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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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心の問題について③ 自分を受け入れる

 今年、長男は高校3年生になりました。昨年の今頃、理系受験クラスに編入した長男は、意気揚々と勉強に励んでいました。コロナの所為で授業がオンラインだったりと振り回されはしましたが一学期の成績は申し分なく、親である僕も鼻高々でした。


 夏休みが終わり2学期が始まりました。オンライン授業からリアルな授業に切り替わり、学校に登校しなければいけません。何日か登校していたのですが、9月末に行われる運動会の当日、長男は学校に行こうとしません。寝ころんだまま起き上がろうとしないのです。驚いた僕は咄嗟に言いました。


「今から、学校に一緒に行こう」


 運動会は学校生活の中では大きなイベントです。行くのは当然だ。そんな僕の一方的な思いがあったと思います。怒ってはいません。普通に問いかけたつもりです。ところが、僕の目の前で長男は声を殺して泣き出してしまいました。ビックリです。


 その日から、長男は学校に行かなくなりました。食事も摂ろうとしません。目に光がなく、起き上がろうとはしません。心療内科にも通いました。クスリも処方されました。


 当初は、長男とどのように接すれば良いのかが分かりませんでした。長男が、何に悩んでいるのかも分からない。何か特別な問題があって、そのことが原因なのかもしれないと考えもしました。しかし、問い掛けても長男は語ってくれません。学校のことを話題にするだけで、長男に精神的なダメージを与えていることを感じました。


 対応の仕方が全く分からないので、ネットで検索を掛けました。同じような悩みを抱えたケースが、次々と表示されます。でも、問題の背景は違いますし、語られていることも色々です。いま一つピンとこない。そうこうしているうちに、二学期が終わり新年を迎えました。三学期になれば改善するかも……と期待していましたが同じでした。


 その間、嫁さんは毎日のように長男を車に乗せて学校の門まで走ります。学校に到着すると、担任の先生に到着したことを報告します。時間が合えば、先生は大地に会いにも来てくれました。その後、授業を受けることなく家に帰ってくるのです。何故そんなことをするのかと言うと、出席日数を稼ぐためです。将来的に学校を卒業するためです。


 長男は車に乗っているだけで、学校の敷地には一切足を踏み入れません。出席日数と言いつつも、形だけの行為です。でも、長男のリハビリにはなっているようでした。車内で、嫁さんは長男と二人っきりで話す機会が得られます。それが良かった。僕も、週に一回くらいのペースで車を走らせて長男と語り合いました。難しい話はしません。音楽の話とか、面白かったアニメの考察を語ったり、昼飯をどこで食べるのか相談をしたり。


 長男には、やりたいことをさせました。あれをしなさい、これをしなさいと無理強いはしません。パソコンでのゲームは好きなだけさせました。それどころか長男が勧めるゲームを、僕も一緒になって遊びました。難しくてゲームに詰まると、長男を呼んでアドバイスを受けたりしています。


 将来的には、長男は大学に進学するつもりのようです。もともと勉強は嫌いじゃない。数学が特に大好きです。高校で学ぶ数学は一人で勉強を終えています。暇があれば、数学の問題を解いています。学校の先生からは、数学を中心にして受験できる大学に行ってはどうか、とアドバイスを受けています。僕も、それで良いと思っています。いま長男に必要なことは、自分で考えて自分で行動するという、基本的な行為です。心と行動の乖離を無くして、自分の行動に思いを乗せる。そんな事が必要だと思っています。


 多様化の時代の話をしましたが、子供の教育に関しては、多様化ではありません。変化はしてきているのでしょうが、過去に作り上げてきた教育システムを基本にして、子供を同じレールで走らせることを強要しています。断っておきますが、僕は今の教育システムを非難したいわけじゃない。今のままでも、別に構わないです。ただ、子供の成長速度は、個人個人それぞれです。その事に、大人は気づいてあげることが必要だと思います。


 ――そうすることで、子供がレールから外れてしまったら。


 もちろん、そうした心配はあります。学校を留年したり、中退したり、受験が出来なかったり、挙げだしたらキリがない。でも、そうしたことは、長い人生からみたら些細なことではないでしょうか。僕はその様に割り切りました。本人がそのつもりなら、やり直したら良いのです。それだけのことだと思っています。自分の事は、自分でしか変えられない。


 それよりも、心と行動の乖離という問題は、長い人生の中で繰り返し繰り返し襲いかかってきます。ある意味、生きていく中での根幹の問題だと思っています。問題を放置したまま、蓋をしたまま、向き合うことがなければ、もっと苦しい形で自分に襲いかかってくるような気がするのです。僕からすれば、その方が問題です。早い段階で気が付き、対処する経験を身につけておく方が、長い人生の中では有益ではないでしょうか。


 僕は、「心と行動の乖離」と表現しましたが、その乖離を無くすという事は、取りも直さず「自分が自分の事を受け入れること」だと思います。他の誰かではない。自分が、自分の事を認めるのです。自分の考えと、自分の行動と、現在の自分の姿を受け入れるのです。それが、多様化の時代を生きる僕たちにとって、かなり必要なことだと考えています。

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