葛城探索③アヒージョと赤ワイン
金剛山山頂には葛城神社があり、その南方に「ちはや園地」という公園が広がっています。雲一つない青い空の下、遊具で遊ぶ子供たちの嬉々とした声がそこかしこで弾けていました。ダイヤモンドトレイルの周りに敷き詰められた落ち葉は、太陽の光に照らされて赤々と燃えています。暗い登山道を登ってきた僕にとって、それらの景色はとても眩しかった。ストックを突きながら、南へと歩みを進めます。その先に金剛山キャンプ場がありました。
キャンプ場には、営利目的で運営されるものと、行政が管理するものがあります。行政が管理するキャンプ場の多くは、火が使える炊事場が指定されていて、テント場での火の使用は制限されていることが多い。金剛山キャンプ場も例にもれず、テント場での火の使用は禁止でした。なので、テントの傍で焚火を楽しむようなアクティビティは出来ません。その代わり、炊事場は充実していました。薪を使って炊事が出来る釜や、ピザを焼くことが出来る窯まで用意されています。ただし、有料ですが……。
僕のようにガスストーブを使って調理する場合は、大きなウッドテーブルが設置されているので、その上で作業が出来ます。また炊事場は、屋根があり照明もありました。日が沈んで暗くなっても、たとえ雨が降ってきても、ここなら安心して食事が出来そうです。ランタンもいりません。登山客はなるべく荷物を減らしたいので、そうした意味では安心して利用できるキャンプ場でした。
受付を済ました僕は、指定されたテント場に向かいます。山の斜面に段々畑のようにテント場が整備されていました。サイトとサイトの間隔は広めで、利用客のプライバシーは確保されています。一つのサイトには、ウッドベンチが一つ用意されていて、これが非常に使いやすい。ベンチにナップザックを凭せ掛けて、中の荷物をベンチの上に広げました。先ずは、テントの設置です。
キャンプにおけるテントの選び方は、その用途によって変わります。例えば、車を横付けできるようなRVキャンプ場なら、テントの重量を気にする必要がないので、デザイン性や快適性を重視した方が良いでしょう。僕はスーパーカブに乗って野宿をすることが多いのですが、この場合でも重量よりも快適性を選びます。最近は、二人用のダブルウォールテントを使っていました。今回のように荷物を担いでいく登山の場合は、快適性を殺してでも、コンパクトで軽いものを選びます。
今回、用意したテントは、雪山用のシングルウォールテントでした。シングルウォールは、フライシートを使いません。テント本体と二本のポールのみなので、コンパクトで軽くて携帯がしやすい。ドーム型なので、風が強い山の上でも使用が出来ます。その分、犠牲になるのが居住性でした。かなり狭いです。ただ、このテントは雪山用と謳うだけあって、メッシュの内張りが標準で装備されています。フライシートは使いませんが、実質ダブルウォールなので、テント内の温もりが外に逃げにくい設計でした。これは登山家だった従兄の遺品なのですが、寒中キャンプではいつも重宝しています。今回も夜中は零下になるそうなので、とても心強い。
テントの設置が終わったので、缶ビールを手に取りました。プルトップを引き上げます。
――プシュッ!
この一杯の為に、登山をしたと言っても過言ではありません。腰に手を当てて、下界を見下ろしながらビールを飲みました。
――美味い。
喉がカラカラに乾いていたこともあり、直ぐに飲み干してしまいます。さて、時刻は15時半。日没までは、まだまだ時間があります。ベンチに腰掛けて読書を始めました。気温は低いはずなのですが、太陽の光のお陰でポカポカと暖かい。風がサラサラと流れていました。とても心地よい。心地よすぎて、何だか眠くなってきました。パタンと本を閉じます。テントの中に広げた寝袋に潜り込みました。
目が覚めました。外はまだ明るい。時刻は16時半。あと30分で日が沈みます。少し早い気もしますが、食事を摂ることにしました。いや、酒を飲むことにしました。必要な荷物だけ手に取って、炊事場に向かいます。先客が一人いました。一番隅っこの方で食事を始めています。軽く挨拶をした後、辺りを見回しました。ウッドテーブルは幾つもあります。僕は隅っこではなく、ど真ん中に陣取りました。荷物を広げます。
今晩のメニューはアヒージョ。具材のメインであるニンニクは、国産の大玉を用意しました。他の具材は、海老、豚ロース、エリンギ、冷凍枝豆、冷凍レンコンになります。調味料は、オリーブ油、塩コショウ、鷹の爪の輪切り。海老と豚ロースは予め塩コショウで下味を付けていて、豚ロースには小麦粉をまぶしています。これらの材料は、ジップロックで小分けしていました。
ガスストーブに火を付けて、その上にコッヘルを置きます。中にオリーブ油を入れました。ニンニクと鷹の爪と塩コショウも入れます。調理というほどの大げさな作業ではありません。火をかけて具材を入れるだけ。沸々と煮立ってきたら、先ずは海老とエリンギを入れました。アヒージョの定番。火が通っていくのをじっくりと眺めます。食べれるかな? まだ早いかな? そんなことを考えながら、口の中の唾液を飲み込みます。
そうそう忘れていました。ビールを手に取ります。一口飲みました。更に飲みました。アヒージョが仕上がるまでに、半分が空になりました。さて、もう頃合いです。箸を手に取り、まず最初に海老を引き上げました。殻ごと噛みしめます。バリバリ、モグモグ。海老のエキスがニンニクと混ざり合い、口内に広がりました。
――美味すぎる。
僕は、海老の殻を外すような上品なことをしません。全部丸ごと食します。エリンギも美味しい。さて次なるターゲットはニンニクです。青森産のデッカイニンニク。一部は輪切りにしましたが、大半は丸ごとそのまま。口に含んで噛みました。
――あー、ニンニク。
ちっとも臭くありません。魅力的な女性がすれ違い様に残していくような蠱惑的なフェロモン。甘い誘惑。目を瞑って、その余韻を舌で転がしました。堪らない。口の中が蕩けてしまいそうです。手を伸ばしてビールを飲もうとしたら空でした。急いで赤ワインの封を切ります。赤ワインは国産の安物。ペットボトルの物を用意しました。ラベルには「ふくよか」と印刷されています。シェラカップに注いで、その味を確かめました。
――エクセレント!
本当に美味しい赤ワインを知らない僕ですが、寒い中ダウンジャケットを着こみながら、アヒージョに合わせる赤ワインにこれ以上のものはない。素直にそう思いました。とても飲みやすい。スルスルと喉を通過していきます。海老を食べつくしたので、次に豚ロースを投入。更にレンコンや枝豆も追撃。コッヘルの中は、大賑わい。
かなり食べました。酔いも回っています。〆としてアーリオ・オーリオを予定していましたが、もう食べれません。オリーブ油が入ったコッヘルに蓋をして、明日の朝に調理することにします。ところで、今回アヒージョを食べてみて、非常にラクチンなキャンプ飯だということを知りました。もちろん、事前に準備をしていたからなのですが、今後はレパートリーの一つに加えます。それに、赤ワインも美味しかった。
実は、赤ワインは4分の1だけ残っています。飲み切ることも出来たのですが、実はホットワインを試してみたかった。生まれてこの方、熱燗はよく口にしますが、ホットワインは飲んだことが無かったのです。ネットで調べてみると、シナモンを入れて温める……とありました。お好みでシュガーを入れても美味しいとか。そんなホットワインを、夜中に飲もうと考えていました。現在の時刻は18時を回ったくらい。今から寝たら、必ず夜中に目が覚めます。真っ暗になったキャンプ場の中、ヘッドランプで前方を照らしながら、自分のテントに帰りました。
夜中の12時。予定通りに目が覚めました。かなり冷え込んでいます。本来であれば、炊事場に行くべきなのですが、テントの中でホットワインを用意することにします。コッヘルにシナモンを入れて、赤ワインを注ぎました。火を掛けます。シナモンの香りを含んだ赤ワインの暖かな香りがテントの中に満ちてきました。とても美味しそう……。テンションが上がります。沸騰させてはいけないので、頃合いを見て火を止めようとしたら、右手をコッヘルのハンドルにぶつけてしまいました。目の前で、コッヘルが引っ繰り返ります。
――オー、マイ、ガー!!
テントの中に、温まった赤ワインをぶちまけてしまいました。慌てて、周囲の荷物を退避させます。一部は赤く染まりました。呆然自失。その後、キャンプ場のトイレを三往復して、丸めたトイレットペーパーで赤ワインを拭いました。もう泣きそうです。テント場は火元厳禁なのに、どうも罰が当たったようです。結局、人生初のホットワインは飲み損ねてしまいました。
その後、気分を取り直してウィスキーを飲みます。アテは、カマンベールチーズ。これはこれで最高に美味しい。スマホを取り出して、吉川英治著作「宮本武蔵」を1時間ほど読んで、また寝袋に潜り込みます。テントの中は赤ワインの甘い香りがまだ漂っていました。




