葛城探索①出発前夜
金剛山地は、大阪府と奈良県を分かつようにして南北に聳え立っています。金剛山地の主峰は標高1125mの金剛山で、次に高いのが標高958mの葛城山になります。この金剛山地の東側には奈良盆地が広がっており、古代においては山地の麓に葛城県がありました。現代の行政区分では北側が葛城市で、南側が御所市になります。古代史を勉強している僕は、11月の23日24日の連休を使って、この旧葛城県を探索することにしました。
今回の探索では、旧葛城県に点在する古社に訪れてみたかった。京都市にある上賀茂神社や下鴨神社を始めとして全国にあるカモ系神社の総本社と称しているのが、御所市にある高鴨神社になります。旧葛城県にはこの高鴨神社を上鴨社として、奈良盆地の中央に向かって麓を下っていくと、中鴨社の葛木御歳神社や、下鴨社の鴨都波神社がありました。また、鴨都波神社から北の方角に近鉄忍海駅があり、その近所に葛城市歴史博物館があります。
今回の探索では、これら三社と博物館を当初の目的地と考えていました。ルート的には、一日もあれば全てを回り切ることが出来ます。ただ最近の僕は山登りを趣味にし始めていたので、山にも登ってみようと思いました。葛城市歴史博物館から見て西の方角には葛城山がそびえています。前日に山頂のキャンプ場で一泊することを目的にして登山し、次の日に葛城県の散策を行う計画を立ててみました。
ところが、葛城山にあるキャンプ場は予約が一杯で宿泊が出来ません。紅葉シーズンの連休ということもあり、登山客が増えたようです。困ってしまいました。地図を眺めていると、金剛山にもキャンプ場があります。同じ結果だろうな……と思いつつ電話を掛けると、意外にもすんなりと予約を取ることが出来ました。テント持ち込みの宿泊で500円。かなりリーズナブル。ただ、少し条件がありました。15時30分までに、受付を済ませる必要があったのです。
僕のこれまでの野宿&キャンプ遍歴を振り返ってみて、15時30分までに宿泊の準備を始めるというのは、初めてのことです。ほとんどが日没間際にテントを設置していました。なぜなら、それまでに予定を詰め込んでいたからです。それこそ時間が押してしまい、真っ暗になってからテントを張ることも度々でした。そんなキャンプ遍歴だった僕が、15時30分までに受付をしてテントを張らなければならないのです。
――暇すぎる。
予約電話でのやり取りで、そんなことを思っていました。テントを設置して、直ぐに食事というわけにはいきません。夜は長いのです。実は、日中にキャンプ場でゆっくりとした時間を過ごすという経験を、僕はしたことがありません。取り合えず、暇な時間は本を読むことにしました。それと、いつものワンパターンな食事ではなく、ちょっと変わったキャンプ飯を食べてみたい。
メニューを決めました。アヒージョです。アヒージョは、ネットで調べると、オリーブ油とニンニクで食材を煮込むスペイン料理……との説明がありました。この文章を書くまで、イタリアの料理だと思っていました。更に付け加えると、説明では「煮込む」と表現していましたが、調理方法は「揚げる」に近いです。また、煮物と違って食材の美味しさが水分に逃げないので、アヒージョは食材が持つ濃厚な味わいを楽しむことが出来ます。ただこのメニューには問題がありました。調理した後の油の始末になります。キャンプ場で、油を適当に廃棄することが出来ません。そこで残った油でアーリオ・オーリオを楽しむことにします。アーリオとはイタリア語でニンニクを意味し、オーリオは油のこと。つまり、ニンニクソースを使ったパスタになります。
ここまでするのなら、お酒にもこだわりたい。普段はビールと日本酒を嗜むことが多いのですが、アヒージョに合わせるのなら赤ワインでしょう。ボトルを持っていくことにします。標高1125mの金剛山に登るので、そこそこ大変。更にテント泊なので、テントも寝袋も一式担いでいかないといけない。普通であれば、荷物を減らすために悩むところです。しかし、それでも赤ワインを持っていくことに、僕自身がウケる。赤ワインだけじゃありません。ビールだって、ウィスキーだって持っていきます。酒を飲むことに、手は抜きません。これが楽しい。
今回のテント泊は、金剛山の山頂になります。天気予報を確認すると、晴れ。雨の心配はなし。それはいいのですが、日が落ちると気温はマイナスの予報でした。防寒対策が必要です。これまでに雪中キャンプを二回経験してきましたが、実はマイナスの環境に耐えれる寝袋を、僕は持っていません。欲しいのですが、高価だから買えません。今回も、ダウンジャケットを着こんで、寝袋に潜り込むつもりです。
50代になってからの僕は、まるで子供に還ったように冒険の旅に出かけています。個人的な感想なのですが、冒険を楽しむうえで課題が残っていることは大切なことだと思っています。命の危険に晒されるほどの課題は困りますが、予定調和ほどつまらないものはありません。ちょっと足りない、ちょっと困る、くらいの遊びを残しておく方が面白いと思うのです。
似たような感覚を、僕の愛車スーパーカブにも感じています。50ccよりも大きな排気量のバイクの方が同じ走るのなら爽快ですし、四輪の車なら更に快適になります。でも、僕が旅に出かけるのに50ccのスーパーカブにこだわるのは、移動手段がこれしかないという現実的な問題もありますが、予定調和に陥らないからでした。高速道路を走れない、制限時速は30kmまで、二段階右折といった制限は、ある意味50ccのバイクに課せられた課題になります。でも、だからこそ感じれる旅がありました。
また相棒は、僕が関わらなければならない領域がとても多い。昔は、スーパーカブのメンテナンスは整備士の友人に任せていましたが、コロナ渦を切っ掛けにして、全て自分で整備をするようになりました。これもある意味、課題のようなものになります。でも、オイル交換を始めメンテナンスを自分でするようになってから、相棒の健康状態を感じれるようになりました。エンジンのふけ上がりや、クラッチの滑り加減、ブレーキの利きといった相棒の息遣いを感じるのです。たかだか自動遠心クラッチですが、スピードに合わせてクラッチを合わせるという作業を通して、相棒と一体になって走っている感覚さえ感じています。
世の中は、自動運転技術や生成AIといった便利な新技術が誕生しています。それはそれで時代の流れで、別に構わないと思います。ただ、様々な課題を自動で解決してくれる技術というのは、人間が関わってきた領域をドンドンと奪っていくことになります。
――これって楽しいのかな?
と、思ったりします。極論ですが、何でも便利になって、生まれてから死ぬまで全自動に成ったら、何のために生きているのかが分かりません。「課題を面白がる」というのは、人生を楽しむうえで大切な心構えなのでは……と思ったりします。
とまー、そんなこんなで当日を迎えました。




