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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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完走の果実

 ここ最近は、次男シンゴのビワイチ――琵琶湖一周の事を呟いてきました。今回は、その顛末です。つまるところ……完走は出来ませんでした。応援してくれた皆さま、ありがとうございます。シンゴは良く頑張ったと思います。ただ、結論としては、実力不足でした。ただ、シンゴの事を通して、僕自身が感じることが多かった。現在も、思考がまとまっていないのですが、吐き出してみたいと思います。


 琵琶湖に向かったシンゴは、大阪から京都を抜けて、滋賀県に入りました。一号線の峠を上り切ると、カーブを伴なった下り坂が始まります。その先に、青くて広い琵琶湖を見下ろすことが出来ます。それまでの苦労もあって、その景色にシンゴはとても感動したそうです。元気よく下って行ったことでしょう。


 大津市内には京阪電車が走っており、一部が路面電車になっています。初めて見る路面電車の景観に驚いたそうです。感動のあまり写真に収めていました。まるでシンゴの笑顔が見えるようです。


 大津は、琵琶湖の最南端。ここから湖西を走るか、湖東を走るかで、目的が変わります。一日目の目的地である湖北を目指すのであれば、湖西を走った方が距離が短い。当初の計画では、湖西を走る予定でした。


 ところが、僕は湖東を走るように勧めました。なぜなら、大津から湖北までは100キロ近くあります。とてもじゃありませんが、今のシンゴの足では今日中にたどり着けません。無理をして途方に暮れるよりも、今晩の宿泊地を早い段階で見つけた方が賢明だと考えたからです。旅で重要なことは、二つあります。移動することと、宿泊することです。僕のアドバイス通り、シンゴは湖東を走り始めました。


 琵琶湖をご存じの方なら分かると思うのですが、湖西と湖東では景観が全然違います。湖西は山がせり出しているために平野がありません。湖岸は住宅が多くて、野宿が出来る場所が少ない。反対に、湖東は平野が多く広々と畑が広がっています。湖岸は自然が残されていて、野宿が容易なのです。湖岸を走ると、テントを張ってキャンプをしている様子が、あちこちで見受けられます。


 僕は、大阪に居ながらGPSでシンゴを確認していました。順調に北上しています。見ているだけで、結構楽しい。夕方の4時すぎ、シンゴから電話がありました。場所は、琵琶湖大橋の東端です。


「もう、休もうと思う」


「ええと、思うよ」


 賢明な判断だと思いました。かなり疲れているはずです。大阪から70キロは走りました。本格的な運動経験がないシンゴにとって、疲れはピークに達していたでしょう。早めに体を休めてくれると、僕も安心です。宿泊地の写真を送ってくれましたが、素晴らしいロケーションです。まばらに木が林立していて、緑の絨毯のように低い雑草が敷き詰められています。周りには、誰も居ない。


 用意したキャンプ道具を開梱して、シンゴは準備を始めまました。テントの設置の後は、ストーブで湯を沸かします。カップラーメンを食べる為です。ただ、そうした作業は直ぐに終わってしまいます。暫くして、またシンゴから電話が掛かってきました。


「どうしたん?」


「暇や」


「暇やろうな~、日没まで、まだ一時間もあるよ」


「何しよう~」


「疲れているやろ。ゆっくり休み。今は贅沢な時間なんやで」


「うん」


 家にいれば、パソコンでゲームが出来るし、アニメが見れる。YouTubeも見れる。手軽に刺激物を摂取できます。ところが、野宿はそうした刺激物がありません。かなり退屈だったでしょう。後から聞いた話では、あまりにも暇すぎて僕の小説「逃げるしかないだろう」を読んでいたそうです。


 ――えっ! 嬉しいじゃないですか。


 シンゴは、「面白い」と評価してくれました。気になったので、色々と質問をしましたが、概ね僕の意図を汲み取ってくれていました。大阪が舞台なのですが、外国みたいと言っていたのが印象的でした。昭和の大阪が舞台ですから、今の価値観とは違います。ヤクザは出て来るし、キャバレーの話です。シンゴにとっては、まさに外国と一緒なのでしょう。


 閑話休題


 夜の八時過ぎ、電話ではなくて、シンゴにラインを打ちました。もし寝ていたら、起こすのが可哀想だからです。


「起きてる?」


「おきてる」


 直ぐに返事が返ってきましたが、何回かやり取りを繰り返すと返事が返ってく来なくなりました。後から、寝落ちしたことを知りました。その日の晩は、僕も晩酌を嗜み直ぐに寝ました。

 朝の5時、僕のスマホが鳴りました。僕はもちろん起きています。シンゴからでした。


「おはよう」


「おはよう」


「体調はどうやうや?」


「足が痛くて、腰が痛い」


「走れそうか?」


「ちょっと、辛いかも」


「どうしても、駄目なら電話をちょうだい」


「分かった」


 それから10分後、また電話が鳴りました。シンゴからです。


「やっぱり無理」


「……分かった。迎えに行くよ」


 筋肉痛に腰の痛み、体力的に疲れていたとは思いますが、どちらかというと精神的なものでしょう。僕の思いとしては、シンゴに自力で走って帰って来て欲しかった。旅は、出発して家に帰ってくるから旅なんです。シンゴに、そのことを強く言うことも出来ましたが止めました。シンゴの挑戦は始まったばかりです。気持ちを挫くよりも、明日に繋げた方が良いと思いました。


 車で迎えに行きながら、シンゴが走ったであろう道のりを車でトレースしました。僕も、過去に何度も自転車で走った道です。30年も時間が経過したのに、あまり変わっていません。懐かしい思いで一杯になりました。同時に、シンゴがこの道を自力で走ったことを考えると、「頑張ったな」と声を掛けたくなります。


 旅は、出発して家に帰ってくるから旅。


 昨日から、そのことを考え続けています。「旅」を置き換えて、山登りでも、マラソンでも良いです。なんなら人生でも良いです。


 人生は、誕生して死んでいくから人生。


 日本には季節があります。この四季は、日本人の死生観に強く影響を与えたと思っています。日本に仏教が渡来する前に、先端の学問として儒教が日本に伝わっていました。儒教では、四神獣という考え方があります。青龍、朱雀、白虎、玄武です。これらの四神獣は季節も表しており、順番に春、夏、秋、冬を表します。青春、青年、ケツが青いな。これらの言葉は、青龍が語源になっています。


 仏教的には、森羅万象の根源は「空」と説き、事物事象は因縁によって「仮」に生起するとされています。事物事象は人間も含まれますから、人間も因縁によって「仮」に生まれてきた存在ということになります。大事なポイントは、この「仮」です。生まれてから死ぬまでの一生を「仮」と位置付けて、因縁によって「仮」を繰り返します。これを輪廻と表現します。


 季節は、四季を繰り返します。日本人の死生観に、季節のような輪廻の考え方を当てはめるのは説得力がありました。四季に関連するものに、植物の生育があります。春になると、芽生えます。青葉が広がり蕾が付き、花が開いて果実が成ります。冬になり実は落ちるけれど、春になればまた芽吹きます。


 シンゴは、家を出て自転車を走らせました。琵琶湖に向かってペダルを漕ぎます。旅で一番面白い瞬間は、向かっている時です。季節に当てはめると、春と夏でしょう。ところが、折り返して帰る段になると、面白さよりも辛さの方が勝ってしまいます。早く帰りたい、家に帰ってゆっくりしたい。そんな気持ちの方が強くなるのではないでしょうか。もちろん、全てがそうとは言いません。ただ、体力がピークを達すると、やはり辛い。


 僕は過去に、100キロマラソンを完走したことがあります。後半の残り20キロ付近では、本当に辛かった。走るのを止めたかった。何度も自問自答しました。


「リタイアしようか。だって、80キロも走ったんだから」

「完走できないのは格好悪いけれど、誰も非難はしない」

「このまま足を止めたら、バスが回収してくれる」


 先輩の励ましもあり、僕は完走することが出来ました。本当に有難かった。完走率3割の過酷なレースです。僕は、その最後に滑り込むことが出来ました。


 初めてマラソンを完走した時も泣きましたが、100キロマラソンの完走は、正に劇泣きでした。地面に倒れ込み、四つん這いになりながら、声をあげて泣きました。涙と鼻水と涎と汗にまみれながら、大の男が大泣きするのです。


 この時の、僕の精神状態は異常でした。一言で表現すると、「感謝」以外の何物でもありません。この世に生を受けたことへの感謝です。


 ――生まれてきて良かった。


 心の底から、そう思えたのです。お父さんお母さんの事を考えました。お世話になった友人や、けんか別れした友人を思い出しました。大会を運営してくれた関係者に対してありがとうと叫びました。這いつくばる地面には虫や草が、僕なんかとは関係なく生きています。そんな虫や草が存在していることすら、僕にとっては必要なことでした。全てのものに感謝したい。


 ――僕は生きている。


 その事実が、とんでもなく尊いものに感じられました。人生における果実とは、生きていることに対する感謝だと思います。自身の存在を全肯定して、更に歓喜に浸る。その瞬間に出会えることは、幸せなことです。


 今回、シンゴは完走することが出来ませんでした。旅の醍醐味を感じることなく、僕に回収されました。でも、いつでも出発することは出来ます。そんな喜びを感じてもらえたら、僕は親として凄く嬉しい。そんな日が早く来れば良いなと思っています。

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