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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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税と供養とお金の話

 今回は、僕自身が良く分かっていないことについて語らせていただきます。参議院選挙が終わりましたが、選挙の焦点の一つに消費税の是非が取り上げられました。この消費税について、一部ではまるで悪の根源のように語られています。色々と動画がアップされているので、聞いていると消費税がとても悪いように感じたりするのですが、冷静に考えるとそうでもないような気がする。そんな僕の試行錯誤を吐露したい。


 消費税はお金で徴収します。お金は商品を交換する際の媒介物で、交換機能と、価値保存機能と、価値尺度機能の3つの機能があります。お金そのものは消費される商品ではないのですが、あらゆるものと交換ができるという利便性から、多くの人が欲しがりました。現代においては商品だけでなく、時間や移動距離、知識や芸術、果ては人間ですら買うことが出来るので、お金さえ持っていれば大体のことが解決できます。精神世界の宗教と比べると、今すぐに現世利益を得られるという点で遥かに優っています。そうした点で、拝金主義は現代の最大の宗教であり、お金は神様になってしまった……と僕は考えたりしています。


 そんなお金ですが、僕が勉強している古墳時代・飛鳥時代にはありません。かろうじて貝や宝石といったお金の代わりになるものは存在していましたが、現代のお金のように経済社会を支えるほどには流通していません。どちらかというと物々交換に近い。お金の歴史を調べると、「昔の人は物々交換でした」とサラッと説明されていますが、僕にはこの物々交換経済がイメージできない。何故なら、お金のように価値尺度機能がないからです。米俵と鶏をどのような比率で交換したら等価なのかが分からない。またお金が無ければ、市場を開くのも難しいでしょう。何故なら、お金は嵩張らないから。物々交換の為に米俵や鶏を市場に持ち込むのはかなり困難だと考えます。


 そうした当時の経済を考えるうえで参考になるのが、「朝貢」になります。日本は中国に遣隋使や遣唐使を送りましたが、その際に貢物を用意しました。皇帝である中国は貢物に対する対価を与えます。ここに交換が生じました。この朝貢のシステムが、古代の経済を駆動させていたのではないでしょうか。「美」という漢字は、丸々と太った羊を供養する行為を表していました。その心根が美しいという意味になります。朝貢という行為も、この宗教的な供養という概念によって行われたのではないでしょうか。つまり、供養するという宗教的な行為は、経済を駆動させるうえで重要な概念だったと考えるのです。


 古墳時代に多くの前方後円墳が建造されましたが、これは神になった大王を祀るという宗教的な行為でした。神のもとに、多くの人が集まったでしょう。同時に、米、酒、獣、魚、塩といった様々なものが供養されます。首長は、供養されたものを使って宴を開き人々を労いました。ここに、経済が生まれています。当時の経済社会は神を中心に据えることで成り立っており、人々の供養する行為によって支えられていました。


 この関係性をもっと分かりやすく説明すると、ヤクザの世界だと思います。親分子分の世界では、親分は子分を養わないといけません。子分は、親分の期待に応える代わりに食にありつけるのです。この構図は、ヤクザでも大和王権でも変わらないのではないでしょうか。違いは、権威として神を置くか置かないかの違いだけです。


 古代における経済活動は、神を据えることで行われていました。生産物は供養という形で首長の元に集められ、そして分配されます。この供養するという行為が、律令制によって租庸調という税に置き換わります。現代においてもその構図は変わらなくて、租庸調は様々な税に変化しました。所得税、法人税、相続税、贈与税、消費税、酒税、たばこ税、自動車重量税、住民税、固定資産税等になります。ただ、現代においては、現物ではなく信用財である「お金」を使って徴収しました。このお金というのが、僕には摩訶不思議な産物に思えるのです。


 例えば、何かしらの事業を立ち上げるときにお金がないとします。借金しないといけない。人から100万円借りたとすると、帳簿の上では現物の100万円と借入金という100万円が生まれます。つまり、帳簿の上では、未来に返済する予定の100万円が記載されるので、合計200万円になるのです。現代の膨れ上がった天文学的な資産の正体は借入金。どれほど大きな借金でも、経済が上向きの時は問題がありません。未来に返すことが出来るからです。この経済を支えたのは人口の増加でした。産業革命以後の200年間で、世界人口が10億人から80億人に爆上がりします。だから可能でした。ところが、日本は人口の減少に転じています。世界人口も、どこかで頭打ちをするでしょう。そうなると、これまでの資本経済の根幹が崩れるのではないかと危惧しています。


 消費税ゼロの対案として国債の発行が言われていますが、これは摩訶不思議なお金をあまりにも信用しすぎているのではないでしょうか。お金は商品を交換する際の媒介物でしかない。お金が無限にあれば、無限に商品が購入できるわけではないのです。基本は、生産した量の範囲内でしか分配ができない。この分配に対して、潤滑油のように機能しているのがお金になります。僕は専門家ではないのでなんとも言えませんが、このまま国債の発行を続けると、いつかは資本主義経済が行き詰まりに直面するのではないのかと危惧しています。お金を刷ったらよいという意見も散見されますが、「生産した量の範囲内でしか分配ができない」という法則からは逃れることは出来ません。インフレを招くだけなんじゃないかなと思ってみたり。誰か、僕に説明してほしいです。

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