ナイトハイク
奈良県の奥地にある標高1,915mの八経ヶ岳に登ってきました。近畿最高峰のこの山の登頂に、2月の厳冬期に挑戦したことがあります。しかし、あの時は装備道具のトラブルから敢え無く断念。今回は夏ではありますが、そのリベンジが出来ました。ちょっと嬉しい。今回はそんな顛末を綴りたい。
昨年から始めた登山ですが、日の出と共に登り始めるものだと思っていました。ところが、山頂で日の出を拝みたいのであれば、夜中から出発する必要があります。今回はそんなナイトハイクを経験してきました。ナイトハイクそのものは、GWに登った白馬岳の大雪渓でも経験していたのですが、雪山と夏山では全く様子が違います。大きな違いは、熊と虫。雪山は、熊は冬眠しているし、虫も発生しません。つまり、何かに襲われるという危険が無いのです。ところが、夏山はそれらの対処がとても重要でした。
熊に関しては、僕が僕が登る二日前に登山口の周辺で写真付きで目撃情報がありました。自作の熊撃退スプレーは用意していますが、これは熊に出会った時に使用するものです。先ずは、熊に出会わない対処が必要でした。出来ることと言えば、熊鈴。野生の熊は、基本的に人間を恐れています。熊鈴を鳴らすことで、自分の所在地を先んじて知らせて、熊を追いやる効果を狙っています。ただ、一部には鈴を怖がらない熊もいるそうで、その効果のほどは分かりません。お守りみたいなものです。
虫に関しては、山の中にはアブやブヨ、それにスズメバチといった人間を襲う虫がいました。その対処として、虫よけスプレーが効果的です。成分はディートを使ったものが良いとの情報がありましたが、一つ難点がありました。それが、化繊の衣類に変色等の影響を及ぼすのです。登山の衣類は、綿ではなく化繊の物を選びました。理由は、汗をかいたときに蒸発しやすいからです。特に夏場の登山となると汗はかきっぱなしなので、パンツからシャツまで全て化繊の物を着込んでいました。変色は気になりましたが、ディートを使った虫よけスプレーを購入しました。
国道309号線を使って紀伊半島の奥地に向かって南へと走ります。八経ヶ岳は奈良県天川村の周辺から登るのですが、登山口は大きく三つありました。天川村の町役場にある登山口は一番遠く、厳冬期にここから登りましたが今回はパス。309号線を使って更に奥に行くと川遊びで賑わっているみたらい渓谷があるのですが、そのまま通過してしばらく走ると川迫川の橋があります。この先に熊渡登山口があり、ここからは弥山川を登る上級者向けバリエーションルートがあるのですが、ここもパス。更に奥に向かって走っていくと行者還トンネルの手前に、八経ヶ岳駐車場があります。ここは八経ヶ岳を登るメジャーな登山口で、ルートも一番短い。今回は、ここから登ることにしました。
今回の登山では出発は夜中の1時を予定していたので、それに見合う場所で野宿する必要があります。八経ヶ岳駐車場はテント泊禁止。みたらい渓谷も河川でのBBQが禁止、テント泊も禁止。基本的にテントでの野宿が出来ない地域になっています。自然の景観を守るという意味合いもありますが、たぶん熊被害を出さないという意味も含まれているのでしょう。そんな中での野宿になります。場所の選定に苦労しましたが、今回は通行不可の道路のさらに奥、アスファルトの上にテントを張り野宿しました。河川ではありませんし、ギリギリOKでしょう。というか、通行不可の時点で入ったらいけないのですが、スーパーカブなのでスルスルと入っていきました。ゴメンナサイ。
風はありませんでした。アスファルトということもありペグが打てないので、これは本当に助かりました。
野宿派の僕は、色々なところにテントを張ります。ペグが打てない場所なんていつものこと。なので、僕が利用するテントは、自立出来るドーム型がマストアイテムになります。熊除けに、ブルートゥーススピーカーでガンガンに音楽を流して、焼き鳥を喰い酒を飲みました。夕方の6時ごろには寝袋に潜ります。朝が早いですから。
目が覚めました。時刻は1時22分。寝過ごしてしまいました。手早くパッキングして出発しようかと思いましたが、やっぱりラーメンは食べることにしました。食欲は無かったのですが、食べておかないと途中で必ずエネルギー不足を起こすと思ったからです。結局、2時過ぎに出発しました。登山口まではスーパーカブで10分ほどの場所になります。八経ヶ岳駐車場に到着すると、先ずはトイレに行きました。使用料100円。綺麗なトイレでした。臭いもありません。登山におけるトイレの存在は非常に有難い。100円の価値はあります。さあ、いよいよナイトハイクの始まりです。
ナイトハイクにおいて、無くてはならないアイテムがヘッドライトになります。ただ、ヘッドライトは全体を照らすことは出来ません。どんなに光量が強くても、足元しか照らせません。山道において足元を踏み外すと落ちてしまうので、注意深く辺りを確認する必要がありました。ただ使ってみて分かったことですが、ヘッドライトの存在は集虫灯の役割も兼ねていました。虫がわんさかと集まる集まる。慌てて、虫よけスプレーを取り出して、再度重ね掛けをしました。スプレーの効果のお陰か、嫌っていうほど虫にたかられましたが、刺されることはありません。これはこれで感心しましたが、ずっと虫のお供を連れての登山になりました。
月のない真っ暗な夜でした。多くの星が瞬いていたようですが、オーバーハングの木の枝が邪魔をして見えません。でも、星を見る余裕もありません。登山口から急登が始まったからです。登りがいのある山道でした。手を使わないと登れない箇所が次々と現れました。たかだか1kmの道のりで、400mほど高度を上げます。汗は流れっぱなし。喉が乾くので、水を飲みます。今回は、2リットルの飲み水を用意しました。このただの水道水が、美味しいこと美味しいこと。喉が渇き切った体には、まさに甘露でした。
急登が終わると、大峯奥駈道に合流します。この道は、奈良県の吉野山と和歌山県の熊野三山を結ぶ修験道の修行の道で、縦走すると80kmもあります。しばらくなだらかな山道が続き、場所によっては広い高原になっていました。歩きやすいのですが、問題は道迷いでした。急登は坂が急で大変ですが、道は一本道。とても分かりやすかった。対して、なだらかな山道はヘッドライトの光だけでは、山道を視認できないことが多いのです。どっちだろう……と迷うことが多々ありました。
真っ暗な山の中では、笛のようなキーの高い鳴き声が聞こえてきます。とてもか細い。多分、鳥の鳴き声だとは思いますが、定期的に周りで鳴いているのです。まるで、四方八方から監視されている様な感覚に襲われました。かなり気持ちが悪い。この文章を書きながら調べてみたのですが、トラツグミだそうです。別名で、鵺とも言うそうで、昔は妖怪の鳴き声だと考えられていたようです。
足元に照らされた光を追いかけて、ほぼ休みなく歩き続けました。朝食にラーメンを食べた効果か、とても元気。大雪渓を登った時は本当に疲れ切ったのに、今回は少し余裕でした。再び急騰が始まりましたが、慌てずにゆっくりと登ります。そうしたスピードコントロールも適切に出来ていたように思います。
八経ヶ岳の手毎にある弥山周辺で、辺りが明るくなり始めました。ヘッドライトは必要ありません。トラツグミの鳴き声が聞こえなくなり、代わりに様々な鳥が次々と泣き始めました。かなり賑やか。朝があけました。山頂付近は雲がありません。とても見晴らしが良かった。ただ、大台ヶ原が見える東の方角は厚い雲が立ち込めています。太陽が昇っているはずですが、まだ見えません。朝焼けで、真っ赤に染まっていました。
弥山から八経ヶ岳までは、まだ少しの距離があります。歩みを進めました。辺りの風景が一変します。道の両側が、厚く苔生していました。八経ヶ岳までは迷いようのない一本道なのですが、今度は風が強くなります。夏なのにとても寒い。上は長袖の化繊のシャツ一枚だったのですが、何か羽織りたい。でも、そのまま歩き続けました。山頂は目の前だったからです。
近畿最高峰、八経ヶ岳。登頂しましたが、これといった感慨はありませんでした。正直なところ、こんなものかな……と思いました。計画的に準備して、計画的に行動して、計画的に完遂しました。これといったトラブルもない。ある意味、トラブルが無かったことが不満かもしれません。昨年の二回目の大台ヶ原は、行動不能の一歩手前まで自身を追い込んでしまいました。厳冬期の八経ヶ岳は、道具のトラブルで急遽ビバーグをする羽目に。大雪渓では、あまりの強風に死の恐怖を感じました。それらに比べると、あまりにもあっけない終わり方でした。一晩が経過しましたが、身体もそれほど負担を感じていない。少し疲れを残しているくらいです。
――これは贅沢かな?
ヒリヒリするような緊張感が欲しい……。山男がより難しい山に挑戦するのも、こんな動機かもしれません。




