仏教の歴史ー追記
前回は仏教の歴史についてご紹介しました。仏教の歴史は迷いの歴史だった……と一旦は締めくくったのですが、全てがそうだったとは考えていません。それほど詳しくはないのですが、仏教の歴史にはポイントになる人物が何人か存在していました。有名なところでは、大乗仏教の基礎となる縁起や空を顕した龍樹、膨大な仏教教義の整理整頓をした天台宗の開祖智顗、その天台宗を日本において展開した最澄、鎌倉時代において天台宗の系譜を受けつぎつつ具体的な行動として展開した日蓮。これらの系譜に共通する仏典が「法華経」になります。
法華経は西暦1世紀ごろに顕されたようで、釈尊が弟子の舎利弗に語り掛ける形で成仏の話が展開されていきます。日本に仏教公伝された初期において既に法華経が上陸しており、聖徳太子はこの法華経を解説した法華義疏を表していました。今後、聖徳太子の物語を紡いでいくうえで、この法華経の理解は必ず必要になります。それこそ、法華経で語られているエピソードを聖徳太子のドラマで表現できないかと、考えてもいました。ただ、今の僕には法華経について語れる内容はまだありません。勉強中です。
最近、小山満著作「シルクロードと法華経」を読んでいます。シルクロードにある仏教遺跡の発掘を通じて法華経の足取りを紹介されていました。その中で、四仏の一つ阿弥陀仏の話があります。四仏とは、東西南北にそれぞれに仏を配置した考えたかで、東方に阿閦如来、南方に宝相華如来、西方に無量寿如来、北方に微妙声如来が配置されています。四仏の意義を僕なりに類推すると、釈迦は自分だけではなく全ての人々が仏に成っていくことを望みました。法華経には「毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身」とあります。意訳すると、「人々が悟りを得て早く幸せに成れることを、私はいつも願っている」になります。東西南北という広く遍く仏が誕生していく様子を想像していたのではないでしょうか? そうした四仏のうち、無量寿如来が阿弥陀仏になります。
聖徳太子は、隋に送った国書のなかで「日出処の天子」と記しましたが、日本は世界の東端であり日が昇る国でした。では、西端の日が沈む国とはどこでしょうか? それは当時の世界観でいえばエジプトになります。小山氏は、日が沈むという事象が、来世への願望と結びついたのではないかと語られていました。エジプトには、生命が再生する思想があります。紀元前にアレクサンダー大王の東征によってエジプトとインドの文化が混ざり合いますが、大乗仏教の始まりはこの大激動の後でした。想像の域を出ませんが、エジプトへの憧れから西方極楽浄土がイメージされたのなら、なんだかロマンがあります。
仏教の歴史において「法華経」はとても重要です。まだまだ勉強が足りていませんが、何れ法華経をテーマにしてまとめてみたいと思います。




