家族の在り方
先の参議院選挙では、焦点にはならなかったけれど夫婦別姓についての意見をチラホラと見かけました。個人的な意見ですが、選択式なら僕は構わないと考えます。過去を振り返ってみても、価値観は様々に変遷してきました。昭和世代の僕からすると、LGBTQも含めて時代の移り変わりを感じます。
夫婦は家族の核と考えられていますが、昔からそうだったわけではありません。平安時代以前の家族は、子供を産む女性を中心にして考えられていたようです。妻問婚といって、男性は好きな女性に会いたいがために手紙を書きます。目当ての女性から返事が返ってくると、男性は夜這いに向かいました。三日間そうした関係が続くと、結婚になるのです。
結婚したあと、この夫婦が家族になったかというと、それは微妙です。夫婦の繋がりはとても弱くて、男性が通わなくなると離婚になりました。現代のように婚姻届けといった契約がないので、何となくの感情で結ばれたり離れたりします。また、子供の養育は女性側の家族で行いました。男性は養育に関わりません。そうした夫婦が最後まで寄り添い合ったとしても、亡くなった後の墓は別々でした。それぞれの親や兄弟と一緒に埋納されるのです。血筋に対する強いこだわりがありました。こうした家族の在り方は、たぶん縄文時代にまで遡ると思います。
狩猟採取で生きていた縄文時代は、同じ血族でコミュニティを形成していました。しかし、血が濃くなると子孫繁栄に問題があります。だから、外の血が欲しい。外から旅人がやってくると、コミュニティは喜んで向かい入れ、その旅人をもてなしました。更には、コミュニティ内の娘と契りを結ばせるのです。縄文時代は、北は北海道から南は沖縄まで、広く人々が交流していました。ホテルも宿もなかった縄文時代において、これほどの交流が可能だったのは、古代の家族の在り方が強く影響していたと考えます。
このように俯瞰してみると、現代の家族観も変わっていくのは自然の流れなのでしょう。というか、ドンドンと加速している。僕が生きてきた昭和、平成、令和に限っても大きく変わりました。サザエさん的な祖父母と暮らす大家族から、核家族や共働き、シングル親というように家族の形態が多様化します。適齢期の考え方も「26歳までに結婚しなきゃ」……と、僕が若い頃は言われていたのに、晩婚が一般的になりました。家族の在り方は一様ではない。変化していくもの。これは僕の家族においてもそうでした。
31歳の時に結婚して、三人の息子に恵まれました。息子たちが幼かった頃は、とても手間が掛かります。オムツを変えないといけないし、一人では風呂に入れません。食事にしても、歩行器に座らせたまま食べさせるのですが、よだれ掛けやテーブルの上は食べこぼしで汚れまくり。でも、家族の強い結びつきを感じた瞬間でもありました。懐かしい思い出です。
息子たちが大きくなり、家族団らんで食事をする機会が極端に減りました。嫁さんは夜遅くまで仕事をしているし、長男はバイトから帰ってこないし、次男は東京で下宿しているし、末っ子は部屋に籠ってゲームをしています。ご飯の用意が出来ても、僕一人で食べることが多い。昔は家族の在り方にこだわって、全員そろって食事をすることを、父親の権威を使って集合させていましたが、今はしません。最近は、そんな変化にも慣れました。慣れたどころか、一人を楽しもうとしています。僕が晩酌のアテに凝るのも、ソロキャンプに出掛けるのも、ひたすら文章を書いているのも、全て僕の一人遊びでした。僕にとっての、新しい家族の在り方だったりします。




