?」
男は少女から両親へと視線を向けた。
二人は悲しげな表情をしている。
知っているのだろう。
この世界では知らぬ者の方が少ない話だ。
魔法使いは生まれながらの才能を必要とする。
母親の胎にいる時に調べられ、その時点で素質がなければ魔法使いにはなれないのだと。
「おじさん。この本を読めば、わたしも魔法使いになれる?」
「あー……うん。なれるとも!」
男が父親の視線を感じて肯定すると、両親が少女の左右にしゃがみ込んだ。
「確かに古い品のようだけど、いくらですか?」
「この逸品は領主の娘さんの誕生日のお祝い、ということで……ええ、大いに値引きしておりやす。三千ゼムですぜ」
「それはさすがに高すぎる。骨董としての価値は半値が妥当だと思うけれど」
「はっ。これは北方にある遺跡の中で見つけてきやした。正真正銘、本物の神代の遺物ですぜ?」
「おかしいですわね。ゲイル、あそこの発掘許可って出ていましたっけ? わたしは知りませんでしたが」
「……へぁ?」
男がすっとんきょうな声を出した。
「シーノの言う通りだ。ぼくもそのような通達を受け取った覚えはないよ」
「……お、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんのお父さんって……」
「お父さんはこの町の領主さんなんだよ!」
「……」
「遺跡の盗掘は禁止されている。領主としては盗掘家を見つけた場合、重い罰を与えなければならないんだ。でも今日は娘の七歳の誕生日なんだよね」
「そうですわね。こんなめでたい日は領主という職務もお休みなさった方がよろしいのではなくて?」
「あの……お嬢さま、お誕生日おめでとうございます。千……いえ、五百ゼムでどうでしょう?」
「商談成立です。ソフィ、父さんからの誕生日プレゼントはこの本──これでいいかい?」
「うん!」
少女が古ぼけた本を抱き締める。
両親は嬉しそうに微笑み、その背後では盗掘家の男がそそくさと町を去る準備をしていた。
楽しげな声を響かせる祭りは夜遅くまで続き、少女は本を抱き締めたまま眠る。
この一冊の本が少女の運命を大きく変えるのは、もうしばらく後のことであった。
次の話から一人称になります。
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