葛城探索④キャンプ場の朝と広がる棚田
目が覚めました。目の前は真っ暗です。それもそのはずで寝袋の口は小さくすぼめていて、息をするための穴しか残していません。外はマイナスの世界。零下でも使用できる寝袋ではないので、出来る限り体温を逃がさないための工夫になります。傍から見れば、まるで強大な蛹のように見えることでしょう。上半身はダウンジャケットを着たままなので、それほど寒くはありません。足先は空になったナップザックに寝袋ごと突っ込んでいるのですが、それでもちょっと寒い。今後は足先の保温対策も考えないといけません。
腕を動かして、寝袋のドローコードを緩めました。右手を伸ばして頭の上のスマホを探します。テント内が急に明るくなりました。スマホの輝きが眩しい。時刻は5時。起きることにします。キャンプの朝は、いつも早い。日の出前から行動を開始します。寝袋から飛び出して上半身を起こしたら、僕の禿げた頭に濡れた内張が貼りつきました。
――冷たい!
結露です。零下の世界でテント泊をすれば、必ず発生します。僕の身体から放出された水蒸気が、外気に触れてテントの内側を濡らしているのです。これはどうしようもない。フライシートを掛ければ幾分マシみたいですが、その代わり荷物が増えます。トレードオフ。ここは判断のしどころになります。一泊くらいなら我慢できますが、雪の世界で連泊するのなら、フライシートを用意した方が良いのかもしれません。まだ経験したことがないので、何とも言えませんが……。
トイレと洗顔を済ませた後、食事の前にテントを乾かします。テントの中の荷物を全て放り出して、テントを木に凭せ掛けました。今回はタオルを忘れてしまったので、拭くことが出来ません。短時間で乾くことはないのですが、これはいつものルーチンになります。昨晩のアヒージョの油が入ったコッヘルと食材を持って、炊事場に向かいました。太陽が昇るまで、まだ1時間以上は掛かります。真っ暗な中、ヘッドランプの光を頼りにして階段を登っていくと、先客がいました。30代後半くらいの男性です。既に食事を始めていました。挨拶をします。
「おはようございます」
「おはようございます」
「お早いですね」
「ええ……」
相手は、僕に話しかけられて少し戸惑っているようです。構わずに、質問をしました。
「どちらから来られたんですか?」
「えっ、ああ……ダイトレを歩いてきて……」
どうも会話が嚙み合いませんが、相手の話に合わせます。
「ダイトレって、全部歩くつもりなんですか?」
「はい」
「45kmはありますよね」
「そうですね」
「一泊二日で?」
「はい」
ダイトレとは、ダイヤモンドトレイルの略称になります。起点は奈良県香芝市にある屯鶴峯で、金剛山地の尾根を縦走する登山道になります。終点は、大阪府和泉市にある槇尾山になり、全長約45 kmに及ぶコースでした。
「もしかして、六甲も?」
「はい。六甲全山縦走も歩きました」
「おー、それは凄い」
「いえ……」
照れています。可愛い。
「六甲の方が大変だったんじゃないですか?」
「いえ、そんなことないです。始発に乗ってやって来たんですが、結局、キャンプ場の受付時間には間に合いませんでした。もう、足の筋肉痛が酷くて……」
「へー、」
「今日も、早く出発しないと、バスの時間に間に合わないかもしれないので、少し焦っています」
「そうなんでか。頑張ってください」
「ありがとうございます」
会話を終えた後、彼に影響を受けてちょっと興奮しました。六甲全山縦走もダイヤモンドトレイル縦走も、かなり憧れます。それら縦走を一日で完遂する猛者もいるそうですが、今の僕からは異次元の世界になります。ここ金剛山キャンプ場はダイヤモンドトレイルのちょうど中間地点になり、縦走をする場合の宿泊地として重宝されているようです。しかし、実際に挑戦している人に出会って、かなり刺激を受けました。
さて、僕も食事の準備をします。キャンプでの朝食はマルタイラーメンを食べることが多いのですが、今回はアヒージョの油でパスタを調理します。パスタは出発前に湯掻いていて、ジップロックに収めてきました。湯掻くと言っても、10分湯掻くところを6分に短縮しています。つまり超アルデンテ。事前に半分だけ湯掻いておくテクニックは、提供を素早くするためにイタリアンの店でも行っているそうです。
コッヘルの蓋を開けました。ニンニクの匂いが漂います。少し油が多いようなので、使用済みのジップロックに半分近く捨てました。このジップロックは帰宅してから廃棄します。コッヘルを火にかけて、適度に温めました。そこに同量くらいの水を投入します。沸騰したところにパスタを投入して、グルグルかき混ぜました。全体に火が通ったら出来上がり。箸を持ちました。
「いただきます」
ニンニクとオリーブ油が混ざり合った香りが口内で弾けました。塩加減は丁度良い。パスタはモチモチで上手く仕上がっています。納得のアーリオ・オーリオでした。自宅のキッチンとは違い、キャンプ場での調理は制限があります。この環境下で、これだけ仕上がれば上々でしょう。次回からは、パスタもキャンプ飯の定番にしようと思いました。
食事を終えて、テントサイトに戻ります。乾かしていたテントが風に飛ばされたのか、引っ繰り返っていました。危ない危ない。坂の下に転げ落ちてしまうところでした。慌てて拾い上げます。ただ、全然乾いていません。でも、もう出発したいので、このまま畳むことにします。他の荷物も手早くパッキングして、荷物はナップザックだけになりました。ヨイッショッ、と背中に抱えます。食材が無くなった分、幾分軽い。ストックを手にしてキャンプ場を後にしました。
登りは、高天彦神社の登山口を利用しましたが、このコースは奈良方面から金剛山に登る場合のメインルートになります。下りは、隣の尾根である伏見ルートを歩くことにしました。あまり人が歩いていないのか、歩き始めは藪だらけ。顔に降りかかる蜘蛛の巣を手で剥がしつつ、歩みを進めました。登山は上りの方が苦しいのですが、下りも楽ではありません。特に、膝に負担が掛かりました。この負担に対して有効なのがストックになります。
登山においてストックは、必ずしも必要なアイテムではありません。ストックなしで登山をされる方も沢山いますが、僕の場合はストックを使います。背中には13kgほどのナップザックを背負っているので、その重量の分散にストックが役立ちました。下りにおいては「転ばぬ先の杖」になります。今回の登山は膝が元気ですが、前回の双門ルートではあまりにも過酷すぎて、後半は膝が笑っていました。そのような場合、ストックの存在が本当に助かるのです。
登山道を終えて、舗装された道に出ました。ポツンポツンと民家が見えます。急な下り道を歩きすぎてしまい県道30号線に出てしまいました。分岐を間違えたようです。これでは遠回り。県道沿いの歩道を歩きながら金剛山地の麓を見下ろしました。旧葛城県南部は起伏に富んでいます。斜面一面が段々畑になっていました。スーパーカブに乗って近畿を中心にして様々な山間部を走りましたが、こうした段々畑は至る所にあります。日本の原始風景と言っても良い。
段々畑で作付けされる作物は米になります。段々畑の良いところは、山から流れてくる川の水を、上の棚から下の棚へ順番に落としていくことが出来るので、水の管理が行いやすい。もちろん初期投資は大変ですが、ポンプが無かった古代においては、これが最新の灌漑設備になるのです。
日本の米文化は、3,000年前に弥生時代から始まったとされます。弥生時代の特徴は環濠集落で、集落の周りに堀と柵を設けて外敵からの襲撃に備えました。近くには川が流れており、その周りは湿地帯になっています。この湿地帯を利用して水田稲作が行われました。この米の文化は、華北を経由して日本にもたらされたようです。DNAの解析によると、この弥生時代にハプロO系統の華北の人々が日本列島に流入してきた痕跡が見られるからです。この弥生時代の水田稲作と、古墳時代の棚田を利用した水田稲作は、同じ水田稲作でもそのルーツは全く違うものだと考えています。
古代の日本列島の人口の推移を見てみたい。5,000年前は縄文時代が最も栄えた時期で、日本列島の人口は約26万人と推測されています。その後、地球全体の気温が下がっていき、3,000年前になると約7万人までに減少しました。ところが、大陸から米文化が伝来されたことで弥生時代がはじまり約59万人に増加するのです。ところが同じ米文化なのに、古墳時代に入ると約540万人にまで増加しました。弥生時代からなんと9倍。近畿だけでみると20倍の増加との試算もありました。この米の生産量を増大させた原因が棚田だと考えます。古墳時代にこの棚田の水田稲作を列島に、なかんずく大和に持ち込んだ民族こそが、ヤマト王権の始祖だったのではないでしょうか。
棚田を利用した水田稲作の発祥の地は、中国の雲南省になります。米の起源も雲南省でした。現代の歴史的認識では、古墳時代の始まりは纏向での前方後円墳の出現からとされています。前方後円墳はヤマト王権のシンボルマークですしその通りなのですが、古墳時代のもっとも根本的で重要な革新は棚田による水田稲作の伝来だったと考えます。この最新の水田稲作を大和に持ち込んだのがヤマト王権の始祖で、信奉する宗教は儒教でした。この儒教の世界観から、前方後円墳が建造されていったと考えます。
この考察に対して、反論はあるかと思います。日本古来から続く神道の源流が大陸の儒教になし、そもそもヤマト王権の始祖が大陸の民族になるからです。儒教に限らず、日本列島は大陸から様々な影響を受けて、それらを受容してきました。米文化、漢字、須恵器、灌漑技術、暦、儒教、それに仏教。そうした文化を貪欲に吸収しつつ、ジャパンオリジナルに昇華させていったのも日本になります。目の前に広がる棚田を見下ろしながら、そんなことを考えていました。
県道30号線から高天彦神社までの道のりは、アスファルトで歩きやすいのですが、かなりの急登。昨日、同じ道を僕のスーパーカブで登ったのですが、ギアを一速に落とさないと登れないくらいに急でした。そんな坂道をストックを突きながら登りきり、やっとこさっとこ相棒のスーパーカブと再会。背中のクソ重いナップザックを降ろして、やっと解放されます。時刻は8時半を回っていました。これから、旧葛城県に点在する神社を巡ります。山登りはオマケ。これからが葛城探索の本番になります。




