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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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双門コース奮闘記

 ――生きて帰ってこれた~。


 そんな心地でいます。今朝は全身筋肉痛で、目が覚めて起き上がることからして一苦労。膝周りは炎症を起こしていて正座が出来ません。精神的にも疲弊していて、未だにボーッとしています。


 この連休は、二泊三日で奈良の大峯山系に登山に行ってきました。経路は、一般登山道で関西最難関とされる弥山の双門コースになります。双門コースは弥山川の渓谷を登っていくルートで、大変難しいとの情報は得ていましたが想像以上でした。ただ、大変だったのは、そうした環境的なことが主たる要因ではありません。ただただ体力的な準備不足が最大に災いしました。


 登山に向けてランニングをしていますが、ランニングと登山とでは使う筋肉が違います。平行に移動するランニングに対して、登山は垂直方向にも移動するので、登るための筋肉が必要でした。ところがランニングでは、登るための筋肉である太腿まわりは鍛えることが出来ません。それでも、お盆に白山に登った時はガンガンに登れたので、なんとかなるんじゃないのかな……と甘く考えていたのです。でも、僕の足にはその頃の貯金がもう無くなっていました。


 双門コースは、スタートからゴールまで標高差が1,000mほどあります。その過程で、絶壁を登るコースが至る所にありました。流石に岩場をそのままに登ることは出来ないので、梯子が掛けられているのですが、その梯子が延々と続きます。筋肉痛は足だけでなく胸筋や上腕も筋肉痛になっているので、この梯子による影響が大きかったのでしょう。でも、僕にとって、この梯子は明確なルートが示されているという意味で、救いの光のようなものでした。なぜなら、双門コースは登山可能なルートを見つけることが困難だったからです。


 登山における一般道は、多くの登山者がその道を踏み分けているので、明確な道になっています。また一般道はルート的に安全な場所が選ばれているので、その道を辿れば滑落の心配が少ない。ところが、双門コースは登山者が少ないので、その道が定かではないのです。


 登山をした方はご存じだと思いますが、そうした不明瞭な道に対しては、先行者が道標としてピンク色のテープを所々に巻き付けています。非常に助かるし、非常に有難いのですが、双門コースにおいてはそのピンクテープがアテになりません。ピンクテープを辿ったせいで道に迷ったことが多々ありました。そうした情報は事前に得てはいたのですが、実際に現地に赴くと、どのようにルートを攻略すれば良いのかが、初心者には分からない。呆然としてしまうのです。


 登山道の多くは尾根を伝って登ります。対して、双門コースは弥山川の渓谷を登りました。この違いは大きい。渓谷を登る場合、左岸か右岸か登りやすいルートを選択します。選択の度に渓流を渡渉するわけですが、簡単に渡れる場所なんてそうそうありません。開始早々に足を滑らせて、ズボンもろとも靴が濡れました。そんなことを何度も繰り返します。


 道に迷って、元の場所に戻り、また迷って他のルートを探して。そんなことを繰り返すうちに時間は消費し体力もドンドンと削られていきました。ただね、弥山川の渓谷は美しかった。赤や黄色の葉に彩られた木々が、あちこちで風に揺れています。轟音を響かせながら、重力に任せて落ちる白滝。それでいてエメラルドグリーンに染まった滝つぼは、シンと静まり返っていました。


 岩の迫力も凄かった。山のように巨大な仙人嵓の岸壁は言うも及ばず、弥山川に転がっている岩も大迫力。家一軒分はあるのかという岩が、ゴロンと転がっています。ていうか、この岩も大変でした。場所によっては、これらの大岩を越えていかなければなりません。落ちたら怪我をします。下手したら死にます。そんなこんなで時間だけが過ぎていきました。


 ――あれ、巌の双門はまだかな?


 僕の情報収集不足だったのですが、既に通り過ぎていました。てっきり、登山道の途中で遭遇するもんだと勘違いしていたのです。巌の双門は、双門の滝から外れたルートにありました。双門の滝そのものは日本の滝百選に選ばれる落差70mの滝で、それはそれは壮観なのですが、近くには寄れないので遠望するしかありません。双門の滝を鑑賞した後、そのまま進んでしまったのです。


 ――マジか!?


 後から知った時に、愕然としました。しかし、今更戻ることは出来ません。なぜなら、時刻は夕方の5時。辺りは暗くなり始めていました。本来の計画では、3時ごろには狼平避難小屋に到着しているはずです。道に迷い、体力が尽きて、ノロノロと登っていた所為で想像以上に時間を喰っていました。もう今からでは避難小屋には到達できません。


 ――仕方がない。


 人生初のビバーグを決断しました。山小屋で宿泊するつもりだったのでテントは持ってきていません。このような事態に備えてツェルトを用意したりもするものなのですが、持ってきていません。「天気とくらす」の予報では、山頂はマイナス3度。ここは山頂ではないのでそれほどまでには下がらないと思いますが、それでも寒いでしょう。


 手ごろな岩屋を見つけました。岩盤の天井があるだけで吹きさらしなのですが、雨露は凌げます。転がっている岩をどけて簡単に整地した後、キャンプマットをそこに敷きました。なにはともあれ晩御飯です。熱いものを腹に入れたい。コッヘルで鶏肉と一緒にご飯を炊きました。重いのにわざわざ運び込んだビールも、ペロリと2缶飲み切ります。


 食後やることが無いので、早速に寝る準備に取り掛かりました。上半身はダウンジャケットをはじめ着れるものは全て着込みます。問題は下半身。ナップザックの中の荷物を全て取り出して、そこに寝袋ごと足を突っ込みました。これは過去に経験があるので、効果は実証済み。目を瞑りました。耳を澄ますと、渓谷内に渓流のざわめきが反響しています。途切れることのない激流の音。耳障りではありません。逆に心地よい。疲労が蓄積していたこともあり、いつの間にか寝ていました。


 目が覚めました。夜中の1時。7時間近く寝ていました。しかし一度目が覚めると、もう眠れない。用を足すために寝袋から出ました。震えあがるような寒さでもない。もう一度寝袋に入りましたが、下半身だけ。そのままスマホを手に持ってkindleを開きました。ダウンロードしていた吉川英治著作「宮本武蔵」を読み始めました。


 若い頃から、2回読了していました。とても面白い作品です。なんなら、今後僕が書くであろう「聖徳太子」の物語も、このような作風にしたい。吉川英治の技術を盗みたいとさえ思っています。真っ暗な弥山川の渓谷の中で、1時間ほど読んでいました。シーンはまだ最序盤で、徳川派の姫路城の追手に追われて、武蔵は山の中に逃げ込んでいます。食べるものが無いので、捕まえた鳥を生のまま食べていました。まるで動物。ただ、山の中という環境が今の僕と同じなので、ちょっと感情移入してしまいました。ウィスキーをストレートでチビチビ飲んでいたのですが、全部飲み切ってしまい、再び酔いが回ります。kindleを閉じて、また寝袋に潜り込みました。


 朝の6時ごろに目が覚めます。長い夜でした。途中、宮本武蔵を読んでいたとはいえ、12時間も寝袋の中で過ごしたことになります。初体験のビバーグでしたが、寒さには耐えることが出来ました。何とかなるものです。辺りは薄っすらと明るくなり始めました。ただ、白い霧が立ち込めていて視界は不明瞭。風も吹いてきました。食事を済ませ、荷物のパッキングを終えると直ぐに出発します。


 ここからも大変。なんと雨が降ってきました。ここ双門コースは雨天は入山禁止。なぜなら、雨で足元が滑るからです。慎重に歩きました。ついでに何度も迷います。攻略ルートが分からないので、行ったり来たりしながら、途方に暮れることも度々。最上流部は、最難関でした。濡れた大岩を次々と越えていかなければなりません。


「怖い!」


 口に出して叫びました。岩盤に垂れ下がった鎖で出来た縄梯子を登ります。岩壁に杭が打たれただけの空中回路を渡りました。両手で掴める鎖があるとはいえ、落ちたら死にます。背中には12kgのナップザックを背負いながら、濡れた足元に注意しながら、慎重に足を運びました。


 苔生した山道を抜けると、双門コースの出口でした。目の前に吊り橋があります。渡りきるとその先に霧の中に浮かぶ狼平避難小屋が見えました。予定では、宿泊するつもりだった場所です。泊まることは出来ませんでしたが、なんだか涙が出てきました。


 ――やっとたどり着いた。


 計画では、八経ヶ岳に登ることになっていましたが、やめました。ここまでの工程であまりにも体力が削られていたからです。帰りは下山とはいえ、膝が笑っていました。上手く歩けない。風が強くなり、雨が雪に変わりました。考えてみれば、今回の登山では、誰にも会っていません。始終一人っきりでした。黙々と歩きながら、考えるのは家族のことばかり。早く帰りたいと思いました。歩いている途中で、ピロンとスマホが鳴ります。ずっと圏外だったのに僅かながら電波が繋がりました。嫁さんにラインを打ちます。


 ――早く帰りたい。会いたい。


 下山も長かった。正直、何でこんなに苦しいことを、好き好んでやっているんだろうと自嘲しました。

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