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だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
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三角縁神獣鏡と大和王権

 博物館に陳列されている古代の遺物の代表格と言えば、埴輪でしょうか。他にも土師器や須恵器、銅鐸や銅剣、三種の神器で有名な鏡、鉄剣、勾玉なんかもあります。今回はそうした遺物の中でも、三角縁神獣鏡にフォーカスしてみたい。三角縁神獣鏡は考古学的に他の遺物とは一線を画しています。それは魏志倭人伝に、次のような記述があるからでした。


 ――邪馬台国の女王卑弥呼が魏から銅鏡100枚を賜った。


 古代の中国において銅鏡は珍しいものではなかったと思いますが、卑弥呼の時代の西暦3世紀頃の日本ではとても珍しいものだったでしょう。三角縁神獣鏡は機内を中心に500面ほど出土しているそうですが、最盛期は西暦4世紀の古墳時代前期に集中しています。古墳からの出土品は、前期は鏡をはじめとする祭祀に関係した遺物が多く、後期になるにつれて武器や馬といった軍備に関する遺物が多くなりました。こうした出土品の変遷から大和王権の性質が、祭祀的な国家統治から武力的な国家統治へと変遷していった様子が伺えます。


 三角縁神獣鏡の特徴は、その名の通り丸い鏡の縁が三角形に盛り上がっていることと、装飾のレリーフの多くが神獣でした。神獣は道教の影響が強く、青龍、白虎、朱雀、玄武の四獣や麒麟、それから獅子が描かれています。またそうした神獣だけでなく、中国の神仙である西王母と東王父が描かれていたり、座禅を組んだ仏陀が描かれているものもあります。思想的には中国の道教思想が強いのですが、不思議なことに朝鮮では出土例がありません。中国では少しだけ出土しています。この事実が三角縁神獣鏡をより一層ミステリアスなものにしていました。


 三角縁神獣鏡は古墳の成立期と深く関係しており、時代は西暦4世紀。この時代の中国は、晋が滅亡し五胡十六国という戦乱の時代の始まりでもありました。僕なりの解釈では、揚子江流域のある部族が日本列島にやってきて大和王権を作ったと考えています。三角縁神獣鏡が中国大陸であまり出土されないのは、戦乱によって追われた部族だったから、本土では歴史や文化が上書きされたのではないでしょうか。小山満著作「シルクロードと法華経」では、三角縁神獣鏡から中国の道教と日本の神道の関係性を指摘しています。なるほどなと思いました。


 昔の記事で僕なりに指摘しましたが、縄文的な思想と神道的な思想では、死生観には大きな隔たりがありました。端的に説明すると、縄文は魂循環型で、神道は黄泉の国なのです。黄泉の国とは死後の世界であり、現実世界と同じような世界があると信じられていました。前方後円墳とは、大王が死後においても安寧に生活できるように用意された仮想空間だったと考えられます。その思想は道教的な神仙世界、つまり不老不死への憧れでした。秦の始皇帝の不老不死への憧れは有名な話ですが、これは始皇帝に限った話ではなく大陸において一般的に求められたのでしょう。この思想的な大きな変化は、異文化が日本へ流入したことの証拠だと考えています。


 話は脱線しますが、記紀の国譲りの話は、大陸文化の天津神と国津神である出雲族との争いだったと理解しています。つまり、天皇一族は大陸由来……。このように書くと日本が大好きなミギの方々が怒るかもしれませんが、DNA的に見ても純粋な日本人はいません。弥生時代初期に大陸の北方から稲作技術と共に多くの人々が列島に流入し、古墳時代に揚子江流域から多くの人々が流入しています。最新の科学的な裏付けも明らかでした。


 神道といえば、ご神体を護る神社があります。以前に、神社の入り口にある鳥居は大陸由来だったとの話を紹介しました。鳥居を潜り拝殿へと向かうと、阿吽の呼吸で二体の狛犬が鎮座しています。なぜ、狛犬なのでしょうか? 因みに伏見稲荷はキツネだったりしますが、今回は狛犬に限って考えてみたい。


 狛犬は、「犬」の漢字が使われていますが、犬ではありません。ネコ科のライオン、つまり獅子がモチーフです。ところが古代の日本には獅子はいません。先ほど道教と神道の関係性を指摘しましたが、中国大陸にも獅子はいません。では、なぜ獅子という見たこともない動物が神社を護っているのでしょうか? 


 実は獅子は仏教由来で日本に伝播しました。インドにもライオンはいませんが、大乗仏教が隆盛する過程でヘレニズム文化の影響から、ギリシャ・エジプト文化がインドに流入します。この時に、百獣の王であるライオンが仏陀を支えるという概念が生まれました。三角縁神獣鏡には、この獅子も描かれています。また、例は少ないものの仏陀も描かれていました。仏教の公伝は6世紀の半ばですが、例は少ないものの古墳時代にも仏教の影響が見えます。


 日本の神道は日本古来の宗教と考えられがちですが、ここは少し立ち止まって考える必要があります。古墳の建造や三角縁神獣鏡を使った祭祀に道教の影響がみられるとしたら、神道の始まりは古墳時代と共に始まったことになり、大和王権の始祖も大陸からやってきたことになります。出雲族にしても、一応は縄文人だと考えていますが、弥生時代に稲作を伝播したのは大陸の北方の民族との研究もあるので、多分に大陸の影響を受けていました。


 ここまでの話は僕なりの考察で、世間には様々な考え方があります。ネットでは、7300年前の喜界カルデラの大噴火によって日本を飛び出した縄文人がシュメール文明を築き、その系譜がイスラエルの十支族へ続き、その後日本に帰ってきたという話もあったりしました。そうした話に比べると、非常に現実的な考察だと思うのですが、人によっては生理的に無理な方もいます。ただ、今後僕が聖徳太子の物語を書くとしたら、時代背景が曖昧なままでは書くことが出来ません。時代背景は登場人物の生き方にも関わっていきますので、とても重要です。


 現在の所、大和王権と出雲族の対立はとても重要だと考えています。記紀において蘇我氏は悪者に描かれていますが、出身は出雲だと考えています。また、継体天皇にしても出雲と縁が深い。大陸由来だった大和王権が、出雲の勢力が大きくなったことで宗教的な権威を失墜させたとしたら、そのことが遠因となって丁未の乱が起こったとしたら……。今はそんなことを妄想しています。

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