表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
だるっぱの呟き  作者: だるっぱ
428/494

奉納される雅楽

 今更感があるかもしれませんが、高橋弘樹氏がテレビ東京を退社後にはじめたYouTube番組「ReHacQ」が面白い。開設から2年間で、選挙になれば候補者の生の声が聞ける舞台として、また経済や文化、歴史といった多様なジャンルの第一人者を番組に招いて、その魅力を引き出していく。彼は言います。


「僕はジャーナリストではなくて、基本的に演出家なんですよ。演出というのは僕の中では『物事の魅力を引き出す技術』なんです。なぜ僕が演出家を名乗るのかというと、取材対象者の魅力を引き出すというところに主眼を置いているから。相手を深掘りすることでリアルな魅力を引き出したい。インタビューする際には、『なぜ隠すのか』『なんでこれを言わないんだろう』と引っかかることについては、必ず『なぜ?』と聞いています。そうすることで相手の本音を引き出したいんです」


 ジャーナリストとして主張を発信するのではなく、中立的な立場から相手の声を引き出していく。これまでのメディアには無かったそうした姿勢が、視聴者には新鮮に映っているようです。


 最近配信された石田多朗氏を招いた雅楽の話が面白かった。石田氏は昨年に米エミー賞に受賞された「SHOGUN 将軍」で、編曲を担当しています。僕もネットフリックスで見ましたが、非常に面白かった。ただ、当時は音楽までは意識していませんでした。改めて聴いてみると、日本の古代音楽である雅楽だったんですね。「SHOGUN 将軍」では、雅楽とオーケストラを融合させることで、新しい魅力を表現したそうなのです。改めて聴いてみると、雅楽ってトランス系の音楽に近いと思いました。トランス系とはちょっと違うんですが、細野晴臣のアルバム「Medicine compilation」が大好きで、それにもどこか雰囲気が似ているのかなって。


 石田氏は、雅楽の世間的な評価について「退屈な音楽」と表現されていましたが、僕もそう思っていました。雅楽は平安時代からずっと受け継がれていて、現代においても同じように演奏されています。つまり、千年以上も前の音楽が、シーラカンスのように生き延びてきたわけです。そう聞かされると、退屈に聞こえた雅楽に対して急に興味が湧いてきました。


 対談の中で面白かったのが、演奏者自身が曲のテーマが分かっていないという事実です。演奏しながら、「何でこんな風に演奏するんだろう?」と思っているそうです。石田氏は雅楽の作曲家なのですが、彼も同じような悩みの中で新たな雅楽を作曲していました。これは意外中の意外でした。


 僕なりの感覚では、自分の中の心像風景を表現するのが、音楽をはじめとする芸術の目的だと思っていました。楽しいから踊る。悲しいから歌う。感動を伝える為に絵を描く。自分の中にあるインスピレーションを何とかして表現したいという足掻きが、芸術の原点にはあると思い込んでいたので、かなりの驚きでした。そんな石田氏がポロッと呟くのです。


「雅楽は、人間ではなく自然に向かって演奏しているのかもしれない」


 驚きの一言でした。人間ではなく自然に……ってことは、それはつまり、神への奉納って意味? それなら何となく理解が出来ます。彼がその思いに至ったのは、法隆寺で見た仏教の曼荼羅でした。曼荼羅からは、神からの救いの手は感じられないと語っていました。ただ、深遠な現実を見せつけるだけ。生まれてきて、そして死んでいく。そうしたありのままの自然の姿を曼荼羅から感じたそうです。


 現代的には、宗教は人々に救い与えるものと考えられています。宗教的な儀礼で、信じる人は手を合わせてお願いをしました。しかし、古代の宗教は違うと考えています。その内容についてはこれまでにも述べてきたわけですが、ザックリ説明すると、この世界と一体になるために祈りや供養を行った。仏教も本質は同じで、この世は諸行無常だと割り切っています。


 YouTube番組「ReHacQ」から、もうひとつ番組を紹介します。国立歴史民俗博物館名誉教授の仁藤敦史との対談になります。テーマは「古代国家・任那の謎」なのですが、その導入部分で古代と中世の区分の話がありました。一般的には、弥生時代から平安時代までを古代。平安末期から戦国時代までを中世としています。なぜ、ここで分けているのかというと、徴税の変化でした。


 古代の税は人頭税になります。能力に関係なく、一人一人に同じ税が掛けられました。中世になると荘園が誕生して、税は土地に応じて徴収されるようになります。この徴税制度の変化は、経済システムに直接影響しました。仁藤氏は、古代における人頭税は、ヨーロッパにおける奴隷制度に通じるような話し方をされます。奴隷というと、ちょっとイメージが悪い。西洋と古代の日本では、似ているようで少し違うと思います


 古墳時代の人々は部民というコミュニティーにおいて、専門の仕事を課せられました。田んぼを作る人は田部。鉄の鋳造は、倭鍛冶や韓鍛冶。弓矢は、弓削部や矢作部。衣服関係は、織部や衣縫部。陶器は、土師部や須恵部。祭祀は、忌部や巫部。これらの人々は、奴隷のように強制的に労働を強いられていたわけではありません。仕事の対価として、人々は王から衣食住を分配されていたからです。この王の分配できる力は、人々から神として尊ばれました。神の恵みとして受け止められていたと考えます。古代社会において、この社会システムを強力に駆動していたものが宗教でした。またこの宗教をバックアップしたものの一つが雅楽もしくは国風歌舞くにぶりのうたまいになります。


 社会主義は宗教を否定しました。しかし、お隣の大国を見ているとその運営はとても難しそうです。大和王権においては、一見すると神道を中心に据えた社会主義が実現していたように感じます。そう考えると、体制に置かれた人々が「何を信じているのか?」というのは最も重要な問題になります。宗教も思想、法律も思想、社会主義も思想。その思想から社会は生まれるのかなと、雅楽を聴きながら想いました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ