イメージの肥やし
今日は時間がありましたので、大阪歴史博物館に行ってきました。目的は、特別展示「怪しい絵展」を鑑賞する為でした。大阪歴史博物館は大阪城の近くにあり、かなり近代的なビルでした。当初は、「あやしい絵展」だけを鑑賞するつもりだったのですが、常設の大阪の歴史も知りたくなったので、どちらも鑑賞することにしました。エレベーターで一気に10階まであがり、展示物を鑑賞しながらビルを降りていきます。
意外でした。
意外でした。
めっちゃ面白かったです。
奇怪で、グロテスクで、エロティックで、退廃的で、神秘的で、ミステリアスな「あやしい絵展」も、もちろん面白かったのですが、大阪の歴史はそれ以上に面白かった。何故かと言いますと、僕が小説を書いていたからなんです。
二作目の長編として「本読みクラブ」という話を完結させましたが、舞台が1980年代の日本だったので、色々と当時の時事ネタを調べました。三作目の長編として「逃げるしかないだろう」を書き上げたときは、同じ1980年代の日本の歴史と、もっと限定的な当時の大阪を調べて書き上げました。また、現在、執筆中の「その男、木崎隆」は、1970年代の日本を調べながら、書いています。つまり、展覧会を見る前に、部分的な予習が出来ていた事もあり、より深く楽しむことが出来たのです。
一作目の長編である「そうだ、スーパーカブに乗って出かけよう」は、僕の自伝に近い物でしたから、僕の記憶だけを頼りに書いていたのですが、それ以後の作品は、何かしら調べ倒して書いています。調べたこと全てが、小説のネタになるわけではないのですが、調べれば調べる程、僕の中のイメージがより鮮明になります。その事は、僕にとって、とても大切なことです。僕の頭の中で、登場人物が勝手に動き出すくらいに、鮮明にイメージが出来たときは、文章っていうのはスラスラと書けたりするものです。反対に、抽象的な概念だけが、頭の中を漂っているだけの時は、一文字も書くことが出来ません。だから、イメージを鮮明にする為には、具体的に何かしらの体験をして、僕が五感で感じることが非常に重要です。文章を書くって、そんなもんですよね?