夏祭りの思い出
僕がまだ幼かった頃、小銭を握りしめてお祭りに行く行為は、どこか異国の世界に潜り込むような緊張感があった。多くの赤い提灯がぶら下がる中、浴衣を着た大きな大人たちが櫓を中心にして踊っているが、僕は踊りには全く興味がない。関心があるのは屋台での買い物だったりする。焼きトウモロコシやイカの姿焼きの香ばしい匂い。かき氷のこめかみを貫くような甘い冷たさ。目移りしながら屋台を巡回し、手の中の小銭と相談をした。でも、大人になりそんな幼い頃に体験した祭りのことを思い出そうとすると、屋台での思い出はぼんやりとしか思い出せない。明瞭に思い出せるのは、風に揺れる赤い提灯と、スピーカーがが鳴り立てる炭坑節のフレーズ。
月が出た出た 月が出た
(ヨイヨイ)
三池炭坑の 上に出た
あまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろ
(サノヨイヨイ)
大人になった僕は地域の自治会に参加するようになり、夏になれば夏祭り実行委員会の一人に加わるようになった。6月に実行委員会が立ちあがり、当日の運営について協議が重ねられる。それぞれの役割分担が明確になり、準備期間が設けられて、本日に至った。昨年までは屋台の担当だったので、祭りの間はビールを飲みながら接客をしていればよかった。ところが、今年は司会を仰せつかった。これは大役。
式進行を管理する司会者は、場を盛り上げないといけない。普段着ではパンチがないので、浴衣を羽織り、スキンヘッドに鉢巻を巻いた。定刻になったので、僕の第一声から祭りが始まる。実行委員長の挨拶、お祝いメッセージの朗読、来賓者の紹介、来賓者の挨拶と、式が進行していく。毎年のことだが、盆踊りは生演奏。これが凄い。櫓もないような小さな盆踊りなのだが、昔からの縁で江州音頭を披露してくれるのだ。会の皆様を一人一人紹介すると、いよいよ盆踊りが始まる。
三味線と太鼓の伴奏に合わせて会長が、渋い歌声を披露してくれた。司会の仕事が一段落したので、僕も踊りに加わることにする。着物を着た粋なお姉さんが、僕の目の前で見事な踊りを披露してくれた。足先から指先まで、水が流れるような自然な動き。ただ、僕は踊りを知らない。見よう見まねで何とか踊りを真似しようとしてみた。ただ、手と足がそれぞれに動いているので、どこから真似ればよいのかが分からない。恰好だけは一人前だが、クラゲのようにクネクネとした踊り……を披露した。
当祭りは、参加すればビールやお茶、それにジュースやお菓子を振舞ってくれる。夏祭りの名を冠した地域の宴会のような趣で、子供たちもそれを期待している。出店は、かき氷、フランクフルト、ポップコーン、スーパーボールすくいだけだが、全て100円。物価高の昨今だが、採算は考えない。地域の皆さんに還元することだけを目的にしている。
挨拶に立たれた議員が語っていた。このような夏祭りはかなり減ってしまって、とても貴重だとか。大規模な夏祭りにはない地域性のつながりが、まだ残されている。ボランティアで協力してくれた皆さんは、皆ご高齢で若手が少ない。若い世代を巻き込んでいかないと継続は難しい。
――兎にも角にも、夏祭りに参加した子供たちは喜んでくれただろうか?
子供たちが大人になった時、この夏祭りを懐かしんでくれたらとても嬉しい。




