出屋敷北十三遺跡
葛城探索の紀行文を順次アップしている途中なのですが、今の感動を直ぐに吐露したいので差し込みです。昨日、2025年11月4日に次のような見出しでネット上に記事が発表されました。
――弥生時代の方形周溝墓、奈良最多135基出土
関心のない方にとっては、「???」な見出しですが、僕にとっては驚きの記事でした。場所は葛城市と御所市の境にある出屋敷北十三遺跡になります。なんとこの遺跡から、弥生時代の方形周溝墓が発掘されたのです。その数、なんと135基。この遺跡の解説については、現在取り掛かっている葛城探索の紀行文で僕なりに考察するつもりです。
最近の僕は週末になると、奈良県の葛城市までスーパーカブを走らせていました。明日も、葛城市に向かいます。なぜなら、葛城市歴史博物館でセミナーが開催されているからです。そのセミナー終了後に、橿原考古学研究所の先生に僕は質問をしました。
「旧葛城県は出雲の神を祭る神社が多いですが、鴨氏が治めていたのですか?」
先生は少し思案した後、僕に向き直ります。
「遺跡の発掘からみると、鴨氏が治めていたかどうかはまだ分かりません」
「そうなんですか……」
「ただ、まぁ、今後の発掘に期待ですね」
この時の短い会話の中で、先生から「鴨氏のことは分からない」と言われたことに、僕はかなり落胆しました。橿原考古学研究所の先生から、確信めいた答えが聞けるのではないかと期待していたからです。ところが、最後のセリフの「今後の発掘に期待」という言葉は、今になって思い返してみると、出屋敷北十三遺跡のことだったんだ……と思い至りました。もっともっと未来の話だと思っていたのに、1週間も経っていません。
方形周溝墓ということは、出雲族の墓と言えそうです。そうすると、鴨氏の存在とも関連付けられます。いま正に、僕が勉強していた内容なので、興奮が冷めません。スゲー、スゲー状態なのです。




