古代史自説④縄文時代の交易
1万年にも及ぶ長い歴史を持つ縄文時代ですが、不思議に思うことがありました。それは当時の交易になります。縄文遺跡から発掘されるものと言えば土偶や土器が有名ですが、それだけではありません。黒曜石や翡翠、それに巻貝であるオオツタノハガイやイモガイ、二枚貝のベンケイガイ等も発掘されていました。
黒曜石はガラス質の鉱石で、割ることで鋭利な刃物として利用することが出来ます。この長野県で産出される希少な鉱石が、日本各地で見つかっていました。分布の範囲は、南は近畿周辺、北になると東北を越えて北海道でも見つかっているのです。同じように、沖縄で採れる貝や、新潟で採取される翡翠も、日本全国の至る所で発掘されていました。
現代であっても、沖縄から北海道に物を運ぶのは大変です。今朝、仕事で北海道で収穫されたプルーンを扱いましたが、この商品は北海道から大阪まで空輸で運ばれてきました。飛行機なら早いですがそれなりの時間とコストは掛かります。縄文時代に沖縄から北海道に貝を運ぶためには、丸木舟に乗って日本海を渡っていったでしょう。いったいどれだけの日数が掛かったのでしょか? また、嵐による転覆事故も考えられます。いくら希少な貝とはいえ、命を賭けていては割に合いません。なぜ、それほどの危険を冒してまで、黒曜石、翡翠、貝が交易の商品として運ばれていったのでしょうか。
交易に関しては、まだ疑問があります。古代には貨幣が存在していません。お金が無くても物々交換くらいは出来ますが、現代のように価格という概念がないので交換するにはかなり不便です。沖縄から北海道まで貝を運んだ人々は対価として何を得たのでしょうか。熊の皮でしょうか? それとも鮭? 仮にそうだとしても生ものは沖縄まで持って帰れませんし、熊の皮にしたって希少な貝をわざわざ運んできた対価としては、釣り合いが取れないような気がします。ここで参考になるのが、前回にご紹介した時間の概念でした。
前回、縄文時代の人々は、「明日」という未来を志向する概念が無い――とご紹介しました。この感覚は、東南アジアの島々やアマゾン流域の原住民にも言えることで、狩猟採取で生活する人々の思考的特徴になります。農耕文化の発展によって未来を志向する「時間」の概念が誕生するのですが、これによって「所有」という概念も生まれました。
農耕文化によって食料の自給率は上がりますが、それと共に人口も増加します。需要と供給が釣り合っている時は良いのですが、天候等によって収量が下がる場合がありました。この場合、人口が多いほど食糧難が増大します。この危機的状況を回避するために穀物の貯蔵が行われました。これによって「所有」という概念が生まれるのです。つまり、所有とは未来に物を届けるという時間的概念を内包していました。
この「所有」という概念は、次に「分断」という概念を誕生させます。農耕社会によって生まれた社会は、ヒエラルキー構造を成しており、人間社会に階級を生み出しました。所有という行為は財の不均衡を引き起こし、財を持てる王と、王から施しをうける民衆に分けられたのです。縄文時代にも一族のリーダーは存在していますが、実は財の不均衡はありませんでした。何故なら、財は一族に平等に分けられたから。
縄文時代の交易に対して、僕はコストに対するリターンが見込まれないと述べました。ところがこの考え方は農耕社会によって生み出された概念になります。縄文時代の人々はそのような動機で交易を行っていません。というか、そもそもが交易ではありません。プレゼントだったからです。
現代ではもう見られませんが、昭和時代には九州方面に船で生活する人々がまだ存在していました。縄文時代とは直接に関係はしませんが、生き方のスタイルは古代の部族である海部に連なるのかもしれません。彼ら一族は、閉鎖的で陸に住む人々との交流は希薄なのですが、全く無いわけではありません。生業が漁なので、漁で得た魚を陸の人々に届けました。ところが、魚の対価として金銭は受け取ろうとはしないのです。それよりも、陸の人たちとの宴会を希望しました。このエピソードは「縄文の思想」という書籍からの引用になります。ここで紹介される彼らの行動原理もプレゼントでした。
縄文時代の人々は神との関係性においても、供養というプレゼントを行いました。これは「所有」という概念が無いからだと考えます。仲間と同じものを分かち合うことに価値を感じていたのでしょう。このプレゼントの先にある行為が宴会でした。
もう一つ、縄文時代に関係のないエピソードをご紹介します。宮本常一著作「忘れられた日本人」の中で語られているのですが、お遍路さん等の旅をしている人が村にやってきたとき、村人は快く迎えるそうです。村に住む人々が集められて宴会が始まりました。宴会では酒が振舞われ、盛り上がってくると歌う者が出てきます。歌はその上手さが競われました。このエピソードの中では、歌が一番上手い男が、気に入った女と一夜を共にするのです。
縄文時代において、最高の楽しみとは宴会だったのではないでしょうか。飯が食えるし酒が飲める。それに男女の出会いの場でもあった。その宴会に参加するために必要な行為がプレゼントだったのです。これは現代においても通じる考え方でした。親戚や友達の家に行くときは何かしらのプレゼントを用意するものです。しかし、宴会の為だけに沖縄から北海道まで旅をするのは、少し理解に苦しみました。なぜ、旅に出たのでしょうか?
ホモサピエンスの歴史は、今から6万年前にアフリカを出発してユーラシア大陸、オーストラリア大陸、更にはアメリカ大陸にも足跡を残していきました。日本列島へやってくるのは今から4万年前。これがYハプロD因子を持つ僕たちのご先祖様になります。狩猟採取という生活は、獲物を追いかけました。つまり定住ではなくて、移動を繰り返すという特徴があります。つまり、旅そのものが生活でした。また、日本列島で生活するホモサピエンスは、決して人口が多いわけではありません。旅を続けたとしても、他のホモサピエンスになかなか出会えなかったでしょう。そんな中、他の仲間と出会える機会は、交尾のチャンスでもあったわけです。当時の彼らの喜びが目に浮かぶようです。
長々と疑問に思っていた縄文時代の交易について考察してきたわけですが、大筋間違ってはいないと思います。そんな縄文時代に、大きな変化が起こりました。それが鬼界カルデラ大噴火になります。薩摩半島から南に約50 km離れた海上にある火山が約7300年前に噴火するのです。1万年に一度、あるかないかぐらいに大きな噴火でした。以前に、福井県にある年縞博物館に立ち寄りましたが、この博物館にもこの大噴火の痕跡が残されていました。鬼界カルデラから福井まで直線距離にして770kmもあります。そんな遠方にまで火山灰が降りかかるほどの大噴火で、西日本の生物は壊滅的な被害を被ったと思われます。次回は、そうした縄文時代後期から弥生時代にかけて、見ていきたいと思います。




