葛城探索②金剛山
山登りをするとき、いつもお世話になっているのがインターネットサイト「ヤマップ」になります。ヤマップには様々な機能がありまして、まず山を登る時のルートを調べることが出来ました。山登り二年目の僕は、このヤマップを頼りにして色々な山に登ってきたわけですが、このヤマップなしで登山ルートを考えるなんて、ちょっと考えられません。ネット上だけでなくスマホのアプリ版の「ヤマップ」もありまして、山に登る時にこのアプリを起動させます。するとGPSで自分の現在地や、これから進むルートを地図上で確認することが出来るのです。もし道に迷ってしまっても、GPSによって正規のルートに復帰することが出来ました。
ヤマップの機能はそれだけではありません。ヤマップを利用する多くの登山家が、そのルート使った登山の情報をブログのように公開してくれているので、事前の情報収集にとても役立ちました。そんなヤマップを使って、金剛山の登山ルートを調べてみました。
――えっ!
金剛山の山頂を中心にして、蜘蛛の巣のように八方に登山道が伸びていました。どこから登ったらよいのかが分からない。でも眺めながら感じました。これは遥か昔から信仰の山として多くの人々に親しまれ、登拝されてきた軌跡なんだと……。
そのような登山ルートを大きく分けると、東西南北の四方から登ることが出来ました。大阪方面からも奈良方面からも様々な登山口から登ることが出来ますが、注目すべきは金剛山地の尾根を南北に貫くダイヤモンドトレイルという主要道になります。全長45kmのこの登山道は、大阪、奈良、和歌山に跨っており、金剛山の名前からダイヤモンドトレイルと命名されたそうです。毎年、ダイヤモンドトレイル縦走大会が開かれているそうで、ちょっと気になりました。40代の頃はフルマラソンに毎年参加していましたし、100kmウルトラマラソンも完走したことがあります。ただ、山を走る45kmはウルトラ以上に大変そうです。10年前の僕なら鼻息を荒くして参加を考えたかもしれませんが、50代も半ばになってからの挑戦はかなりキツイ。
今回選んだ登山口は、御所市にある高天彦神社になります。僕が住む大阪の摂津市からは50km程の距離があり、スーパーカブを走らせて2時間ほどかかりました。高天彦神社の主祭神は高皇産霊尊で、国生みの神であるイザナギとイザナミの親ともいえる神になります。この地域に来るまで知らなかったのですが、この辺りは高天と呼ばれていて、この高天とは高天原のことでした。
――なぬ?
高天原は、神代において神々が住んでいた天上界とされます。高天原の所在地については、宮城県の高千穂説や熊本県の阿蘇説など沢山の仮説が存在しており、場所は特定されていません。ただ、そうした仮説は江戸時代以降に誕生したそうで、それ以前はこの辺りが高天原だったのです。また金剛山は古くは高天山と呼ばれていて、神々が住む山だと信じられていました。つまりこの高天は、高天原のド本命だったのです。ちょっと驚きました。今回の登山は、仕方なく葛城山から金剛山に変更したのですが、結果的にとても良かった。知見が広がります。
午前中に用事があり出発が遅れた僕は、昼の12時に高天彦神社の駐車場に到着しました。駐車場は登山客の車で一杯です。僕はスーパーカブなので場所を取りません。隅っこに停めて、バイクカバーを掛けました。相棒とは暫しの別れになります。ストックを伸ばして、ナップザックを背負いました。
――ズシリ。
かなり重い。用意した赤ワインは国産のペットボトルで、ナップザックの横のポケットに、これ見よがしに差し込んでいます。というか、荷物が多すぎてナップザックの中に入らなかった。歩き始めようとすると、登山を終えた初老のご婦人と目が合います。頭を下げました。
「おはようございます」
「おはようございます」
挨拶は山でのマナーですね。挨拶を返してくれたご婦人が、興味深そうに僕に話しかけてきました。
「今から登山ですか?」
「ええ」
「大きな荷物ですけど、テント泊ですか?」
「はい」
「いいですね。お気をつけていってらっしゃい」
「ありがとうございます」
爽やかな方でした。僕の足取りが軽くなります。高天彦神社までの参道は極太の杉が左右に並んでいる小路になっていて、その先を二人の女性が歩いていました。構図がバッチリ。すかさずスマホを取り出してパチリ。良い絵が撮れました。高天彦神社は小さな社ですが、山を背にして大きな杉に囲まれています。シンと静まり返っている様子がとても厳か。まさに鎮守の社。
高天彦神社を後にして先を急ぎます。登山道の始まりは整備されていて歩きやすかった。小川に沿って道が続いています。暫く歩くと小さな滝があるところで行き止まりになりました。ほぼ垂直の崖に梯子が掛けられていて、上へと伸びています。
――えっ!
意外でした。前回、大峯山の双門コースを登った時は、40以上もの梯子を登り続けたわけですが、金剛山の登山で梯子に出会うとは思いませんでした。恐るべし金剛山。僕の脳裏に、双門コースでの過酷だった記憶が蘇ってきます。気を取り直して、梯子に足を掛けました。一歩一歩登ります。
登りきると、今度は下に向かって梯子が掛けられていました。ゆっくりと降りていくと、そこは小さな滝の上にある踊り場で、そこから天に向かって小さな渓谷が伸びていました。かなり急峻で足場は濡れていて、足を滑らせると落ちてしまいます。
――これを登れというのか?
躊躇しました。金剛山の登山が、これほど過酷だとは知りませんでした。そうは思いつつも、念のためにスマホを取り出し、ヤマップを開きます。
――ガックシ。
完全に道を間違えていました。この梯子が何の為に掛けられたのかは知りませんが、これは登山道ではありません。どうしようもない疲れを感じつつ、また梯子に足を掛けました。元の登山道に戻ります。本来のルートは、滝の手前から小川を渡り、向こう岸の登山道にアクセスする必要があったのです。
登山道に復帰してからは、道に迷うことはありませんでした。辻には行先を指し示す標識が掲げられています。登山道は一本道ではなく所々が分岐していましたが、どちらを選択しても金剛山に行くことが出来ました。そのうちの一本は「郵便道」と表記されています。金剛山山頂には神社や寺がありますが、配達員は毎日のようにこの道を登って届けているのでしょうか。もしそうであれば、その配達員はとんでもない化け物です。そんなことを考えながら、僕も急峻な山道を登っていきました。
昼過ぎから金剛山に登る人はあまりいません。すれ違う人から、「今から登るんですか」と問いかけられたりしました。ただ、僕が背負うナップザックにはキャンピングマットが固定されています。そんな様子を確認して、「ああ、テン泊なんですね。羨ましい」と言われたりしました。
前回の双門コースでは誰一人として会わなかったのに、金剛山はすれ違う人が多い。険しかった急登を登り切りダイヤモンドトレイルに合流すると、更に人が増えました。というか、次々とすれ違います。初めて訪れたので知らなかったのですが、ここは観光地でした。山頂には金剛山葛木神社があるのですが、奉納された石碑には千回登頂とか二千回登頂といった文言が彫られています。葛木神社にも、途切れることなく、参拝者が訪れていました。
葛木神社の主祭り神は一言主になります。下山してから、葛城一言主神社に訪れているので、その時に一言主という神についてご紹介しますが、古事記にも登場する神になります。そもそも古代において山の頂上は、神が住居する世界と考えらえてきました。本来は人間が立ち入る場所ではなかったのです。山岳信仰には二種類あり、山そのものを遠くから崇める信仰を遥拝、山に登る信仰を登拝と言います。縄文時代から続く信仰は遥拝で、登拝を始めたのは飛鳥時代に活躍した役小角になります。彼は、聖徳太子が薨去されてから12年後に誕生しました。仏教を学んだ彼は、金剛山地や大峯山で山岳修行を行い修験道の開祖となるのです。
ところで、役小角は賀茂氏の子孫でした。神武東征で磐余彦尊は、八咫烏の導きによって大和国において初代天皇に君臨するのですが、八咫烏の子孫が後のこの賀茂氏になるのです。賀茂氏の祖先は大国主の子供である事代主なので、賀茂氏は出雲系の豪族ということになります。賀茂氏は葛城県に土着していたこともあり、高鴨神社を筆頭にして葛城県にある神社はどれもこれもが出雲系の神を祀る神社ばかりでした。今回の葛城探索の旅は、この葛城県と出雲族の関係性を自分の目で確かめることが目的でもありました。そのような硬派な内容ながら、次回はガラッと雰囲気を変えて、山頂での一夜を綴ってみたいと思います。




