記憶にございません
久々に、記憶が無くなるまで飲みました。おでんパーティーをお開きにしたところまでは憶えています。その後、飲みなおすために意気揚々と出かけたはずなのですが、その記憶が全くない。気が付いたら家で寝ていました。ついでに、仕事は遅刻しました。二日酔いで気持ちが悪い。
経験がある方は分かると思うのですが、記憶がないというのは二日酔いよりも気持ちが悪い。まだ20代だった頃、会社の慰安旅行で飲みすぎたことがあります。目が覚めると、ホテルの浴槽でシャワーを浴びながら寝ていました。当然、真っ裸です。目が覚めたのは、吐き気を催したからです。浴槽で、ゲーゲー吐きました。
翌朝、仲間たちから酷く揶揄われました。後輩の一人が携帯電話を取り出して、嬉しそうに写真を見せてくれます。グデングデンで歩けない僕を車いすで運んでいる様子や、コンパニオンの綺麗なお姉さんと仲良く笑っているツーショット。グデングデンの僕の写真はどうでもよいのですが、問題は綺麗なお姉さんでした。気の弱い僕は女の子と話すことが非常に苦手なのですが、写真の中の僕はとても嬉しそうに笑っています。お姉さんもとても楽しそう。それなのに、そのお姉さんの記憶が全くないのです。全く……。写真の中の僕は、本当に僕なのか疑ってしまいたくなります。
僕たち人間は、過去の記憶を積み上げながら生きています。同じように、人類も過去の記憶を積み上げていました。いま目の前にパソコンがありますが、このパソコンは液晶やCPUといった精密な部品で組み上げられ、目には見えないけれど様々なプログラムが演算を繰り返しています。これら様々な技術は、過去からの技術革新が蓄積されてきたから存在することが出来ます。もし、そうした技術の一部が人類の記録からなくなってしまったら、これは大変です。
人間のDNAにしても、過去からのデータの蓄積になります。海に漂う単細胞が、やがて藻になり、植物になり。突然変異によって少しずつDNAを変化させながら、途方もない時間をかけて人間を誕生させました。人間の思想もそうです。僕は個人的な興味から古代の思想を調べていますが、思想は言葉で表され、人々に語られることによって伝播します。その過程で思想は変化を繰り返しながら、哲学になり学問になり、宗教を生み出し、法律を整備し、社会主義やナショナリズムといった様々な主義主張を誕生させ、僕たち人間の行動を規制してきました。いま、僕が思考できているのも、目には見えないけれど過去から引き継がれてきた思想のお陰になります。これら技術やDNAや思想は、過去から変化を繰り返しながら蓄積してきたデータという意味で、個人の記憶とよく似ています。
先ほど、連絡がありました。全く憶えていませんが、昨晩はスナックで飲んでいたようです。僕のことだから、マイクを持ってガンガンに歌っていたに違いない。一人で帰れない僕は、店の方が車で送ってくれたそうです。ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。スナック代は友達が立て替えてくれたそうです。こればっかりは、「記憶にございません」とはいかないので、後で返さないといけません。楽しんだはずなのに、記憶にないって辛い。




