神様って
暑い一日でした。夕方からランニングに出かけましたが、途中で歩きました。汗のかき過ぎか、暑さのせいか、6キロ付近で眩暈がしたからです。大事を取って1キロ弱歩き、また走りました。ランニング中は、イヤホンで音楽を聴いています。最近の音楽よりも、若い頃に聴いた音楽を流すことが多い。でも、今日は音楽に集中出来ませんでした。ずっと考え事をしていたからです。内容は宗教についてです。
巷では、統一教会と自民党の話で賑わっています。正直な所、僕は政治と宗教の話は取り上げたくない。議論をするだけ不毛だからです。不毛になる原因は、お互いの立ち位置が違うのに、同じリングで論戦をしなければならないからです。ツイッターなどで、言葉尻を取って炎上することがあります。あれって、一つの事実を巡って言い争っているように見えますが、実は違いますよね。発信者と読み手とでは、見えている世界が違うからです。例えば、日本酒の美味しさに付いて語り合ったとして、酒飲みと未成年では話のしようがない。もし議論をするのなら、その言葉、また事実が生まれた背景も含めて、お互いに理解し合う土壌が必要です。それが出来れば、実りある議論が出来るでしょう。
そうは言っても、宗教の話に興味がないわけではないです。というより、興味があります。将来的には、宗教を題材にした小説を書きたいと思っています。主人公は聖徳太子です。聖徳太子といえば、十七条憲法や冠位十二階。それに遣隋使が有名です。でも、それらの事業を成し遂げたバックボーンは、彼が信仰する仏教がベースでした。
僕は、仏教を少しばかり齧っています。僕の、宗教に対する立ち位置は仏教がベースになります。宗教については様々なご意見があると思いますが、今回は、僕なりに感じている所を、少し述べさせていただきます。
以前、出口治明先生の著作「哲学と宗教全史」を読んだ話をしました。三千年という人間の歴史を、哲学と宗教という視点で展開した歴史小説として読ませて頂きました。素晴らしい業績です。あまりにも面白くて、一気に読んでしましました。皆さんにも、是非お勧めします。
歴史に残る宗教の元祖は、火を祀ったゾロアスター教だそうです。歴史的な文献は残っていませんが、一万年以上の歴史がある縄文時代でも、火は大切にされたのではないでしょうか。猿から人間に進化をする時に、火の存在は計り知れないほどに大きかったでしょう。
自然信仰的な原始宗教が、大きな様変わりを迎え始めたのは紀元前500年からキリストの誕生までです。世界三大宗教である、キリスト教、仏教、それから中国の儒教が誕生します。イスラム教は、少し時代が違います。それらの宗教は、それぞれの特徴がありますが、今回はその特徴の違いを「神の存在」で語っていきたいと思います。
――「神様」って、どのようなイメージをお持ちですか?
なろう系の異世界物であれば、死んでしまった主人公にチートスキルを与えて、異世界に放り込む存在として重宝がられています。多くの神様は気まぐれで、人間よりも性格が悪かったりします。これは、日本という国の戦後教育が、そうした神様のイメージを作り出したのかなと思っています。無神論の国ですからね。
ところが、キリスト教をはじめ神様を奉る国は違います。神は、全知全能で、愛の象徴で、逆らってはいけない存在です。神を軽んずることはタブーで、酷い時は死刑になります。神の対極には悪魔がいます。全否定の存在です。神に逆らうものは滅ぼされます。魔女は疑いをかけられるだけで死刑になりました。
神様に尋ねてみたわけではないのですが、神様はそんなことを望んだのでしょうか?
僕は、違うと思います。臨んだのは、当時の権力者です。支配階級です。権力闘争の大義名分に、神様が利用されたのだと思います。当時は、封建的な社会です。身分制度がありました。そうしたヒエラルキーな社会と、人間を超える神様の存在は、相性が良かった。人間の言葉なのに、神の言葉だと置き換えて人々を動かした。
キリスト教には、アダムとイブの話があります。リンゴを齧ったことで知恵が生まれ、追放されてしまいます。これは実に象徴的な話です。なぜ、知恵を付けたら、追放されたのでしょうか?
ヒエラルキーな世界は、上下関係が絶対です。上の言葉は守らなければなりません。余計な考えは必要ありません。下の者はただ従ったら良いのです。ところが、知恵をつけると、そのことに疑問を持ち始めます。考え始めます。だから追放されたのです。
本来は、人間に知恵を付けるのが宗教の役割だと思います。人間としての成長を促し、自立させていく。これが宗教の存在意義です。ところが、宗教が組織化されると、不思議なことにその反対の行動を取り始めることが多い。一人の人間の幸せよりも、組織の維持が目的になっていきます。いや、組織の維持よりも指導者の保身かな。どちらでも良いのですが、封建的な力学が生まれるのです。組織は一人一人に知恵を付けられてしまうと困るのです。追放しないといけないから。
現代において、この神様をどのように取り扱ったら良いのでしょうか。というよりも、
――そもそも、神様って何?
次回は、そんな僕の所感を綴ってみたいと思います。




